第一話-7

 ギルキリア地方工業大学の学祭を楽しんだ後は、ベルフィ湾の水晶港を見学したり、幽灘の服を見繕ったりして一日を終えた。ゴールデンウィークの休暇が終わった零火は日本に帰り、冬雪や幽灘は、初等学校編入や魔道具屋の本格的な営業の準備に取り掛からなければならない。……冬雪は、その前にやらねばならないことがあったが。


 幽灘が眠った深夜、冬雪は黒いコートを着込んで家を出た。寒流と季節風のギルキリア市の五月初頭、夜中はそれなりに気温が下がる。寒がりな人間であれば、コートを着ていること自体はさほどおかしなことではない。もっとも、冬雪がコートを着込んでいるのは防寒だけが理由ではないのだが、とにかく不審でも何でもないことは重要である。


 愛車のフレイルで国道を走り、やがて辿り着くのはある高層建築物の駐車場だ。そこに車を止め、エレベーターに乗り込み、決められたリズムでボタンを押す。表向きは国が管理する電話交換所、しかし存在するはずのないその地下深くには、冬雪たちにとって重要な施設がある。


 岩倉美花、ヴェルナー・アイスナー、アーニャ・イルムガード・アイスナー、そして冬雪夏生。四人の三等工作員をようするスパイチーム『幻影』の拠点『幻想郷』である。


 エレベーターを降り、通路を奥に進んでいく。突き当りにある一枚のドア──ではなく、向かって右の壁にかかった電灯を掴み、冬雪は右向きに捻る。すると壁に隙間が生まれ、静かだが重い音を立てて、壁が奥にずれていく。厳重に守られた部屋の奥に、目的の人物はいた。


 コードネーム『断狭だんきょう』、アルベルト・トパロウル一等工作員。それが彼の名だった。まだ現役工作員として前線で動けるほど恵まれた筋肉の鎧をまとい、執務室の机で書類仕事に精励する、『幻影』の当代ボス。冬雪たちにとって、直属の上司に当たる。


「どうも、連邦のスパイを二名捕らえたことについて、何か訊きたいことがあるとか」


 そんな緊張感とかけ離れた口調で、冬雪は話しかけた。実際、アルベルトは堅物ではないのだ。真面目ではあるが、真面目を嫌って今の地位にいる、などと話していた記憶すらある。


「昨日の敵は探偵に、今日の敵は事務員に、それぞれ与えられた任務だったはず。報告もその二人がすると聞いていましたよ。ボクはただ手を貸しただけですが、それが何か?」


「なに、ただの確認だ」


 獰猛な、獰猛なだけの笑みで、アルベルトが訊く。


「探偵も事務員も報告が不真面目でな」


「真面目嫌いのボスがそれを言いますか」


「お前さんに手伝わせたというこの二件、お前さん自身はその場にいなかったそうじゃないか」


「ですねえ」


「故に手伝ったと言われても、何をどうしたのか判断がつかなくてな。どこで何をしていたのだ?」


「手の内を明かさなくてはいけませんか」


「報告書に書かずとも、知っておかねば俺が上に苦情を言われる」


「中間管理職というのも大変ですねえ」


 実際他人事なので、冬雪はどこまでも他人事に返答した。とはいえアルベルトは彼に『幻影』加入を認めた人間ではある。上層部に苦情を言わせたいわけでもない。


 冬雪が右手を伸ばすと、空中に金色の円盤のような光源が現れた。彼はその中にそのまま手を突っ込み、中から対人狙撃銃──フュールを取り出す。


「昨日のはこれです。狙撃で車のタイヤをパンクさせました」


「今日のは?」


「分身を」


「……お前さんの実力を疑うわけではないが、そんなことが可能なのか?」


「実際に見なければ信じられないのも無理はないですね」


「この場で実演はできないか」


「あれ、疲れるからあまりやりたくなんですよねえ」


「ならそういうことにしておこう。しかしお前さん、魔法能力には自信があると言っていた割に、あまり魔法の種類を使っていると聞かないな」


「そりゃあそうです」


 当然とばかりに肩を竦める冬雪に、トパロウルは興味深そうに尋ねた。


「なぜだ?」


 こちらは隠すようなことでもないので、冬雪は右手の指を一本ずつ立てて話す。


「一つには、大抵の敵は銀魔力で充分なので、魔法の種類をいろいろ使う必要がないこと」


「他にもあるのか」


「一つには、使っていることを誰も気付いていないこと」


 聞こえようによっては絶妙に恐ろしいことを答え、冬雪は『幻想郷』を去った。

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