公爵令嬢、ギルドに加入する
リザルドを自らの牧場に迎え入れた翌日、サンクトゥルシアは王都ガナドラルクスの大通りに馬車を走らせていた。
センぺドミニカ公爵家の森に聳える城の紋章とサンクトゥルシア個人を表している光輪を纏う八芒明星の紋章を左右それぞれに掲げた馬車は、先触れで走る従者の良く通る声も相俟って道行く人々の貴賤を問わず道の端に下がらせて悠然と目的地へと進んでいく。
程無く到着した王都でも規模の大きな石造りの建物に横付けされて馬車は停まり、カルペディエムの手にエスコートされてサンクトゥルシアは一歩ずつ優雅に馬車のタラップを踏む。
そうして石畳の上に降り立ったサンクトゥルシアは目前の建物を見上げてその天辺ではためく石を噛むリザルドの紋章を見上げる。
ここはリザルドギルド。その名の通りリザルドを生産、飼育、運用、売買する職人や商人、そしてそれらを取り纏める貴族が所属する互助組織である。
サンクトゥルシアはその堅牢で威風溢れる協会の正面玄関をカルペディエムに開け放たせてヒールの靴音も高らかに越えた。
カルペディエムが玄関の扉をゆっくりと閉める間にもサンクトゥルシアの登場に目を見開き息を飲む人々の気配が殺到する。
けれどサンクトゥルシアは手を前に組んで真っ直ぐに屹立したままに涼しい顔をしてただただ黙っていた。
重さで軋み、合わさる瞬間にも号砲のように音を響かせる扉を閉め切ったカルペディエムは、徐にサンクトゥルシアの斜め前へと歩を進めて、深く息を吸い込んで声を作る。
「サンクトゥルシア・ジェラルディン・センぺドミニカ公爵令嬢、お約束の刻限通りリザルドギルド本部へと罷り越しました」
オルガンのように巨大な石造りの隅々まで染み渡るカルペディエムの美声に何人かの女性職員が頬を赤らめる中で、サンクトゥルシアは赤いスカートの裾を摘まんで僅かながらに持ち上げる。
誰の声を聞くまでもなく、きっちりと二秒でスカートを手放して裾を落としたサンクトゥルシアの前へと一人の身形の良い壮年が進み出て右手を胸に置き腰を曲げて礼をした。
「お日柄もよく、我がリザルドギルドの本部へセンぺドミニカ公爵令嬢様をお迎え出来ること、光栄の至りにございます。本ギルドの専務のウィリアム・ジョン・ドラグニオンが謹んでお出迎え及びご案内を務めさせていただきます」
実質、リザルドギルドの業務の取り纏め役である職員の出迎えにサンクトゥルシアは当然とばかりに頷いてみせる。
「よろしく」
言葉少なに労えば、ウィリアムは再度深く頭を下げてサンクトゥルシアを先導した。
そうしてサンクトゥルシアは人目のない通路を歩んでギルドの最奥にある部屋へと案内される。
ウィリアムが他の部屋とは全く質の異なる豪奢な樫の扉を開き、まずはカルペディエムだけが先に入室する。
「サンクトゥルシア・ジェラルディン・センぺドミニカ公爵令嬢、お約束の通りサイブレッド公爵閣下の元へ馳せ参じましてございます」
「うむ。入りなさい」
カルペディエムによる参上報告を部屋の主に承知頂いてサンクトゥルシアはしずしずとヒールの音を一つも鳴らさずに石床に歩を進めて毛足の長い絨毯へと足を踏み入れた。
まだウィリアムの手で開かれたままの樫の扉を背にして、サンクトゥルシアは左足を後ろに右足と交差させて深く膝を降り、腰を落とすことで背筋を伸ばしたままに
「サンクトゥルシア・ジェラルディン・センぺドミニカにございます。本日は御多忙の中、フィンバルブ・アルトニバス・サイブレッド公爵閣下に御挨拶と御指導に時間を割いて頂き望外の歓びを拝しております」
「なるほど、美しき姿と麗しき言葉の挨拶だ。これだけでも久方ぶりにセンぺドミニカ公爵令嬢と会うに値するというもの。お掛けなさい」
サイブレッド公爵は長年の功労を皺と刻んだ手を差し伸べてサンクトゥルシアに自分と向かい合う席を促す。
