警察が正義なのはフィクションだけ

シモルカー

プロローグ

 警察が正義なのはフィクションだけ。


 ネットニュースにそんなコメントが書き込まれていた。

 警察がネットで叩かれる事なんてよくあることで、見慣れたものの筈なのに、何故かその言葉が頭から離れない。

 ニュースの内容すら思い出せないのに、何年前に見たかも思い出せないのに、何故かその言葉だけが呪いのように俺の中で在り続ける。

 そして、それは今も――


       *


 五月六日。時刻、十七時三〇分と二十五秒。


 滝の音が叫ぶように響く、崖の上。

 対峙するように二つの影が伸びる。


 ひとつは警察官の制服を着た、目つきが鋭い若い男。

 そしてもうひとつは、漆黒のコートを羽織るように両肩にのせた色白の青年。

 警察官の男は憎悪を含んだ眼光で睨みつける。対するコートの男はその殺意すら愛おしいとでもいうように嬉しそうに微笑む。

「さながらシャーロックホームズと、なんか悪奴の奴みたいだな」

 そう警察官の男が言うと、コートの男はくつくつと笑った。

「キミらしい感想で、安心したよ。やっぱりキミを選んで正解だった……本当に、キミに会えて良かったよ……藍沢あいざわ 正義まさよしくん」

 コートの男は、舞台役者のように大袈裟に手振りしながら言う。

「あぁ名前通り、正義感あふれるキミなら、きっと僕の望みを叶えてくれるって信じていたよ」

「相変わらず中二病みてえなことしか言わねえんだな。そろそろ卒業しねえと、世間に置いていかれるぞ……赤羽根あかばね 真実まこと

 憎たらしげに警察官の男――正義まさよしがその名を呼ぶと、やはりコートの男――真実まことは愛おし気に微笑んだ。

 その時、タイミングを見計らったように差し込んだ斜陽を遮り、雨を含んだ雲が夕空を覆い隠した。

 そしてぽつりぽつり、と静かな雨が降り出す。

 五月といえ夕暮れ時の雨は冷える。

 体温が冷える前に、この男と決着を付けなければならない。

 そう思ったのは正義まさよしだけではなく真実まことも同じだったのか――突然消灯するように笑みが消えた。

「赤羽根、お前はもう終わりだ。多くの人に『殺めるきっかけ』を生んだお前は、立派な罪人だ」

「あれ? でも僕は法律を犯してはいないよね? キミだって、それが分かったから、こういう手段に出たんだろ?」

「……罪を罰によって清算される。罰という清算の機会を失えば、人は永遠に罪を背負う事になる。だから、国が、法律が、秩序が、お前を裁かないっていうんなら、俺がお前を裁く!」

「あぁ……キミならそう言うだろうね。僕が選んだキミなら……

 そう言いながら、真実まことは一歩ずつ崖に近付く。

 仄暗い滝壺へと。

「だけどね、正義まさよしくん。キミには正義のままでいてほしいんだ。キミは、まだその手を汚してはいけない。僕が、汚させはしない。だから、どうか忘れないでね……所詮、キミはフィクションの正義に過ぎないってことを」

「逃げるのか、真実まこと!」

「……逃げないよ。ただ先に行くだけ。ほら始まるよ……次はキミの番だ。だから早く……」

 真実まことは両手を広げながら大地を蹴った。

 けたたましい滝の音が鳴る中で、漆黒のコートだけが水面に浮かび――



 すぐ傍で、そう囁かれた気がした。

 正義まさよしは上着に突っ込んでいた手を外に出す。そこには拳銃ではなく、手錠が握りしめられていた。

「……」

 彼が飛び降りた滝壺には見向きもせず、正義まさよしはただ手錠を見つめていた。

 やがてサイレンを鳴らしたパトカーが駆けつけ、他の警察官たちが現れても、正義まさよしはただ手錠だけを見つめ――小さく笑っていた。


「警察が正義なのは、フィクションだけ、か……」

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