第17話 高崎緋彩に期待する。①

 翌日、大学の授業を終え、俺は近くのファミレスに一人でいる。

 昨日はあの後、今後の予定を決めたいと太田檸檬がせがんできたが、疲労困憊(特に心が・・・)であったため、明日にしよう、と珍しく俺から提案した。「いいけど隣なんだし、部屋で話し合おうよ」と言われたのだが、もう密室で女と二人きりの空間になるのは懲り懲りだし、何をされるかわからないので、授業が終わったら大学近くのファミレスで待ち合わせることにしたのだ。

 こういう決め事にあの弱みの写真で揺さぶってくるのかと思いきや、俺の意見が普通に通るので内心安心した。

 なんて風通しのいいホワイト企業なんだろうか、これなら離職率0%、みんなハッピーだね。

 太田檸檬が部屋から去った後は何もやる気が起きず、そのまま寝てしまった。不思議と腹も減らず朝までベッドでぐっすりだった。よほど疲れたのだろう。というか大学生になってから疲れてばかりだな。これしきのことで根を上げていたら、社会人としてやっていけるのだろうか。出勤して30分で退勤しそうだ。超絶時短勤務とかないかな。あの優良ホワイト企業である株式会社太田檸檬なら導入してくれないかしら。

 目の前にあるコーヒーからはゆらゆらと湯気が立ち上る。そのコーヒーに映る自分の顔がふと視界に入る。あぁ、また悪い癖だ。つい一人でいると妄想に拍車がかかる。このちょっと頬が緩んだような、気持ち悪い顔。人に見られたくはない顔。ましてや待ち合わせをしている身だ。こんなの太田檸檬に見られたらなんと思われるか。なんて考えながら大きな窓の外を見やると、小柄で黄色いショートボブが似合うくりっとしたお目目と目が合ってしまう。おっと、いけないいけない、知らない人と目を合わせちゃいけないって母さんによく言われたもんな、うんうん。

 ゆっくりと視線をコーヒーに戻して、ずずっと一口啜る。数秒後には、先ほど外で目があった女の子が俺の横に立っていた。裾は白色で胴の部分は淡いグリーン色、首元にはリボン、ガーリーファッションがよく似合うこと。そして、フレッシュな柑橘系の匂い。コーヒーに負けない香りが漂う。誰かと待ち合わせかな?席でも探しているのだろうか?まぁそんなことはどうでもいい。それにしても天気が・・・


 「ねぇ、透君。なに考えてたの?」


 実に残酷だ。せっかく現実逃避を楽しんでいたのに、それを強引に強制的にやめさせ、現実世界へと引き戻す。俺がどんな気持ちでこの逃避行していたのかわかるのかね。他人に見られたくないあのアホ面を忘れるためにこっちは必死だというのに。

 ・・・

 

 「いや、何も。」

 「うっそだー!だって透君すごく気持ち悪い顔してたよ?」


 太田檸檬さん、それは俺がよーくわかってる。だから嘘つきたくなる気持ちもわかるよね?


 「まぁ立ち話もなんだ、座れよ。それにしても天気いいよなー。」

 「えっ、めっちゃ話逸らすじゃん。なに?やっぱり自覚あった?」


 ニヤニヤしながら俺の顔を覗き込んでくる。いいから座りなさい?

 素直に俺の真正面に座ってもなお、太田檸檬は愉快そうな顔を浮かべる。

 ピンポーンと呼び鈴を鳴らし、ドリンクバーを注文、何も言わずに席を立ち、オレンジジュースを持って帰ってくる。


 「さて、昨日の続きをしようか。」


 俺は平然を装う。


 「ねぇ、そんなことより、なんでさっきあんな顔して窓の外見てたの?」


 だが太田檸檬は逃さない。


 「窓の外くらい見てもいいだろ。」

 「そうだけど、すごい変な顔だったよ?」

 「お前にとっては変だったかもしれないが、俺を全く知らない人からしたら別に変に思わないかもしれないだろ?」

 「うーん、そうかもしれないけど、、、」

 「さ、時間もないんだ。早くこれからの動きを決めよう。」

 「・・・なんか今更やる気に満々になってるのはちょっと解せない。」


 はぁと呆れたようにため息を吐き、渋々といった様子で、太田檸檬は話題をやっと切り替えてくれた。俺も自分で何を言っているのか意味がわからなかったのだが。

 

