第6話 魔法
カフェの外に出た。
外はもうすっかり真っ暗だ。
秋風がそよいで、ひんやりとした感触が肌をかすめる。
そしてもう直に満月となろうかというサイズの月のもと、俺たちは言い合いを繰り広げていた。
「いやいやいや、なんでだよ。なんでこっちに来るんだよ」
ズカズカと早足を急ぐ俺の後ろを、美少女異世界俺はカツカツと付いてくる。
コイツ、本当に俺の家に来る気なのかよ。
「いやいやいやはこっちのセリフなんですけど? こんな姿になっちゃったワ……俺が、この世界で他に行くアテがあると思うわけ?」
まぁ、ないだろうけど。
でもそれも織り込み済みでこっちの世界に帰ってきたんじゃないのか。
「そもそも元々は俺も『折橋充』って存在なわけだし、その家に帰ること自体おかしな話じゃないよね??」
「いや、もう今のお前は俺じゃないから。俺が転生した後の人物ってのは認めたけど、全面的にお前が俺ってことを認めたわけじゃないから」
「なにそれ俺のくせに、屁理屈をこねるんじゃない!!」
美少女異世界俺がぷりぷりと怒りながら俺を追いかけてくる。
どうにもテンション高めの自分を見るというのは気恥ずかしいものだ。
「いや、屁理屈とかじゃなくてさ、お前は異世界でいろいろやってたわけだし、身体的にも精神的にもその分の差異があるというか……」と言いながら、理論的に説明しようとするが、彼女は食い下がらない。
「そうは言ったって俺はまだ異世界での経験を積んだだけの“折橋充”だと思ってるし、自認“折橋充”だし!!」
「いやそんな自認聞いたことねーよ! お前はもうお前っていうオンリーワンだから!!」
向こうのテンションに合わせてこちらも啖呵を切ると、いよいよ通行人の視線を集め始めた。
恥ずかしい。
やはり今日は厄日なのかもしれない。
そんなことは全く気にしてないという様子で、目の前の美少女はこちらをギリギリとにらみつける。
……が、しかしふっと、その眼を伏せて瞑目するのだった。
「……わかった。じゃあまぁ、アンタの言い分が正しいとしよう。それはそれとしてさ……」
そう口を開いたかと思えば、彼女は開眼する。
その瞳は……なんと形容すべきか。
あえて言うならば、キラン、キュルン、キュルルルン、って感じだった。
要するに、媚びっこびの眼差しであった。
「こんな美少女が困ってるのに、助けてくれないのぉ……? こーんな美少女を路頭に迷わせようってわけぇ……?」
猫撫で声とでもいうのだろうが。
人の機嫌をとるよな甘ったるい作り声が喉仏のないその声帯から発せられる。
こいつ……完璧に自分の容姿の使い方を理解してやがる。
どこからどう考えてもぶりっ子。
嫌われる女間違いなしみたいな言動ではあるのだが、しかしそれをわかっていてもなお、その顔面と仕草は高火力を誇っている。
しかし……。
「残念だったな。今の俺はフラれた直後、喪に服している期間だ。そんな攻め落としは通用しないぜ」
そう、俺はいわば未亡人的なアレだ。
その防御力を持ってすれば、こんな媚びなんて効きもしない。
まぁ時と場合によって未亡人の防御力は紙と化すが……今はそんなことどうでもいい。
「……じゃあ本当に家にあげてはくれないんだ」
「当たり前だろ。普通に考えて初対面のヤツを招き入れるわけないし、お前が俺であっても、異世界での経験で性根がねじ曲がってる可能性だってあるわけだし」
もし精神がおかしくなってたりして、いきなり刀傷沙汰にでもなったら笑えない。
どんな経験を経てもなお正気を保っていられる……そう確信できるほど俺は俺を信用できないしな。
「だからもうそういうことだから、諦めてくれ」
「……そっかぁ、まぁそうだよな。俺ってそういうヤツだしな。なんとなくわかってたけども」
目の前の少女はあからさまに落胆したように肩を竦める。
彼女が本当に俺ならば俺の言うこともわかるだろう。
……とはいえ、このまま見捨てるというのもたしかに後味が悪い。
あまりの衝撃で忘れていたけれど、仮にも彼女は俺の命の恩人なわけだ。それをそのまま放っぽりだすというのは、少し義理がなってない。
「まぁ、お金は何円か貸すからさ。それでなんとか家に帰る方法か、もしくは身寄りを見つけるとかして……」
そう言って俺は財布を取りだそうとする。
せめてもの計らいだ。今日はだいぶ散財したのであまり手持ちがないけれど、それでも二、三日やり過ごす金額くらいは貸してやれる。
そういうわけなのでズボンのポケットに手を突っ込むのだが……しかし手ごたえがない。
「あれ、」
上着のポッケを探っても感触は空っぽだ。
内心で冷たい汗をかきながら、背負っていた鞄を下ろして懸命に中身を探る。
そしてそれも空振りとなる。
「……もしかして、失くしたの?」
彼女の発言にドキンと胸が鳴る。
「いやいやいや、そんなはずはない。だってさっきカフェでちゃんと払ったし。あの時はしまった手応えあったし」
「でも、俺から逃げようとだいぶ急いでたよなー」
それは……そうだけども。
だからあんまり確認しないでしまおうとしてたけども……。
も、もしかしてその拍子に落としてたのか……?
