時代背景の殺人事件
森本 晃次
第1話 大日本帝国
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和6年1月時点のものです。このお話は、令和の時代から、昭和の過去の事件を振り返るかのような流れになっていますので、そのおつもりで、拝読願います。
最近の家族というと、
「あってないようなもの」
ということで、
「嘆かわしい」
という話をする人もいる。
家族がバラバラになることに対して、昭和を生きていた人間のほとんどは、
「昔はよかった」
というのではないだろうか?
しかし、果たしてそうだろうか? 今のような、
「個人主義」
といっていい時代の方が、
「昔の悪しき風習」
というものよりもよほどいいと思っている人もたくさんいるだろう。
昔は、家長制度なるものがあって、
「家の長である、父親が一番偉いというもので、親父の決定には逆らえない」
という、まるで、
「封建主義的な時代」
というものがあったといえるだろう。
特に昭和という時代は、そんな時代だったといえるだろう。
何といっても、今とはまったく時代が違っている。大きな影響というと、ちょうど、昭和が終わり、平成に入った頃の、
「動乱の時代」
の影響といってもいいだろう。
ただ、
「動乱の時代」
といっても、その表現や捉え方というのは様々であり、
「もっと前の時代が、動乱だった」
と思う人もいるだろう。
それは、その人が、
「どの時代を自分の大切な時代だったのか?」
と感じるかによって違う。
「その人の年齢によるものなのか?」
あるいは、
「年齢というよりも、生きてきた時代の考え方」
というものによるものなのか?
そんな時代と、年齢との関係が、さらに、
「昔からの風習であったり、考え方と結びつく」
ということで、例えば意見の合わない二人がいたとしても、そこにどれだけの年齢差、あるいは、土地柄というものがかかわってくるかということが問題になってくるといえるであろう。
同じ昭和であっても、
「戦後の動乱」
というものと、
「戦後復興時代」
から、
「高度成長に向けての混乱」
というのがあっただろう。
この時代においては、あまりにも復興のスピードが速いことで、乗り遅れてしまうと、おいつくことは、ほぼ無理だということで、一度落ちこぼれてしまうと、普通に追い抜かれてしまって、誰も助けてはくれない。
それが、昭和の高度成長期というものの、
「落とし穴」
というものではないだろうか?
全体的に見れば、
「それまでの我慢の時代から、自分さえしっかりしていれば、いくらでも這い上がることができる」
ということであるが、
「しっかりしていない人間は、置いて行かれるだけ」
ということで、その時代に、
「落ちこぼれ」
というのが生まれてくる。
大日本帝国時代というのは、
「国家主義」
であったり、
「全体主義」
というものがあった。
全員が全員、一つの方向を見て進んでいないと、取り残されてしまい、、さらに、国家体制に亀裂が生じる。
だから、一人でも、
「落ちこぼれ」
というものがいると、全体に影響するということになり、それこそ、
「腐ったミカンの理論」
ということになるだろう。
腐ったミカンを放置したりすると、全体主義が根底から崩れてしまうというもので、それは、
「他の場所に捨て置く」
としても同じことである。
それが、
「外国に追い付け追い越せ」
という時代の証明だといってもいいだろう。
戦後まもなくというと、敗戦ということと重なり、戦争中の大空襲により、都会は壊滅的な被害を受けたことで、住宅や食料などの、
「生活必需品」
というよりも、
「生きていくために、最低限必要なものすら手に入らない」
という状態であった。
家はなくなり、雨露や寒さからも逃れられない状態で、さらに、体力を持たせるための食糧もない。そんな状態において、
「ハイパーインフレ」
というものが起こり、世の中は、まったく、
「先が見えない」
という状態だった。
「ハイパーインフレ」
というのは、物資の極端な不足から、
「お金を持っていても、物資がないことから、その物資の価値というものは、最大級となり、お金というものが、まったくの紙くずといってもいいくらいになってしまっていた」
といってもいいだろう。
そんな状態で、時代は、
「生きるための動乱が続く」
ということになる。
少年は、
「その日の暮らしのために、靴磨きなどをして、お金をもらう」
という行動を起こしたり、
「戦災孤児となった少年は、かっぱらいなどをして、何とかその日の命をつなぐ」
などという、今の時代からは想像できないような努力をしたりしていた。
女の人は、占領軍の兵士に身体を売ったりして、家族を養うなどの努力があったりして、本当に、涙ぐましい努力があった。
食料も、配給制で、しかも、その配給も、ままならず、たまに配給されても、まったく食料といえるものではないほどのものだったという話をよく聞いたりしたものだ。
そのために、
「闇市」
というのが蔓延っていて、
「うまく立ち回る人は、そこから金儲けに走る」
という連中も出てきて、
「経済対策」
ということで、政府が出した対策に、
「新円の切り替え」
というものがあった。
その切り替えによって、それまで持っていたお金の過剰部分は、
「まるで紙くず」
ということになったが、闇市で、どんどん儲けている人は、新円切り替えを逆に利用し、
「金回りのよさ」
というものを利用して、まるで
「成金にでもなったかのように、暴利をむさぼるかのような状態になってきたのであった」
といえるだろう。
もっといえば、
「貧富の差が激しくなった」
ということであり、この時代の混乱は、
「闇市で儲けている人」
からすれば、
「お金さえあれば、なんでも手に入る時代だ」
ということで、
「これからの時代をけん引する」
という存在になり、その力が、戦後復興に役立つというわけなので、その存在を、
「悪だ」
と断定するには、早急ということであろう。
それを考えると、
「彼らのような存在こそ、必要悪だ」
といえるのではないだろうか?
そんな混乱の時代で、何とか生き延びたところ、占領軍による統治と、朝鮮半島における問題が、戦後5年しか経っていたいところで勃発してきたのだ。
元々日本は、朝鮮という国を、
「併合」
という形で支配していた。
「朝鮮総督府」
というものを置いて、日本国の一部ということになっていたのだ。
当時の大日本帝国とすれば、かつての、明治の大戦であった、
「日清、日露」
という二つの戦争において、基本的に、
「朝鮮を実効支配していた」
といってもいいだろう。
そういう意味では、
「朝鮮併合」
というのは、侵略とはいえないのかも知れない。
しかも、当時のイギリス、アメリカ、などの欧米は、
「日本の朝鮮半島の支配」
というものを認めていたのだ。
もっとも、それは、半分は、
「交換条件のようなもの」
ということだった。
当時の日本は、第一次大戦で、軍需景気に沸き、そのおかげで、
「世界の大国」
に名乗り出たのだ。
アジアでは、最大の新興国であり、軍事大国としても、大きな影響力を持っていたことだろう。
それだけに、日本と欧米は、ある意味対等なところもあり、
「交換条件」
という話も普通にあったりしたのであった。
というのが、
「朝鮮の支配を認める」
ということでの、
「米英での、アジアでの権益の問題」
ということであった。
それだけ、当時は日本が世界的に認めたことが、大きな影響力を持つということであっただろう。
というのは、
「イギリスに対しては、インドの実効支配を認める」
ということと、
「アメリカに対しては、フィリピンの実効支配を認める」
ということを交換条件に、日本にも、
「韓国併合を認める」
ということになったのだ。
「米英が認めたのであるから、他の国もそう簡単に、非難することはできない」
ということになり、それだけ、当時の日本が、
「世界の中心にいた」
ということになるのであろう。
その時代は、日本は、微妙な時代でもあった。
「第一次大戦では、好景気に沸いた」
ということであるが、その少しあとで、今度は、
「帝都に、大地震が起こる」
という自然災害に見舞われたことで、さらに、動乱の時代を予測させるものだったのだ。
さらに、世界は、
「ナチスの台頭」
「世界恐慌の時代」
さらには、
「ソ連による、社会主義政権の台頭」
ということで、日本は、国内に食糧問題を抱えていることもあって、軍部の力を必要としないといけない事態にもなった。
これが、日本が、戦争に突っ走るという状況になった、世界情勢であったのだ。
そんな時代において、やはり大きかったのは、
「世界恐慌」
と、日本国内の食糧問題だったのではないだろうか?
