第19話 障がいと共に

その後、僕は左手をはじめ、いくつかの障害を抱えることになった。心臓障碍者、術中被ばく、不眠、糖尿病などで、リハビリに明け暮れる毎日が続いている。


「右手は使えるし、歩くこともできるし、話だってできるじゃない!」


退院して実家に戻り、かおると僕が描いてある油絵を見ていると、かおるは僕の心に全力でそう話しかけてきたような気がした。かおるの真剣な顔を思い出し、僕はまた前向きに歩き出す勇気を貰うのだった。


そして、僕のように障害を持つ人たちを励まし、希望や充実感を持って暮らせるような生き方をしたいと思うようになった。


「僕は今、障害と共に生きている」


手術後すぐには、平和のために働くとしたら、そのために僕は何をすべきか、なかなか答えは見えてこなかった。僕にしかできないことを見つけるのが「かおるの宿題」で、始める前から難しい取り組みであることはわかっていた。


入院中、子供たちの教育をもっと見直すのはどうか、と思ったそれが将来の平和につながりはしないか。


時代は二十一世紀を迎えていた。新しい時代には、それにふさわしい道具やこれまでになかった環境がある。その昔、学生の僕たちが未来を語っていた頃にはなかった道具や環境が今、僕の周りにあった。語学力や、数学などいろいろな分野の勉強の成果を上げるためには、興味を持たせること。子供たちに興味を持ってもらうために、何かいい方法はないか、それも障碍者として日本の未来のために、それから世界のために。


退院後、僕はすぐにIC(ボイスレコーダー)や、ICT(インターネット・コミュニケーション)、および電子書籍等を利用することを思いついた。


新しい時代の道具や環境、障碍者でも僕たちには利用できる技術が確かにある。子供たちだけではなく社会全体の教育改革(意識改革)


ある日、昔の友人からケータイに着信があった。今の仕事のこと、昔のこと、久しぶりの電話で思わず長話をしていた。ゆったりとした時間を楽しんだが、電話を切ったあと僕の心にかおるが話しかけてきた。


「昔は心の声を聴くしかなかったけど、今は携帯電話があるからいいね」


新しい時代の道具や環境・・・・・僕たちには利用できる技術が確かにある。新しい勉強方法新しい電子機器による社会全体の(意識改革)


その時、僕は自分の進むべき道が開けたように感じたのだった。


インターネットやソーシャルネットワークサービスなどの、新しい技術や仕組みは、僕に新しい友達を与えてくれた。


いろいろな分野、さまざまなスキルの友達が僕の考えに賛同してくれた。


いろいろな知識や様々な経験を持つ友達が僕の考えを後押ししてくれたのだ。そして「僕たち」の活動は2010年から動き出している。


平和の実現を子供たちの教育改革からというのが行動のテーマだ。そう思いながらこの数年、僕は精力的に活動してきた。2012年の桜の季節、僕は三度目の心臓の手術を行い無事生還し「生きた証」になることができた。


障碍者として生きる道「生きる勇気と死ぬ勇気」僕の翼は障碍者として生きる勇気を選んだ。


 僕自身が「生きた証」となって。

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