 「まずは練習場だけど、安峰駅の隣駅近くにテニスコートがあるからそこでやろうかなって思ってる。」

 「あー確かにあるな。」


 確か6面くらいあるテニスコートで、よく高齢者が楽しんでいるのは見かける。


 「けど、距離が微妙に面倒だな。」


 そもそもアパートから最寄りの駅までは歩いて30分以上かかる。自転車で行けば短縮されるが、正直そこまでしていくこと自体が億劫だ。大学からのバスも利用できるが、帰りの便を考えると練習時間はあまり確保できない。

 懸念される要素を頭の中で浮かべていると、太田檸檬は何やら考えがあるような余裕な表情を見せていた。


 「その問題については心配ないよ。だって私車持ってるもん。」

 「え、そうなのか?」


 グンマー帝国は言わずと知れた海なしの内陸国で、入国するのにパスポートが必要になるほどの辺境の地だ。パスポートなしで入国しようものなら、からっ風が不法入国者を吹き飛ばし、だるま落としの刑に処される。

 といった自虐ネタも併せ持つ魅力的な群馬県なのだが、自動車保有率が全国トップクラスであるほどの車社会なのだ。それゆえ、学生が車を持っていることは珍しくはなく、1年から車通学する学生も多い。ここ安峰大学においても、駅から離れていることもあって、圧倒的に車があった方が便利なのである。

 そして学生にして、車種によってヒエラルキーも築かれる。中古の軽自動車なら最下層。続いて軽自動車、中古の普通車、新型の普通車、SUVみたいな感じで、所有している車によってそいつがどれだけ太い家庭であるのかが、ある程度わかってしまう。

 車なんて移動できるだけで十分で、何に乗ろうが俺には全く興味のないことなのだが、一般学生はどうやら気にしてしまうらしい。


 「うん、軽だけどね。移動するだけなら事足りるでしょ?」

 「全くもってその通りだな。」


 激しく同意する。太田檸檬はどうやら俺と同じ感覚でいるらしい。軽自動車だからといって、太田家が細いとかそういうわけではないだろう。少なくとも俺には興味のない話だ。


 「だから練習いく時は、私が運転してコート場まで行こうね。」

 「了解。」


 ひとまず練習場の確保と移動手段についてはクリア。互いに一口ずつドリンクを口に含む。


 「じゃあ次は実際にどう戦うかだね。透君は後衛?」

 「あぁ、後衛だった。」


 一応知らない人のために解説すると、ソフトテニスには前衛と後衛というポジションがあり、読んで字のごとく、前衛は前、後衛は後ろだ。ダブル後衛もたまに見かけるが、基本的には前後のポジショニングである雁行陣がんこうじんという陣形を取る。

 後衛は、ラリーを繋ぐことが第1の役割であり、その中でコースを狙って、相手に甘い球を打たせる。そして後衛もチャンスボールが来たら、確実にコースを狙ってポイントをゲットしていく。


 「ちょうどよかった、私前衛なんだよね。」


 一方前衛はポイントゲッターで後衛が繋ぐラリーの中で勝負を仕掛けたり、逆に甘い球を確実にポイントしていく役割を持つ。


 「その、体力的に大丈夫か?相手は硬式の現役だぞ?」


 ここでまた一つの懸念が出てきた。太田檸檬は高校まで、それなりに真剣にやっていたようだが、ブランクもあるだろう。女子と男子を比べるのは良くないが、体力面でハンデがあると言える。そしてそれは俺も同様。いや、むしろ俺の方が心配だ。

 実際、運動量的にはやはり後衛の方が多くなってしまう。

 太田檸檬の体力も気になるところではあるが、俺自身が棒人間にならないか心配もある。


 「うーん、まぁ引退してからずっとやってなかったわけじゃないし、それにそれをなんとかするためにこれから練習するんでしょ?」

 

 真剣な眼差しを俺に向ける。太田檸檬は見た目こそ、ザ・女の子って感じだが、その内に秘めるものは強く、堅い。それでいてスポーツも真面目にやってきたことから、女子らしい弱々しさはあまり感じない。それが今の言葉に表れていた。


 「そうだな。」


 満足げににこっと笑う太田檸檬は、それでいてやはり女の子だ。

 

 「じゃあ改めて、私が前衛で、透君が後衛。役割はわかってはいると思うから、あとは実践で経験積むしかないね。そういえば、ラケットは持ってるの?」

 「一応部屋にはある。」

 

 ちなみに俺が自分の意志で持ってきたわけではない。月乃が引っ越し荷物の中に勝手に紛れ込ませたのだ。家に持って帰るように言ったのだが、「もしかしたら使うかもしれないでしょ?」と強引に置いていったのだ。まさか本当にこんなに早く使うことになるとは。


 「じゃあ大丈夫だね。」

 「なぁ、それとわかっていると思うが、俺は中学以来ろくにラケットも握ってないが、そんなんで後衛務まると思うか?」


 ブランクは丸々3年はある。部活としてやっていたのも2年半ほど。正直、練習をしても使い物になるかどうかも怪しい。


 「だから、それを練習するんでしょ?」

 「お前が教えてくれるのか?」

 「え、、、まぁ、私は前衛だけど、後衛の練習は散々付き合ってきたし、それを思い出せば…」


 視線を空中に泳がして、いかにも自信なさげな様子だ。


 「不安だ・・・不安すぎるぞ。」

 「でも確かに、二人で練習はできるけど、試合形式ができないのはちょっと困ったね。」


 確かにそれも言えている。二人だけで基礎練習はもちろん可能だが、特に俺に至っては試合形式での実戦が明らかに足らないため、本番に近い状態で練習はしておきたい。そうなると最低でも後二人は人が必要になる。


 「吉井先輩は?」


 すぐに思い浮かんだのは現ソフトテニスサークル長の吉井先輩だ。吉井先輩に至っては、そもそもサークルを廃止する側だ。この勝負に関して、協力してくれるかどうかはわからない。


 「んー、手伝ってくれるとは思うけど、、、」

 「でもあれか、お前あの時、吉井先輩は関係ないからって言ってたから難しいかもな。」

 「ぐぅ、、、それは、、、」


 頭を垂れて明らかに落ち込む。


 「まぁ自業自得っちゃ、そうだよな。でも、話してみないとわからんしな。」


 ゆっくりと顔を上げて、うん、と頷く。


 「話してみる。今連絡してみるから。」


 試合までは時間もない。早め早めでないと間に合わない。


 「だが、吉井先輩がOKだとしても、あと一人足らないな。誰かいないのか?」

 「うーん、私が知る限りはいないかな、、、」


 スマホで吉井先輩へメッセージを送りながら太田檸檬は答える。頼りになるのは太田檸檬の人脈だったが、あまり期待はできなそうだ。そうすると俺の人脈となるのだが、もちろん期待できるわけもなく・・・と早々に諦めかけたその時、ふと頭の中の記憶が蘇った。

 

 「・・・いるな。一人。経験者。」

 「え!ほんと!?」


 パッとスマホから顔を上げ大きな目を輝かせる。俺の頭の中には、寒々しくも、暖かみのあるオレンジ色の光で照らされる石段街の中で、瞳を燃やす赤髪の女がいた。


 「あぁ。でも、協力してくれるかわからん。」

 


 

 


 


 

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