第28話 威光の屈折

  ふかふかなベットの上に、佐紀音は、体を預けていた。


 ふと、音楽を聴きたくなって、スマホの電源を入れた。


 音楽サブスクを漁る。推しのアイドル【デルタフルーツ】の歌を聴こうかな?それとも、気分を上げるためにアニソン?ボカロ?


――いつの間にか、自分のオリジナル曲【カメリア】を聴いていた。



 どうしてこの曲は、こんなに私の心を惹きつけるのだろう。どうして、歌詞の意味がよく分からなくても、曲の世界観に没入できるのだろう。


「俊也……」


 そうだ、この曲の作詞作曲をしたのは、彼だ。


 彼は、鏡の中から出てきた、もう一人の【私】。


 私の最もな理解者が作った曲だから、心を強く惹かれたんだと、佐紀音は、気がついた。


同時に、過去の嫌な思い出を思い出してしまった。


 お父さんに「大学はどうするんだ?」と訊かれ、お母さんに「就職って考えてる?」と訊かれる度に、心が縄で締め付けられるような痛みを覚える。


 配信活動とか、Vライバーが、いつまで仕事として成り立つのかはわからない。長く配信をしている私にも、リオンちゃんも、聡明なる俊也も、ケンジも、「分からない」。



 Vライバーという活動が私の生命線であるし、なにより、たくさんの人と触れ合える配信が大好きだ。


 けれど、流行が過ぎれば、業界が廃れる。そうなったら、私は、どうすればいいのかな?


 ロクにアルバイトもしたことがない。高校だって、配信ばっかりで勉強も部活も、二の次になっていた。俊也のように勉強ができて、資格を持っているわけでもなく、ケンジのように、イラストやCGの才能があるわけでもない。はたまた、リオンちゃんのような人脈の広さも、私には無い。



 「隣の芝は蒼く見える」とは言うけれど、私は、俊也やリオンちゃんやケンジと比べて、あまりにも空っぽな人間だ。


 将来、私はどうなるのかな?


「んんんん」


 枕に顔を押し付けた。奥歯をぐっと噛むと、歯茎がじーんとする感覚を訴える。口を結ぶのだけれど、涙を、止めることができなかった。



 流れ出すと、止まらない。川の堤防が決壊したみたいに、流れて、頬を伝い、枕をグシャグシャに濡らす。頭が、不安でいっぱいで、溢れ出した感情で頭痛が起こる。



――この気持ちを、今すぐに話したい。



――誰かに、分かってもらって、共感してもらいたい。


 ケンジは、夜型の人間だから、夕方の時間帯は寝ている。リオンちゃんは、今日は歌のレッスンに行っている。



 私のことを一番に分かってくれる俊也は、今日は、鏡からこちらの世界に来ていない。なぜなら、大学に行っているから。


 どうすれば、この不安は消えるのかな?どうすれば、俊也みたいに、資格をいっぱい取って、勉強に励んで、将来を明るく見据えられるかな?どうすれば、俊也みたいな、自信と余裕に満ちた顔ができるのかな?どうすれば、俊也のように才能を見つけられるのかな?



「俊也……!」


 ベッドから立ち上がり、矛先の向けようがなくて、治めどころのない感情を切るために、道具棚の中のカッターナイフを手に取った。


「っ――」


 息を止めて、カッターナイフの刃を左手首に当てがう。そこには、過去に刻んだ白い傷があった。……3ヶ月ぶりくらいか。



 その傷の上に重ねるようにして、ぐっと力を込めて、刃を入れる。


 幼いとき、包丁で指を切ってしまったことがある。そのときの、鋭い痛みに似た感覚が、手首に乗り移った。



 赤い鮮血が、手首を伝った。


「んっ」


 私の頭は、薬を打たれたかのようにボーッとした。そのあとに、急に冷水を被せられたように、気持ちが落ち着く。――私は、いったい何をやっているんだろう、と。


「はぁ、」というため息が、部屋に響き渡った。


 カッターの刃に付いた血と、手首から流れ出した血とをティッシュで拭い、それらに消毒液を吹きかける。自分の罪を代わりに訴えるように、消毒液が傷口に、じんわりと染み渡り、チクチクと痛かった。



 床に放置されている化粧台の鏡を見る。


 やはり、変わらず、俊也が存在している世界の【私の部屋】が映し出されている。



――そういえば、俊也の世界に行ったことなかったな。


 あっちの世界は、ここと同じ風景をしているのかな。



 私は、洗面所に向かった。

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