「で、でもカフェ周りだろうし。戻ればたぶん……あるだろう」
言いながら辺りを見回してみるが、もうそろそろ夜の闇も深まる頃だ。
視界は悪く、どこで落としたのかハッキリとはわからない以上捜索は難航しそうである。
焦燥感が押し寄せ、どうすればいいのか分からず立ち尽くしていると、もうひとりの俺がはーっと息をついた。
「我ながらおちゃめな人だなぁ、俺くんは」
冗談めかしく彼女は笑う。
そんな冗談には構ってはいられないくらい焦っているのだが、彼女はそれを知ってか知らず、数歩だけ前を歩き、俺と間隔を取ってから改まったようにこちらを向いた。
「じゃあ。財布見つけてあげたら家、帰らせてよね」
「え?」
そう言ったかと思うと、少女は胸の前で控えめに両手を合わせた。
その動作にいったいどのような意味があるのか、瞬時にはわかりかねる。
しかしすぐに答え合わせがなされるのだった。
────周囲に、光の球が浮かぶ。
「な、はっ!?」
一個二個……そんな指折りで数えられる数ではない。
まるで沸き立った気泡のように、光を帯びた球状のものが無数に地面から浮かび上がり、少女の周りを囲む。
そんな光達に照らされ、瞑目し、祈りをささげるかのようなポーズを取る彼女は、どこか浮世離れした様相を感じさせた。
「やっぱり、この世界でもコレ使えるんだ」
フッと、彼女は笑みを浮かべる。
それはどこか寂しげに映ったが、しかしすぐに調子を取り戻したようにもう一度口を開く。
「この、情けないもうひとりの私のために、落とした財布を持ってきてあげて。いい?」
まるで子供に言い聞かせるかのような口調で彼女がそう言うと、光の球はぷかぷかと揺れる。
そして、次の瞬間。
光の球たちは一斉に散り、四方八方へと飛び去っていった。
まるで生き物のように目的を持って動いているようで、その光景に俺はただ呆然と立ち尽くすことしかできない。
「……なんだぁ、これ」
ぽつりと呟いた俺の声は、自分で聞いても情けないくらいに震えていた。現実感がまるでない。いや、それ以上に、目の前の出来事がどういう仕組みで起きているのかさっぱり理解できなかった。
「さっきも言ったけど、私は異世界で“転生”してきたもう一人のアナタなんだよ? これくらいできるって思わない?」
俺の困惑を見かねてか、彼女は自慢げにそう言った。
そんな理屈が通るわけないだろう、と言いたかったが、実際に目の前で何かとんでもないことが起きている以上、否定する材料もない。
「……じゃ、じゃああの光の玉は何なんだ? どうやって財布を見つけるつもりなんだ」
俺が恐る恐る尋ねると、少女は自信ありげに胸を張る。
「簡単なこと。この光たちは、私があなたの“気配”を基に作ったもの。つまり、あなたが最近触れたもの──今回なら財布を探しに行ってくれてるの」
「気配って……なんでそんなものがわかるんだよ」
「私、魔法の扱いにはちょっと自信があるんだ。転生前はこれで色々助かったしね」
淡々と説明する彼女を見ながら、俺は頭を抱えたくなった。魔法だの転生だの、到底信じられる話じゃない。それでも、目の前でこうして“奇跡”みたいな現象が起きている以上、否定するにも限界がある。
そして、その時。
「ほら、来た」
彼女が指差す方を見ると、一つの光の球が戻ってくる。その光はふわふわと揺れながら、まるで何かを運ぶように低空を飛んでくる。近づいてくるにつれ、その球の中に見覚えのあるものが浮かんでいるのがわかった。
「……あ、俺の財布!」
俺は思わず声を上げた。光の球がそっと地面に置いたのは、まぎれもなく俺の落とし物だった。少女はそれを拾い上げ、俺に差し出す。
「はい、どーぞ?」
俺は口をあんぐりさせたままそれを受け取った。
中身を確認してもたしかに俺の財布だ。
貧乏学生のソレが手元にはある。
「こ、こんなの……あり得なさすぎる」
「あり得ないって、俺の魔法が弱すぎるって意味だよな? 俺また何かやっちゃいましたぁ?」
怒涛の無双系主人公みたいなセリフを吐くが、俺に突っ込むという意識はなかった。
目の前の現実離れした現実に愕然する俺を見て、彼女はフッと笑いながら、気を取り直したように口を開いた。
「それじゃ、約束守ってくれるよね」
「約束……?」
「家に帰らせてくれるって。そう言ったでしょ?」
あぁ、そう言ってたな。そういえば。
一方的に。
俺が応じるよりも前にこんなトンデモ現象をしでかしてくれたけど。
……しかし、それでも実際にこうして財布を取り戻してくれているわけだしな。
俺一人だったらもしかしたら見つかっていないかもしれないし、これはひとえに彼女のお陰と言っていい。
……うむ、ならば仕方がない。
ここはハッキリと言ってやろう。
「誠心誠意お迎えさせていただきますっっっ」
両膝をついて俺は彼女を崇めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます