砂漠の王子を生贄の巫女は見つめる

雪村

見つめ、溺れる

 広大な砂漠のどこかにこの神殿は存在した。


 しかし地図にも載ってない神殿に男はどうやって辿り着いたかわかっていない。

 砂塵に巻き込まれ、無我夢中にラクダを走らせた結果出会えた場所だった。


 黒色を基調としながら金の装飾が施された身軽な服。神殿に足を踏み入れたこの男は砂漠の王国の第一王子ジンライ。


 露出された左腕には蛇を描いた刺青のようなものが刻まれていた。


「ここが地下2階くらい…本当に不思議な場所ですね」


 ジンライは下へと続く階段をゆっくり降りて神殿内を散策する。

 もしかしたらここに自分達が知らない答えがあるのではないかと密かな期待を胸に抱いていた。


「人が住む場所では無いはずなのに所々火が灯してある。誰かが居るという証拠の1つでしょう。しかしこんな場所で一体誰が」


 彼お得意の考察と大きな独り言は微かに響いた。しかしそれに反応する人間も魔物も居なく、ジンライは肩を落とす。


「面白味のない場所ですね。けれど普通の場所でもない。王国領の数ある神殿の中でも謎が多そうです」


 そう言いながら足元で拾った小石を数個投げてみる。軋むことなく弾かれた石床は崩れる心配が無さそうだ。


「先に進みましょう。砂塵が止むまでです」


 本来なら一国の王子が単体でこのような場所に出向くのは許されない。

 しかし彼の好奇心は引き返すという言葉を消していた。


 ジンライは刺青のある左腕をそっと撫でながら神殿の奥へ進んで行く。


ーーーーーー


『砂ノ王……血ヲ引…継……贄……厄…名……漠…巫女』


「ふむ。解読出来たのはこれだけですか」


 神殿の散策を続けていたジンライはとある石室を見つける。

 しかもそこは変に岩が置かれて塞がれていたがジンライのフィジカルの前では石ころと同じ。


 丁寧に移動させて中に入った先には巨大な石板が壁に埋め込まれていた。


「察するにこの神殿の説明や作られた経緯を記した石板でしょう。ただほとんどが読めない状態。これはきっと砂が石室の中にまで入って文字が削られてしまった。もしかしたら部屋の前の岩もかつては大きなものだったかもしれません」


 誰も聞いていないのに声を出しながらジンライは常に持ち歩いている手帳に考察を書いていく。

 その手つきは頭の回転と比例するように素早いものだった。


「そして解読した文字からすれば砂の王の血を引く巫女が関わっている。贄というのは生贄のことですかね?ソアレちゃんはどう思い……」


 無意識に自分の妹であるソアレの名を出してしまったジンライは現実に戻る。


 ここは謎の神殿。妹は今頃王国で本を読んでいるはずだ。

 ソアレはいつもジンライの長くうるさい考察を嫌な顔せずに聞いてくれる優しい妹。


 ジンライはうっかり、居ない人物に問い掛けてしまったらしい。

 我に返ったジンライはペンをおでこへ突っつきながら目を瞑った。


「俺よりも国の歴史に詳しいソアレちゃんならこの神殿の意味を知っているのでしょうか。帰ったら2人で議論会を開かなければ。コック長が作るオアシスゼリーも用意して……って何ですか!?」


 すると突然、神殿が揺れ始める。


 地震かと思いながらその場にしゃがんだジンライは辺りをキョロキョロと見回した。

 幸いこの石室には落ちるような物はない。


 ジンライの前に埋め込まれている石板以外は。


「っ…!砂の守りよ!!」


 揺れにより何かが外れた石板はジンライに目掛けて倒れてくる。

 咄嗟にジンライはペンと手帳を落とし胸の前で祈りを捧げた。


 すると彼の周りは砂の塊で覆われる。大抵の物をガードする砂の守りは王家に伝わる神技の1つだった。


「危なかった。揺れも収まったようですね」


 ジンライは守りを解いて塊をサラサラと流れる砂へ戻す。

 倒れてきた石板は見事に割れて復元も難しい状態になっていた。


「ま、まぁ第一王子の命が助かったのですから石板も許してくれるでしょう。ええ、そうであってください」


 もしもこの石板が国宝だったらと考えてしまうけど、そもそも地図にも載らない神殿に国宝なんてないはず。


 そんな都合の良い解釈をしてジンライは石板が埋め込まれていた元の場所を眺めた。


「隠し部屋でしょうか」


 石板が外れたことによって先に通じる大きな穴が現れる。その奥には火のような灯りが見えた。


 ジンライはペンと手帳を拾い上げて懐へとしまう。そして何も考えず導かれるように奥の部屋へと足を踏み出した。


「……火が灯されている時点でおかしいと思ったのです。ここは地図にも載らない神殿。そして俺は砂塵に巻き込まれてここへやって来た。地図ギリギリの王国領の南を走っている途中で」


