第10話 明滅する星

[side: カイル・フォン・エリシア]


 護衛騎士を殺害したセリスをホオズキ家が除籍したという報告があった。


「セリスにどう伝えるべきだろうか?」



 除籍されることでセリスが家に捨てられたと思ってこれ以上、傷つくことを避けたい。そう思い自分の中で一応は答えが出てはいるが、セリスのことは他の人の意見も聞いて決めるようにした。


「罰としてホオズキ家から除籍することを通達するのはどうだろうか?これだと家に捨てられたと感じないで済むであろうし、心の中に残り続けている人を殺した罪悪感が罰を受けたことによって幾分か軽減されると思うのだが」



「恐れながら、それはやめておいた方が良いかと。セリス様は今、非常に不安定です。罰という言葉に反応して、自分が捨てられたように感じてしまう可能性や居場所を失ったと感じてしまわれるかもしれません。ですので–––––」



 ドン ドン ドン ドン


 グレオ卿が返答をする大切なタイミングでドアが強く叩く音が響いた。そのまま私の許可を待たずに扉が開かれセリスのメイドのところに様子を聞きに行っていた騎士が慌てた様子で入ってくるなり、口を開いた。


「ホオズキ嬢が毒物を服用し命を絶とうとされました。現在、医者による厳重な経過観察が行われております。」


 報告を受けた瞬間、頭は真っ白になった。


「–––––セリス!!」


 思わず叫ぶようにその名を口にする。目の前の騎士が何を言っているのか、理解が追いつかない。セリスが毒を服用したという事実が、脳内で繰り返し反響する。


「嘘だろ……」

 声にならない声が漏れる。昨日話したとき、セリスの表情には一瞬の安堵さえ見えた。絶望を少しでも和らげられたと思っていた。それなのに、どうして。


 心臓が痛いほど早く脈打つ。息が苦しい。足元がふらつき、執務机に手をついてようやく立っていられる。


「医者は? セリスは……助かるのか?」


 声が震えるのが自分でも分かる。騎士は顔を伏せ、搾り出すような声で答えた。


ルシアン様医師ミリー様治癒師たちが懸命に手を尽くしておりますが、まだ……予断を許さない状況だと……。」


「くそっ……!」


 怒りと無力感が胸を締め付ける。セリスの苦しみに気づきながら、それを解消するどころか、結果として追い詰めてしまったのではないか。自分はセリスを救えなかった。セリスがここまで追い詰められていることに気づけなかった。


 ――は何をしているんだ。


 歯を食いしばり、唇から血が滲んだ。自らを責める声が頭の中で何度も繰り返される。


「……セリスを救え。今すぐだ。」


 彼は荒い呼吸を整えようとしながら、セリスのもとへ急ぐために執務室を飛び出した。



 心臓がドクドクとうるさいほど鼓動し、呼吸も荒く苦しいそれでも止まるわけには行かない。


 –––––セリス!!


 どうして、どうして自殺なんか。やっと昨日、セリスのことを知ることができたのに。





 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ 




 セリスの居場所を探して廊下を駆け抜けた。10人もの侍女や騎士に問いただしてようやく見つけた場所。その間に場所を聞かずに飛び出すという冷静さを欠いてしまった自分を何度も後悔したが、それどころではなかった。


 扉を開けると室内に漂う異様な匂いに思わず息を呑んだ。吐瀉物の酸っぱい臭いと、酒の匂いが混じり合っている。その奥には何人もの治癒師と医師に囲まれたセリスの姿があった。その光景が、セリスが倒れたという事実をまざまざと信じたくなかった心に突きつけられた。


 ベッドの上で横たわるセリスは、青白い顔で静かに息をしている。だが、その姿はまるで消え入りそうな幻のようで、胸がひどく締め付けられる。


「セリス……!」


 頼む……、頼むから消えないでくれ。


 声が震える。無意識にベッドに駆け寄りセリスの手を握る。その手には血が通っているはずなのに、まるで命そのものが抜け落ちてしまったかのような冷たさだった。その感触に心臓が凍りつくようだった。



「医者は治癒師は何をしている! セリスは助かるのか……!」


 怒鳴りたい衝動を押し殺しながら部屋を見渡す。すでに医師と治癒師たちは周囲で治療にあたっているようだが、その表情は重く暗い。


 それでもすぐそばでルシアン医師が指示を飛ばしている声が聞こえる。扉から薬を持った人が多く出入りしており、彼らが必死に命を繋ごうとしているのが分かる。


「殿下、応急処置はすでに施しておりますが、完全に安心するにはまだ時間が必要になります。毒が体に回る量を最小限に抑えられたかどうかが鍵です。」


 ルシアン医師の助手の報告に耳を傾けながら、はセリスの顔を見つめた。


 青白い顔、薄く開いた紫に変色した唇――セリスが生きている証を求めるように、その息遣いに目を凝らす。


「セリスは……助かるのか?」


「確約はできません。服用されたのは紫陽花毒を濃縮したものです、100mgという致死量に近い量を……。服用前から栄養状態が悪く、精神的にも……。」


 は酷い顔をしていたのだろう。ルシアン医師の助手はハッとすると言い訳をするように言い募った。


「しかし、初期対応が迅速でしたので、可能性は十分にあります。ホオズキ様の体力が回復の鍵となるでしょう。」


 その言葉に、胸中にわずかな希望が灯る。それでもセリスがなぜここまで追い詰められてしまったのかを考えると、胸の奥がえぐられるような痛みが走った。


「どうしてだ、セリス……」


 小さく呟きながら、その手をしっかりと握りしめる。


「殿下、これ以上は治療の妨げになってしまいます。」


 はグレオ卿の声に我に返り、セリスの手を少しだけ離した。だが、心の中ではセリスの元を離れたくなかった。


「わかった……」


 は部屋の隅に移動した。息を呑んで周囲の様子を見渡すと、ルシアン医師ミリー治癒師たちが懸命に動いている。セリスのために、何としてでも助けたい、その一心だった。


「でも、セリスがこんなことをするなんて……」


 漏れる声は震るえていた。頭が重く感じ手で支えた。これからはセリスを支え、力になろうと決意した直後の出来事だった。セリスの気持ちに気付くのが遅く、こうした選択をさせてしまった自分が許せなかった。


「セリス、どうか、どうか生きていてくれ。」


 医師たちが忙しく動き回る中、はセリスの顔をじっと見つめていた。目を閉じたその顔に、かつての元気な姿を重ね、何度も心の中で祈った。


 しばらくして、ルシアン医師に近づいてきた。


「殿下、少し安定しました。ホオズキ様の状態を説明したいと思います。」


 その言葉に、肩の力が抜け、少し安心した。まだ完全に安心できるわけではないが、少しでも回復の兆しを見せたことに、希望を見出すことができる。


「分かった、教えてくれ。」


「ホオズキ様は・・・」


セリスはネックレスの飾りに入っていた毒を飲んで自死を試みたようだった。


毒に使われた紫陽花毒は即効性のある、濃縮すれば非常に強力なもので措置が少しでも遅れると死ぬ可能性の高い。


そういう意味では幸運だった。セリスのいる部屋には多くの人が護衛として配置されていてその中で暗部の兵が毒の特定を素早くできた。


「分かった」


セリスの状態は少し安定したが、まだ危険がある。セリスの側をまだ離れたくない。けれど、王太子として執務を執り行わないといけない責任が私をこの部屋に居続けることを許さなかった。


執務が終わったらすぐに見にくるからどうか生きていてくれ――。

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