畏まってサンクトゥルシアが礼を解いて顔を上げれば、老齢で枯れた古木のような顔に爛々と輝くサイブレッド公爵の眼が見えて親愛の微笑みを浮かべる。
「公爵閣下に置かれましてはますます御健勝の御様子、尊敬致しますわ」
「若い者に目を光らせておかぬと覚束ない足元を掬われるのでな。老体に鞭を打っておる」
サンクトゥルシアの心からの称賛にも如才なく返すサイブレッド公爵はどんなに高齢であっても現役だという事実を知らしめてくる。
そも、リザルドの血統を管理、承認するサイブレッド公爵家がより年嵩の者を当主として頂く気風だとは言え、それが形骸と化していないのをこの老人は遺憾なく示している。
二人はしばしお互いの近況や健康について歓談した後に本題へと移る。
「して、ニアクリスタル号を購入したそうであるな」
現役の公爵、それも自分どころか父親であるセンぺドミニカ公爵よりも遥かに年を重ねたサイブレッド公爵を相手に、先に口火を切る権利をサンクトゥルシアは持っていない。
それ故に話したい内容を出すのは先方の御考慮に甘んじるしかない。
サイブレッド公爵こそニアクリスタルの異動に認可を押した本人であるのだが、けして断言をしないのはサンクトゥルシアの立場、つまりはニアクリスタルの所有権を尊重してくださっているからこそである。
「ええ。その節は公爵閣下にもご尽力頂き、重ねて感謝申し上げます」
「尽力などしたものか。私の元に話が来た時にはしっかりと頷かざるを得ないだけの説得材料を揃えておったろうに。
「女であるからこそ、王家とこの国を支える役割もございましてよ」
年老いた貴族らしく男性優位の社会を前提に語るサイブレッド公爵にサンクトゥルシアはさらりと自分の考えを主張する。
男も女も、母からしか生まれてこない。さらに男というものは自分を理解して後押ししてくれる女を求めるものだ。
そこまではっきりと事細かに言って差し上げるつもりはないサンクトゥルシアは湯気と共に良い香りを立てる紅茶を口に運ぶことで言葉を区切る。
「一理はあるな。まぁ、
それは普通であれば窓口に立つ平民の職員が文書を渡して済ませるようなものであるが、公爵令嬢という立場にある者に対してそのような態度を取れるものではない。
だからギルドの最高顧問であるサイブレッド公爵自らがサンクトゥルシアを本部へと呼び寄せたのである。
リザルドとはハイランディア王国にとって強大な軍事力であると同時に莫大な資金源でもある。
しかし宝石や鉱石を食して能力を伸ばすという生態は、金のないものにリザルドの飼育を許さない。リザルドギルドとは何よりもその一点を解消するために設立された組織である。
仕組みとしては先達がギルドに対して出資を行い、ギルドはそこから宝石や鉱石を購入して保管し、リザルドを飼育するギルド加入者に対してそれを融通するというものである。
勿論、ギルド加入者も頼めばそのままに高価な宝石や鉱石を譲渡される訳ではない。申請者に対してギルドに出資した者が審査を行い、これと見込んだ人物、時に見込まれるのは飼育者ではなくリザルドそのものであったりもするのだが、そのように評価を得られた者にだけギルドで管理する宝石や鉱石は消費される。
さらにギルドから宝石や鉱石を受け取るには、ギルドが定めた金額を支払う必要もある。ギルド員向けで割引されているとは言え、元が高価な代物だ。即金支払い出来ない民間の業者などはリザルドを販売する時に得られる利益からそれを後払いするものも多い。
「まぁ、このような制度、
サイブレッド公爵は長々とした説明を言い切って少し掠れた声でそう付け足した。
その制度で出資者となるのは業界の発展や後進の成長を願う引退間近のギルド員ばかりであり、またその恩恵を望むのは資金の少ない民間や新興商人くらいのものだ。