 火の光が強くなる。それと同時にジンライの鼓動も速くなった。


「俺は砂漠の王国第一王子のジンライ。良ければ浅学の俺にこの神殿について教えてもらえないでしょうか」


 石板があった部屋から通じる真昼のように明るい広間。そこはまるで別世界のようにオアシスが存在していた。


 そんなオアシスの中心に浮かんでいるのは1人の女性。

 ジンライは警戒しながら1歩1歩真水の池に向かった。


「……貴方は導かれし運命を信じるかしら?」

「やはり生きているのですね。良かった」

「良かった?それはなぜ?」

「死んでいるより生きている方が同じ人間は嬉しいと思います」

「それは違うわ。死ぬべき人は死んだ方が同じ人間は嬉しくなる。特に最悪な役割を終えたら尚更」


 女性は綺麗な姿勢を保ったまま俯いている。ジンライはせめて顔を見ようと池の端に立った。


「君はここの神ですか?」

「……貴方は導かれし運命を信じるかしら?」

「では先にその問いを答えましょう。俺は自分に都合の良い運命なら信じます」

「じゃあ都合の悪い運命だったら?」

「最後の最後まで抗う。これが答えです」

「自分の気持ちに忠実なのね。あの人達と同じ」


 ふと、ジンライは自分の足元に違和感を感じて目線を下にした。

 すると池から水が溢れ出るかのようにジンライの足を浸している。


「え?」

「貴方の導かれし運命。それは死」


 女性の言葉でジンライは殺意を向けられていることに気づく。


 背中を見せずに素早く後退りをして先ほどの石室に戻ろうとした。

 しかし途中で背中に硬い何かが当たる。チラッと横目で確認すれば、石室を塞いでいたはずの岩がジンライを足止めしていた。

 その隙に水はどんどんオアシス内を侵食していく。


 広間と言っても閉鎖空間なのには変わりない。池から湧き上がるスピードがあまりにも速かった。


「嘘…ですよね?」

「運命は全て本当よ」

「ま、待ってください!俺はまだ何も」

「貴方はこの神殿に入り私を知ってしまった。そして今私を見てしまう」


 女性は俯いていた顔を上げると目を閉じたままジンライの方へ降りてくる。

 幽霊のような動きは彼をゾッとさせると同時に焦りを生み出した。


 ジンライはどうにかして岩を壊せないか考える。ジンライのフィジカルなら真正面の正拳突きで粉々に出来るだろう。


 しかし背中を見せられないのだ。本能が背中を向けてしまえば終わりと告げている。


「どうせ死ぬのなら」

「す、砂の」

「一緒に死んであげるわ」

「守り!!」


 ジンライはパニックになって意味もわからず砂の守りを唱えた。

 いくら大抵の物はガード可能な砂の守りでも水の前では無力に近い。


 それでも今のジンライが出来る抗いはこれだけだった。


「あ、貴方!なぜ私まで閉じ込めたのよ!」

「え?あっ…」


 間近で聞こえる声に、閉じてしまっていた目をジンライは開ける。彼の目の前には女性が居た。

 そして2人は逆らうことなく目を合わせる。


「「………」」


 ジンライは何も言えなかった。そして女性は何の言葉も浮かばなかった。


 しばらくの間2人は砂の中で固まったように見つめ合う。先に口を開いたのは女性の方だった。


「怖くないの?」

「全然です…」

「私、蛇の眼をしているのよ?人の身体を石にしてしまう蛇の眼よ?」

「とても、綺麗です」

「何で身体が石にならないの?」

「わかりません…」


 青い瞳に細く黒い線が入っている。それは確かに蛇のようだった。

 しかしジンライは恐怖を感じることも石になることもなくただ見惚れていた。


 しかしそんな時間も、砂の塊に水が浸透し終わりを近づかせる。


「もう砂の守りが保たない…!クソっ」


 普段から丁寧な言葉遣いを心がけているジンライもこの状況では乱暴な口調へと変化してしまう。

 水は砂の中心まで行き渡り溶け出した。


 もう限界まで来ている。まさか想像もしていない死に方をするなんてとジンライは唇を噛み締めて女性から目を逸らした。


「ダメよ。ちゃんと見て」


 しかしジンライの顔は女性によって戻される。

 溶ける砂の隙間から水が入り込んでいるのにも関わらず、ジンライは再度見惚れてしまった。


「……最後に見るのが君の目なら幸せなのかもしれないな」

「貴方みたいな人は初めてよ」

「もし良ければ今すぐ名前を教えてくれないか?」

「名前なんて捨てられたわ。でもそうね。眠る前の手土産に教えてあげる。……砂漠の巫女。そう呼ばれていたわ」


 瞬く間にジンライは呼吸が出来なくなる。自分は水に呑まれたのだと気付いたのは彼の意識がなくなる数秒前だった。


 ジンライは最後の瞬間まで目を開けていた。その瞳の先には蛇の眼を持つ砂漠の巫女が優しい表情で微笑んでいた。

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