3.
「あ、待っててくれたんだ」
「そろそろ帰ろうかなって思ってたとこ」
私が話しかけると、かすみは窓の外を見ていたつまらなそうな顔をすぐに切り替えた。ぱっと花が咲いたような笑顔で私を見るかすみ。帰ろうと思ってた、なんてきっと嘘に決まってる。
「ありがと」
「面談、どうだった?」
「どうもこうもないよ。面倒くさいだけ」
頑なに教室へ行かない私をどうにかしようと、時々担任が面談と称してどうでもいい話をする時間に付き合わなければいけない。だから今日は、図書室に来るのがすっかり遅くなってしまった。
「放っておいてくれたらいいのに」
「なんの話したの?」
「別に、『最近どうだ?』とか『勉強の不安はないか?』とか、そういうどうでもいいこと」
「最近のうたこは、いつも通り本をたくさん読んで、勉強もしてるよね」
私のことを気にかけているというのなら、かすみのように少しでも私を観察すればわかることなのに。本を読んでいるのはただの暇つぶしだけど、勉強ができないと言われるのは癪だからそれなりに自分でやっているのに。
「かすみが先生にそう言ってよー」
「他クラスの私が言っても聞かないんじゃないかなぁ」
「それ、あるかも」
いつでも話を聞くとか言って、真剣に聞いてくれたことなんてない。適当に聞いて、私の意図を理解しようともしない。勝手に都合よく解釈して、勝手に納得して、勝手に憤慨して。そんな汚い大人になりたくないし、そんな汚い大人がかすみを傷つけるのも見たくない。
「なんでみんなと同じにしないとダメなんだろう」
「なんでだろうね。あ、でも制服は好きだよ」
そう言って立ち上がり、くるりと回ってみせるかすみ。
「なんだか大人になった感じがするし、これを着れるのも三年間だけだし」
「そうかな。軍隊とかみたい。個性とかキャラクターとかを持たないようにするための足枷みたいじゃん」
「えー? でも、かわいいからよくない?」
セーラー服の裾をヒラヒラとさせながら言うかすみ。確かにブレザーよりはマシかもしれない。でも、こんな窮屈な服よりいつも着てる楽な服の方がいい。
「それに毎日私服考えるの、大変じゃない?」
「……確かに」
おしゃれとは程遠い私は地味な服しか持ってない。こんな均一化された制服でさえ、着る人によって違って見えるのに、ダサダサの私服で登校なんてことになったら……。
あんまり想像したくなくなった。
「初めて制服着た時、うれしくなかった?」
「どうかな、あんまり覚えてないや」
「私は嬉しかったなぁ。大人の階段上ったみたいで、急に自分がお姉さんになったみたいで」
~~~♪
「みなさん、下校の時刻となりました。部活動以外で校舎に残っている生徒は、速やかに帰宅しましょう」
下校のアナウンスが流れた。古臭い音楽と放送委員のめんどうくさそうな早口が再度繰り返される。
「帰ろっか」
「うん。……あ、ごめん。カバン、教室だ」
「また? 今日は遅くなるから持って来ておいてって言ったじゃん」
「ごめんごめん、許して」
かすみはいつもそうだった。帰る頃になると、何かと理由をつけて一緒に帰ってくれない。
「待ってるから取ってきたら?」
「あー、でもその、先生にも呼ばれてたの今思い出しちゃった」
「あっそう」
理由はわからないけど、かすみは私とは帰りたくないんだ。友達だって言うくせに。一緒にお昼を食べたこともなくて、放課後の図書室でだけ会える友達。
それって友達って言うのかな。かすみにとって私との繋がりは、本当は恥ずかしい関係なのかもしれない。不登校みたいな私と一緒に居たら、かすみまで変な目で見られるかもしれないし。
でもそれを認めたくないから、物わかりの良い私になることにして、今日もそれ以上追及するのはやめた。
「じゃあ、また明日」
「うん、また明日ね、うたこ」
手を振り合って、廊下でかすみと別れた。
自分の名前が嫌いだったのに、かすみに呼ばれ始まってから気にならなくなった。古臭くておばあちゃんみたいで嫌な名前だと思っていた。でもかすみが呼んでくれると、可愛らしい響きに聞こえて悪くなかった。
平松うたこ。
自分の名前の下駄箱で上靴とローファーを履き替える。
「またねー」
「今日カバン重ーい」
「ばいばーい」
どこか浮ついた空気を纏いながら、校舎から吐き出されていく様々な集団。中には私のように一人の生徒もいるけれど、ほとんどは何人かのグループで、楽しそうに中身のない話をしながら帰って行く。
かすみの教室がある方をぼんやりと眺める。教室の並びなんてどんな順番かよく覚えてないから適当だけど。
あの窓の向こうに、かすみは居るんだろうか。そこからこの人の集団を眺めているんだろうか。それとも、どこかの集団に紛れてどうでもいい話に花を咲かせながら、私以外の誰かと一緒に帰っているんだろうか。
「はぁ……」
かすみと友達になってだいぶ経つのに、本当は一人じゃないのに、未だに一人で帰る自分がなんだか惨めで悲しかった。
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