第39話 邂逅

(おい、起きないか?夢は、もう終わったぞ)


 どこかから、声が聞こえる。水の中で聞いているような、籠った、響きの独特な声だ。その声の色、そして、言葉遣い……どこかで聞いたことがあるような。


(おい、起きろ。お前の世界に、戻ってきたんだ!)



 その声の主は、叫んでいる。


(お前が会いたいといっていた、【俊也】が戻ってきたぞ!)


 私は……女のほうの赤首ツバキ【佐紀音】は、はっとした。



 意識が、どこまでも深く、暗い闇の中から、急速に浮上する。まるで、水面から顔を出すようにして……



――佐紀音は、目覚めた。


 見上げる天井は白く、窓から覗く空は、青色をしていた。雲が悠々と流れ、太陽は、白っぽく輝いていて温かい陽光を差し向ける。



 戻ってきたんだ、【私】の世界に。


「はっ!???」


 長い夢だった。


 鏡を通って、俊也を探しに【救世主】と様子のおかしい街を、舟に乗って巡った。血の涙を流す太陽……壁が崩れたお菓子の家、地面に満ちた赤黒い液体、不気味な赤の空……そして、【彼】が過去に見た光景が、彼の感情が、彼が感じた痛みが、いまだに鮮明だった。



 まるで、佐紀音が、過去の俊也の体に憑依したみたいに、痛みを、心臓の高鳴りを、悲しみの涙の味を、覚えている。



「あ、起きた」


 聴き馴染みのある声だ。



 低くて、しかし空間に通る声の主、俊也が、佐紀音の眠っていたソファーの傍らに立っていた。


 彼は、大学の講義を終えて、買い物をして帰ってきて、鏡を超えて、こちらの世界に来たのだった。



「俊也ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

「え、は?何?どうした……?」


 佐紀音は、感情の波に飲まれるままに、俊也の体へと飛びついた。彼の首元と腰に手を回して、頭をこするように撫でまわした。


 唐突に抱き着かれた俊也はフローリング床に倒れこみ、尻もちをついて、仰向けになった。終始、困惑していた。



「俊也ぁぁぁぁ!!会いたかった!!辛かったよねぇぇぇ!!」

「え?あ、ああ、俺も会いたかったよ」

「俊也が、あんなにつらい過去を持ってたなんて、私、知らなかった!!分かってあげられなくて、ごめんねぇぇぇ!!」

「あ?何のこと?過去って……」


 なぜ、俊也が、私の未成年喫煙に対して、あんなに強く言って反対してきたのか。


 なぜ、俊也が作詞作曲の才能を隠し持っていたのか。


 なぜ、勉強に熱心で、資格をたくさんもっているのか。


 なぜ、他人との恋愛に興味が無いのか。


 なぜ、人生経験豊富なケンジと話が合うのか。


 なぜ、楽しいことに本気になれるのか、必死で努力するのか。


 なぜ、必死に生きようとするのか。


 なぜ、彼が強く生きているように見えるのか。



 それらすべての疑問が日の目を見て、明らかにされてた。救世主という、あの狐のお面の女が見せてくれた夢が、彼の過去を物語る景色だったから、それが、すべて理解わかったのだ。


 本当につらい思いをして生きていたのは、私じゃなくて、俊也のほうなんだ。


 それが悲しくて、虚しくて、申し訳なくなって、彼の白いTシャツの胸元を涙で汚した。


「っ、ああ!!気づいてあげられなくて、ごめんね!」

「いや、だから、何のことか説明してくれないと、わかんないって……困ったな」

「っ……うううううぁぁぁぁぁぁ!!」


 息が詰まった。頬が熱くなった。



 もう、体中の水分が抜けてミイラになるのかってぐらい、涙を流した。


「っ――」


 俊也は、胸の中でむせび泣く彼女を腕に抱えていて、気が付いてしまった。


――彼女の左手首に、真新しい傷跡があることを。



 そんな彼女を、俊也は、ぎゅっと優しく、しかし固く抱きしめてやった。無言で、何も言葉を発せず。



――辛い思いをしてるのは、俺だけじゃないんだな。

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