ゴーストザッパー
遠梶満雪
01. 亡霊退治人
暗がりには鼠が潜む。
汚水に湿った裏路地を、数人分の革靴が駆けていく。濡れ落ちた貼り紙を踏みつける。
港湾沿いに並ぶ、錆びた暗緑色の倉庫街だ。軍服の男たちが隙間を抜けていく。
その重たげな色合いの中で、白と空色の
それは若い将校だった。薄朱色の髪が柔らかく跳ねている。
目深に被った帽子に隠されているが、まだ二十の年にも遠いような幼い顔立ちだ。
肩章のついた外套は曇天の下にあっても未だ純白に輝いている。
青年は、ある一つの倉庫の鉄扉に向かって飛ぶように走っていた。
路地を抜ける。扉まで距離は二メートル。
狙いを定め、強く踏み切る。爪先がブロック床を砕いた。
大振りに回された
「
青年と、それに続き雪崩れ込んだ憲兵たちが、一斉に内へ拳銃を向ける。
倉庫の中には武器商人と、十数人の違法な傭兵集団がいた。
それから、彼らの背後に山積みの木箱があった。
「まずい、国軍だ!」
傭兵の半分は先頭に立つ青年の外套を見て腰を抜かして後ずさった。残りは動じず、小銃の引き金に指をかけ、じっと襲撃者たちを見た。
一触即発。ひりついた空気が頬をくすぐる。
「待ちな!」
傭兵の一人が鶴のように叫んだ。首領格らしい。彼は木箱の陰に隠れた部下を拳でぶん殴った。
「てめえの目の前にあるもんを思い出せ、間抜け!」
部下は頭を押さえると、途端に調子を取り戻して立ち上がる。
「そうだった! おい、軍人ども、そっちこそ動くなよ!」
部下が木箱の蓋に手をかける。中身を見せて脅すつもりのようだ。
ずるりと板を傾ければ、ぞっとするほど美しい光が顔を覗かせる。
箱の幽暗の中で薄荷色の結晶が仄明るく光っていた。
部下の傭兵は鼻を擦りながら、自慢げに箱を小突く。
「こいつはとんでもねえブツなんだ! 流れ弾一つ当たったら最後、ここら一帯お前らごと……ドッカーン! だぜ!」
部下はそう言うと、堪えきれないとばかりに口元を押さえ、下卑た大声で笑った。
照準器の向こうから青年が真剣な眼差しを向ける。鮮明な橙の瞳が煌々と睨んだ。
「それは────
青年の問いに傭兵の首領は鼻を鳴らして応える。それから、誰にも撃たれないと確かな自信があるかのように、ゆったりと懐へ手を入れた。
「おお、箱の中身は分かった上で来ているらしい」
引き抜かれた手に憲兵が警戒を強めるが、首領が取り出したのは古びたライターだった。
「なら知ってると思うが、こいつは勝手のいい
首領は箱の中身を恐れる気配もなく、悠々と煙草に火をつけた。紫煙が柔らかに渦を巻く。
彼は木箱にもたれかかって、青年のほうを顎で示した。傭兵たちが銃を構える。
「つまりこっちからは撃ち放題、しかしそちらさんは一発も外せないってこった。少し一方的な戦いになるな、気の毒だ」
憲兵たちが躊躇いつつ指に力を込めるのを、青年が片手で制止する。
彼らが何もできないと見て、首領は調子をよくして肩を回した。関節が小気味よい音を立てる。
「分かるだろ? 銃を下げろ。今すぐ小屋に帰るってんなら背中は撃たないでおくが」
青年は唾を飲んで右手で
「あくまでも投降の意思はないということですね」
首領はつまらなさそうに煙草をふかした。
「自分に有利な盤面で白旗上げる理由はないな」
「……そうですか。仕方ないです」
青年は諦めたように左手で帽子のつばを深く下げる。
次の瞬間、強く振りかぶって、首領の顔に銃を投げつけた。
「ぎゃっ!」
命中。弾倉部の角が額に直撃した。
首領はその場にひっくり返ると、気を失ったのか、それっきり動かなくなった。
「てめえ! 正気かよ!」
上擦った声で部下が怒鳴る。投げた銃が暴発でもして、弾がうっかり火薬に当たれば、仲良く全員で木っ端微塵になるところだった。
「この馬鹿を追い出せ!」
その声を皮切りに、周囲の傭兵たちが何発も弾丸を叩き込む。
しかし、青年は倒れなかった。
「……えっ?」
傭兵たちは青ざめた顔で呟いた。
青年の白い手袋が焦げついている。銃弾はすべて彼の片手の指に阻まれていた。
「心配せずとも、初めから弾は入れていません」
指の間からざらざらと、弾頭が床に落ちる。コンクリートを跳ね返るその甲高い響きが、開戦を告げる鐘の音だ。
一瞬で間合いを詰めた青年は、竜爪のように右腕を振るい、傭兵たちの胸倉を掴んで投げ飛ばす。大男を背負い投げ、瘦躯の顎を殴り抜き、武装した傭兵たちを文字通り一蹴する。青年が切り開いたあとを、憲兵たちが捕縛にかかる。
敵味方入り混じる乱戦となってしまい、引火を怖れる銃手は手出しができない。
ほどなくして、すべての悪党は青年に捻じ伏せられ、縛り上げられることとなった。
青年は傭兵たちの山の上に腰かけ、一息つくと、思い出したように慌てて最新式の携帯無線機を取り出した。
首を傾げつつ、不慣れな手つきで電波を合わせ、恐る恐る口を開く。
「ええと、こちらコディ・アヴァロン。あの、ただいま制圧終了しました」
そう言うと、青年は不安げに手元の小さな機械を眺める。
少しの沈黙のあと、無線から低い老人の声が返ってきた。
『コディか。よくやった。売人の様子はどうだ』
コディは目を丸くしたあと、すぐに振り返って憲兵のほうを窺う。しかし、尋問を行っていたらしい憲兵は、残念そうに首を横に振るばかりだった。
「……はずれですね。ただの末端業者のようです」
『やはり
「いえ。この取引を阻止したこと自体が、我々にとっては大切な一手です」
その迷いのない答えに、機械の向こうの老人は何か考え込んでいたようだった。
咳払いのあと、老人は声色を厳しくして話し始めた。
『……そうか。────コディ、早速で悪いが、次の任務がある』
「伺います」
コディはすぐに立ち上がると、憲兵たちから距離を取るようにして歩き出した。
無線機を耳元に近づけ、一言一句を聞き漏らさないように注意を払う。
『今回の件に関連して新たな火薬の流通ルートを確認した。場所はビクター島だ。仕度が済み次第、ただちに調査へ向かってくれ』
「了解」
帽子に手をかけながら、コディは力強く応えた。老人は言う。
『……君は、優れた猟犬だ。必ず反逆者を見つけ出すと期待している』
ここはセリファス。十五年前の大戦で死に損ねた悪霊が巣食う国だ。
病巣は切除しなければならない。たとえ、それが失血死を招くとしても。
『これは命令だ。
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