その二つの問題が、当時の日本の動乱を引き起こした。
ソ連の脅威に対して、
「満蒙国境問題」
というものがあり、さらに、
「世界恐慌によって、日本経済は、まるで天国から地獄といってもよかっただろう」
といえる。
しかも、世界の大国は、
「お金を持っている国だけで、経済圏を作る」
ということで、
「ブロック経済」
というものが起こったのだ。
これには、日本は入らなかった。
日本にとって致命的だったことは、
「資源が乏しい」
ということであった。
経済状況が悲惨な状態で、資源が取れないということは、貿易もままならないということであった。
しかも、当時の日本は、満州支配をもくろんでいて、中国による、
「反日運動」
というのも激化し、中国に対して、租借地であったり、貿易のかかわりを持っている欧米各国を、日本の動きは、
「注目に値する」
というものであった。
それが、世界情勢というものであり、
「日本は、反日の問題と、満蒙国境問題」
そして、
「国内における、食糧問題」
とを一挙に解決させるために、
「満州事変」
というものを画策したのだ。
これは、
「関東軍による暴走」
ということであったが、日本政府も追認したということで、のちに、
「軍部の暴走」
といわれるようになったゆえんであった。
そもそも、
「日本という国の体制」
というのは、他の国とは若干違っている。
「政府の下に軍部がある」
というわけではなく、
「軍部は、天皇直轄だった」
ということである。
天皇は、軍部を、
「統帥する」
という、
「天皇による統帥権」
というものが、
「大日本帝国で保障されている」
ということになっている。
つまりは、
「政府であっても、軍の作戦には口を出せない」
ということになる。
それが、
「軍部を独走させる理由」
となったのだ。
そんな時代に起こったのが、
「226事件」
というものであった。
これは、
「軍部が、満州事変において、なかなか進まない経済復興や、世界からの孤立というものに憂慮し、政府が、私腹を肥やしている」
ということで、その元凶となる人たちを暗殺するという事件であった。
しかし、それは、
「建前として言われていること」
ということであり、実際には、歴史が証明していることとして、
「陸軍内部の派閥争いだ」
ということであった。
当時の陸軍には、
「皇道派」
という勢力と、
「統制派」
という勢力があり、
「統制派」
というのは、エリート集団で形成されていて、
「皇道派」
というのは、農村出身者の貧しくて、教育も受けられなかった人たちだったというのが一般的な見方であった。
つまり、
「統制派は、キャリア組」
であり、
「皇道派というのは、ノンキャリア組だ」
といっても過言ではないだろう。
実際に、満州事変から、陸海軍でいろいろな事件があった。
海軍からは、
「犬養首相を暗殺した」
といわれる。
「「515事件」
であったり、陸軍としては、
「永田鉄山軍務局長の暗殺」
といった、事件もあった。
そこで起こったのが、
「226事件」
であった。
これは、本来なら、
「天皇の命令なくして動かせないはずの軍隊」
というものを使っての、
「軍事クーデターだ」
といえるだろう。
つまり、軍事クーデターというものをいかに引き起こしたのか?
ということであり、それを、天皇は見抜いていたのだ。
そもそも、暗殺された人物は、
「敵対する統制派に与しているかのような政府要人」
ということであり、そのほとんどが、
「天皇に対して、進言を行う人たちだった」
というわけである。
天皇からすれば、自分の軍隊を勝手に動かされて、自分を補佐してくれる人たちを、派閥争いで殺されたのだから、これは、我慢ができないといってもいいだろう。
だから、天皇は、二の足を踏む陸軍に対して。
「お前たちがしないのなら、自分が自ら軍を率いて、鎮圧をする」
とまで言ったのだ。
さすがに、陸軍首脳は青ざめたことだろう。天皇にそんなことをされては、軍部首脳として、恥ずかしいというどころか、
「切腹ものだ」
といってもいいだろう。
だから、軍隊は、彼らを許さず、投降してきた青年将校を、裁判で、弁護人なしの、非公開で、
「全員死刑」
ということにしたのだった。
次第に軍部の暴走というものが激しくなると、世の中は、
「国防と、アジア進出」
ということで、マスゴミも騒ぎ出し、軍部も国民を煽るようになり、さらには、戦時体制というものが生まれてくる。
実際に世界情勢が、そうなってきているのだから、しょうがない。