個人でも才覚を既に表して様々な事業で既に潤沢な資産を抱えているサンクトゥルシアには無用の長物だとサイブレッド公爵は見込んでいた。
そこまで話を聞いてサンクトゥルシアは優雅に微笑んだ。
「では、私もその制度を利用させて頂きます」
「何?」
サンクトゥルシアの予想外の言葉にサイブレッド公爵は眉を顰める。そして勘違いがないように補足を始める。
「ギルド管理の宝石や鉱石には確かに稀少な逸品も入って来るが、正規の値段で買い上げることも可能であるぞ」
ギルドに渡ったからと言って門外不出になる訳ではないと伝えるサイブレッド公爵をサンクトゥルシアは強い眼差しで見返す。
「そこも既に弁えておりましてよ。私は出資者として、百アクレをギルドに納金させていただきます」
サンクトゥルシアの発言に、今度こそサイブレッド公爵は目を見開いて言葉を失った。
ハイランディア王国の最高貨幣であるアクレ金貨は一枚で一般的な農民一家族が一年間暮らしていける価値を持つ。
それを百枚も積み重ねれば小規模な領地ならすぐに建て直せるような金額だ。
そんな巨額の資金を、目の前の齢十六の生娘がポンと口に出したとあれば、経験の深いサイブレッド公爵であるからこそ驚きを禁じ得ない。
この小娘も結局は時折無謀にギルドの門を叩く考えなしと同じ若者なのかと疑りを抱いて顔色を覗く。
けれどカルペディエムが腰に下げた袋をテーブルに置いた時、確かにアクレ金貨の重たい音が鳴ったのを聞いて、サイブレッド公爵は再度正気なのかと驚き、瞬きを繰り返した。
「これよりリザルドの飼育にあたり、御指南や餌、用具の購入でギルドには大変お世話になると存じておりますので、これは先払いと思って頂けますかしら」
「ギルドを掌握するつもりか?」
サイブレッド公爵の声に遂に剣呑な響きが混じる。
公爵令嬢が国宝リザルドの作出に乗り出すなど、失敗の経験として貴族の嗜みになるかと他人事として軽く考えていたサイブレッド公爵も、こと此処に来てサンクトゥルシアへの警戒を掻き立てられる。
リザルド産業はハイランディア王国のアキレス腱、やりようによっては国家転覆も目論める事業だ。
その健全な運営を王家より任せられて興ったサイブレッド公爵家の当主として、フィンバルブ・アルトニバス・サイブレッドは此処は見極めを間違えられないと長い人生と貴族生活で培った感覚の全てを曝け出してサンクトゥルシアを威圧する。
そのリザルドの爪のように凶暴な睨みを利かされてなお、サンクトゥルシアは首に掛かった煌びやかな自らの金髪を軽やかに手で払い上げた。
「そのように怖がらないでください。私もリザルドギルドはサイブレッド公爵閣下の手腕によってこそ最大限に国益を齎すと考えておりましてよ。むしろリザルドギルドに十全な支援は私が国宝リザルドを育て上げるには不可欠と自覚しまして、このように礼を尽くしておりますの」
この娘、本気だ、とフィンバルブ・アルトニバス・サイブレッドは正しく認識した。そして末恐ろしさで背筋が震え上がる。
この年頃の貴族令嬢が国宝リザルドを生み出す栄誉を果たす、それはカーディナルブラッドリザルド、つまりは王太子の愛騎を捧げてその心を射止めることにあろうとはサイブレッド公爵も予測していた。
それをサンクトゥルシアが本気で、そして確実に成し遂げようとしているのをはっきりと見せ付けられた。
将来の王妃に誰を仕立て上げるか。そんな上級貴族に突き付けられている命題に関わる要素を図らずもこの場で得たサイブレッド公爵は今後どのように議会を動かすべきか、サンクトゥルシアにギルドの他の事業についても説明する裏で頭を巡らせていた。
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