第22話 性奴隷として潜入する



 背中を冷やす硬い感触が、目を覚まさせたのだろうか。


 薄暗い煉瓦造りの天井や壁。

 十分とは言えない光量を放つ、天井際の壁に設置されたいくつかの燭台。

 そして、鉄格子。


 気がついた時には、どこかの牢の中だった。

 いずれにしても、魔術の罠にかかったのは間違いない。

 すなわち、あのシスターは敵で確定だ。 


 たくさんの人の気配がする。

 見渡すと、全く窓がない広い牢に、人間と思われる奴らがたくさん──パッと数えただけでも二〇人はいる。


「気づいたか?」


「…………!」


 片膝をつきながら声をかけてきたスーツの男は、ボサボサの黒髪を手で掻く、メガネの男だった。

 あたしはガバッと上体を起こす。


「メガネさん! ……あ。えっと」


「青木だ」


「青木さん。無事だったんですね!」


「無事かどうかはわからんな。能天気に言ってるが、今やお前も同じことだぞ。あのシスターに花を見せたいと言われて案内されたんだろう?」


「青木さんも同じって訳ですか。同レベかぁー」


「寝起き一番でディスってくるとは余裕じゃないか。どうやら扉に入ったと同時にこの牢屋へ直行、ってことらしい。お前もこの牢に瞬間移動してきたぞ。それからは、まだ時間はそれほど経過していない」


 あの部屋に魔術がかけられていて、部屋に入ることがここへ転送するための魔術の発動条件だったのだろうか。

 記憶では、なんか落とし穴に落ちたような感覚だった。

 

「この人間たちは、何なんでしょうか」


「敵がヴァンパイアだとすれば予測は簡単だ。奴らにとってここは食料貯蔵庫、ってとこだろう。突然消えた行方不明者たちも、この方法で攫われたんだろうな。こいつらから聴取したんだが、どいつもこいつも、道を歩いていて突然落とし穴に落ちたみたいになったと。この様子だと、ヴァンパイアどもは他県でも攫っているんだろう。同時に貯められている人数で二〇人を超えているんだからな」


「……あたしたちはご飯、ってわけですか」


「ああ。このままだと、夜まで待たれてしまう。まあ……今が何時かなんて、既に分からんがな」


「それなんですが……あたしの相棒のエルフに聞いたんですが、その考えは間違っているかもしれません」


「どういうことだ?」


「ヴァンパイアには上位種が存在する。『始まりのヴァンパイア』と称される上位種は、完成形になると陽の光では弱らないそうなんです。血を吸えば吸うほどに強くなり、その力は支配者級マスタークラスに値すると。だから、血を吸う前に倒さないと厄介だと」


「しかし……異世界人大全には、そんなことは書かれていなかったぞ。何かの間違いじゃないのか? 相棒の勘違いだろう」


 あたしと全く同じ反応だ。

 公式書物の信頼性もさることながら、言っている当のエルフは怠惰で軽薄な奴なのだから。

 言葉の信用性など皆無と言っていい。


「勘違いなら、それに越したことはありませんが……。本来なら公式書物を信じたいところなんですけど、大聖堂の外で花の手入れをしていたシスターは、陽の光で全く弱っている様子もなかったですし。被疑者の味方をしている人間がいない限りは、あのシスターは始まりのヴァンパイアだってことになる。悔しい限りですが、クソったれ相棒の話が正しいということに」


「なら、どうしてお前はその相棒を連れて来ずに一人でここへ来たんだ」


「それは……」


 お前のことを助けるためだ──なんて言うのは照れくさいし、恩着せがましい気がした。

 こいつは別に助けて欲しいだなんて一言も言っていないし、そもそもあたしに「動くな」と言っていたのだから。


 床に迷わせた視線は、どう言おうか悩むあたしの心をきっちり表しているんだろうな。

 あたしは、無言を貫く。


 メガネさんも、それ以上問い詰めはしなかった。

 心なしか、困った妹でも見るような目であたしを見ている気がする。

 おい。この状況でディスってくんなよ? 喧嘩してる場合じゃないからな! あたしは、売ってきた喧嘩は買うからな!