しかも、日本は、満州事変を、
「自衛のため」
といっていたが、国際連盟の裁定は、
「自衛のためではなかった」
ということで、満州国を承認されないという事実から、国際連盟を脱退してしまった。
それにより、世界から孤立してしまった日本は、全体主義を目指す、ファシズム国家の、ドイツ、イタリアとの同盟に走ったのであった。
これは、アメリカ、フランス、イギリスと敵対するということになり、そこが、今度は
「資源のない日本」
にとっては、致命的となり、
「大陸、あるいは、南方に進出する」
ということしかなくなったのだ。
しかも、アメリカを中心として列強が、経済制裁をしてきて、それを解く条件として、
「大陸からの撤退」
をはじめとして、
「明治維新の状態に戻る」
というもので、到底受け入れられるものではなかった。
これを受け入れてしまうと、それまでの戦争で死んでいった英霊に済まないという思いや、日本国民全員を裏切ることになるということ、
何といっても、満州は、食糧問題を抱えていたことを思えば、今度こそ、本当の食糧問題が大きくのしかかり、国家の滅亡を意味するということになるだろう。
それを思えば、前に進むしかなかったのだ。
アメリカを中心とした列強も、そんなことは分かっていて、日本に、南方進出をさせておいて、その事実を元に、
「アメリカの世界大戦への参戦」
というものを実現させようという狙いだったのだ。
それは成功し、日本は、戦争に引きずり出された。
本来なら、最初に連戦連勝を勝ち取り、半年ほどで、
「相手に、戦意を喪失させ、いい条件で講和を結ぶ」
という方向しかなかったはずで、実際に、連戦連勝には成功したが、今度は、マスゴミの煽りであったり、軍部が過信したことからの驕りによって、戦争をやめることができなくなった。
これが、日本を亡国に導いたのだった。
戦時体制において、次第に追い詰められていく。制海権も、制空権もない状態で、勝てるわけもない。そうなると、物資や兵の輸送も、相手に待ち伏せされ、すべてを失うということになれば、国内も戦場も物資不足となり、戦争どころではない状態で、最悪の
「玉砕戦法」
ということになる。
本土に敵国の支配が近づいてくると、本土空襲に見舞われる。
毎日のように、大空襲が、日本の都市のいくつかで行われ、最終的に、原爆投下、さらには、講和条約の仲介ということで期待していたソ連が、攻め込んでくるということになり、完全に、戦争完遂が不可能となり、無条件降伏となった。
つまり、本土は焦土と化し、住宅、食料、すべてがない状態で、占領軍の統治を受けるということになったのだ。
そうなると、大混乱も当たり前のことだった。
それでも、日本の運がよかったというべきは、
「朝鮮半島の動乱」
であった。
連合国は、日本を民主主義の防波堤にしようと試み、
「非武装、民主化」
を押し進めてきた。
しかし、朝鮮半島の動乱が、
「日本の米軍基地からの連合国の参戦」
ということになり、
「武器弾薬を日本で調達」
ということになった。
しかし、日本国憲法によって、参戦することはできない。
そこで、日本は、武器弾薬だけwp供給するということになり、ここで、
「軍事特需」
ということになり、経済が一気に回復するという、
「奇跡」
を起こしたのだ。
実際に、戦後10年ほどで、
「もはや戦後ではない」
という復興を遂げ、戦後20年で、
「復興の証」
として、東京オリンピックが開催され、さらに、戦後25年で、今度は、大阪万博というものが開催されるということで、その頃から、
「高度成長期」
に日本は入ってきたのだ。
電化製品なども新しく開発されていき、そこに日本も乗っかったといってもいいだろう。
それが日本国の復興と、新たな日本が出来上がったのであった。
ただ、そのために、いろいろな犠牲もあった。
公害問題であったり、貧富の差の激しさなどが、大きかったであろう。
それでも、国民の生活水準の発展は目まぐるしいものがあり、戦後30年以上経ったときには、
「世界で一番豊かな国」
といわれるまでになったのであった。
ただ、時代は、バブル経済から、さらに、
「バブル崩壊」
という状態になり、戦後最大の大不況となったのであった。
その頃から、それまでの戦後を支えてきた日本の特徴も次第に変わっていき、それ以降日本では、
「失われた30年」
などといわれ、今の時代がひどい状態になってきたということであろう。
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