「……ふん。二人いれば脱出方法くらい思いつくかもしれん。考えるぞ」


「はい」


 喧嘩にならなかったことにホッとしていると、カツ、カツ、と誰かが歩いてくる足音にふと気づく。


 あたしは、牢の床に落ちていたバッグを慌てて引っ掴み、魔蝕剣エクリプスを取り出した。メガネさんは、拳銃に手を伸ばして息を殺している。


 単純にワープだけの罠だったことが幸いした。その場で気絶させられるような罠だったら剣も奪われていただろうし、そうなれば確実に終わっていた。


 ここに閉じ込められている人間たちは、まだヴァンパイアじゃなさそうだ。

 ならば、推定した通り、奴らは捕まえた人間の血を片っ端から吸っているわけではないらしい。


「吸欲」の正体については、性欲に例えられ、説明がなされている。

 ならば、我慢できなくなった時にだけ吸うのだろうか。


 いずれにしても、全員をヴァンパイアにしてしまわずにこうやって貯めておくってことは、メガネさんの言う通り、ここは「貯蔵庫」みたいな場所なのかもしれない。

 

 さっきあたしは捕えられた人間のことを「ご飯」だと例えたが、どちらかというと、自分たちの性欲を満たすための奴隷と言ったほうが的確だ。

 あたしやメガネさんのことも、性欲処理のための性奴隷的な扱いだからこそ、いちいち運ぶ手間を省くために魔術で牢へ直行ってわけか。


 足音をさせていた人物が、鉄格子の向こう側に姿をあらわす。

 男だ。メガネさんは、彼を見るなり駆け寄って、鉄格子を掴んで叫んだ。


「市村! お前っ、無事だったか!」


「青木さん、この人が?」


 あたしは会ったことがないので分からなかったが、どうやらこの人が市村刑事らしい。

 短めの髪で、なかなかの美形。

 背は高くて筋肉質。Tシャツを着ているから体格はよくわかる。いわゆる細マッチョというやつだ。

 カーキのコートを着た「ザ・刑事」みたいなメガネさんとは一線を画す、イケメン男子だ。


「お前とお前。ついてこい」


「市村!」


 市村刑事は、メガネさんを無視して話を進めようとした。

 と、牢にいた大勢の人間たちが、口々に騒ぎ立てる。


「待てよ! 俺たちはどうなるんだ」 


「そうだ! ここから出せバカ、彼氏と待ち合わせだったのに! もう二日も待たせてんだよ、怒られちゃう」


「二日も待ってる訳ねえだろバカはお前だ! んなこと言ってる場合じゃねえんだよ、普通じゃねえだろがこの状況が」


「じゃああんたはどういう状況かわかるっての? 言ってよ! ああ、わかんないよね、じゃあバカと一緒じゃん! バカっていうやつはバカしかいねえんだよ!」


「んだぁ? ヤンのんかこのアマ」


 市村さんの瞳が、紅色にポワッと灯った。

 殺意の色で歪んだ口元には、長く尖った八重歯が見えた。


 市村さんは、牢に群がってきた一般人の一人を、鉄格子の隙間から拳を差し入れて、的確にぶん殴る。

 殴られた男は数メートル吹っ飛んだ。震える手で上体を起こし、思わぬ打撃で歯抜けになってしまった口を手で押さえながら、恐怖におののいた顔をする。

 一瞬にして恐怖支配された人間たちは、ざわめきを消して牢の近くからざざっと離れた。


「もう一度だけ言う。お前とお前。ついてこい」


 なおも、あたしとメガネさんを指差し、指示する市村さん。

 市村さんの様子を目の当たりにしたメガネさんは、鉄格子を掴んだままうなだれる。


 彼の気持ちを慮ると、はっきりと断言するのを躊躇してしまう。

 だが、今はそんなことで迷っている場合ではない。


「青木さん。ヴァンパイアに血を吸われた人間は、ヴァンパイアになります。そして、二度と元には」


「そんなこと……子供でも知っているさ」

 

 あたしとメガネさんは顔を見合わせ、アイコンタクトで意思確認をする。

 今更ここで逆らっても仕方がない。あたしたちは、おとなしく市村さんについていくことにした。

 


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