第16話 太田檸檬は困り果てる。⑥
「私のパパとママ、安峰大学出身なんだ。」
親のことをパパママと呼ぶタイプね。イメージにあっていいと思うぞ。
「学生時代に出会って、仲良くなるうちに、二人とも高校でソフトテニス部って知ったんだって。それなりに真剣にやってたから、大学では気軽にやりたいなって思ってたみたいだけど、当時はまだソフトテニスサークルはなかったの。それでね、有志を集めてソフトテニスサークルを作ったんだって。」
なるほど。合点がいった。親が作ったサークル、それは活動の場も奪われたくないし、無くしたくないよな。
「私も小中高でパパママの影響もあって、それなりに頑張ってソフトテニスやってたんだ。辛かったけど、でもすごく楽しくて。それまで私、何かに夢中になることなくて。だから、その機会を与えてくれたパパとママには感謝してる。それで、大学でもテニスやりたいって思ってて、パパとママが作ったソフトテニスサークルで続けられたら、めっちゃ嬉しいなって。自慢もできるし。だからなんとかして活動を続けたくて。」
悲しいようで嬉しそうな表情をしながら、太田檸檬は話をしている。俺はそれを無言で聞く。でも、ちょっとした疑問が生じる。吉井先輩は人員の関係で廃止届を提出しようとしていたはずだ。それなりに歴史のあるソフトテニスサークルが急に廃止になる程人が減るのだろうか。
ソフトテニスは老若男女が楽しめる生涯スポーツだ。しかも日本発祥のスポーツ。硬式テニスほど世界的な認知度はないが、今では世界大会が行われるほど、普及もしているし、人口も多い。
「なぁ、一つ聞いていいか?」
「うん。」
「そこまで歴史のあるソフトテニスサークルが、急に廃止になる程人がいなくなったのはなんでだ?それなりに競技人口もいるはずだろ?」
頭に浮かんだ疑問を投げかけると、ふふっと太田檸檬が笑う。何か面白いポイントあっただろうか?
「そこまで歴史のあるっていっても、20年も経ってないよ?実は、パパとママ学生結婚だったんだ。在学中に私が生まれたの。」
時間の捉え方は人それぞれだ。20年を歴史があると捉えるか、まだまだ浅いと捉えるかはその人の感覚によるだろう。少なくとも太田檸檬は浅いと思っているようだ。
それにしても学生結婚か、今時なら珍しくないかもしれないが、当時はどうだったのだろうか。俺が、今の年齢で結婚して、子供ができたと考えてみよう。
・・・
無理だ。とてもじゃないけど想像ができん。考えてみようと思っただけ無駄だった。養っていけるほどの金もなければ、余裕もない。それを踏まえると、太田檸檬の両親はすごいと感心せざる得ない。
「そうか。お前の親はすごいんだな。」
至極普通に感想を述べただけ。
それだけなのに、太田檸檬はびっくりしたように目を開いてパチパチさせる。そして、くしゃっと破顔する。
「嬉しいなぁ。そんなこと言ってくれるの透君が初めてだよ。」
「そうなのか?普通にすごくないか?学生やりながら子供育てて、それでちゃんと卒業もしたんだろ?」
「うん。ママは流石に留年したけど、ちゃんと卒業したよ。」
「それならすごいだろ。うちは母子家庭だから、子を育てる大変さは多少は分かる。」
つい流れで家庭事情を話してしまった。不思議だ、自然と言葉にしていたのが俺の中でも意外だった。
「そっか、透君は母子家庭なんだね。お母さん頑張ったんだね。」
「そうだな。尊敬してるよ。」
太田檸檬は柔和な表情で俺の言葉を聞いていた。緑茶を一口口に運ぶのを見て、俺も間を埋めるように同じ動作をする。
太田檸檬のこの雰囲気が、俺の口を緩ませたのだろう。正直、どう言葉にしたら良いか分からないが、話しやすい、とでも言っておこうか。
「でもね、透君みたいに言ってくれる人は本当にいなかったんだよ。学生結婚ってやっぱりあまりいい印象はないみたいだし。でも、私はそれで周りから何か言われても、恨んだことはないし、それが嫌いになる理由にもならない。だって、パパとママが大好きだもん。」
あまりいい印象を持たない人間の気持ちも理解はできる。学生結婚、おそらくはそうせざる得なかった事情があって、その結果といったところだろう。学業は学生の本分。それを逸脱するような行為、それがもたらす結果は、本来成すべき目的とは異なる。それによる本人たちへの影響、周囲への影響も含めるとなおさらなのかもしれない。
しかし、今時やり逃げする男もいれば、堕胎という選択を取る人もいるはず。いろんな手段があったはずだが、太田檸檬の親は産んで二人で育てる決断をした。自らが行ったことに対しての責任を果たしたのだ。しかも、親想いの子供に育て上げた。これはすごいことだろう。
過去のことにとやかく言うのは俺は別に構わないと思っている。けれど、それを今と繋げて評価するのは違う。過去の出来事と今は必ずしも繋がらない。その過程の結果が今なのだ。だからその過程を評価すべきではないのだろうか。
それに、計画通りに人生って進むのか?俺の人生はまだまだ先は長いはずだ。だから人生観についてどうこう言うのは、時期尚早だと思うが、少なくとも計画外のことが起きて当然だ。防げることもあるだろうが、人間完璧ではない。その予知できなかったことも楽しむのが、人生なのではないだろうか。俺は18年しか生きてないが、それを実感している。
まぁ、自分の考えや価値観を相手に押し付けるのも迷惑な話だろうが、少なくとも俺はそう思っている。
「ごめん、話が逸れちゃってるよね。人がいなくなってるのは、私じゃなくて、吉井先輩から聞いたほうがいいと思う。私も軽く聞いただけだから。」
「何かあったのか?」
「うん、トラブルっていうのかな、それがあってみんなやめちゃったみたい。吉井先輩も詳しくは話してくれなくて。」
太田檸檬からこれ以上聞き出すのは難しいだろう。ただ少なくとも、俺が抱いていた疑問は一つ解消された。
太田檸檬は、大好きな両親が作った安峰大学のソフトテニスサークルをなんとしても残したい。それがなければソフトテニスの楽しさも知ることはなかったし、夢中になれることもなかった。親が作った、いや、残してくれたものを終わりにはしたくない。だから、あんなに真剣に、本気で硬式テニス部の男子とぶつかっていた。
「そうか。」
トラブルの詳細は正直どうでもいいことだ。何せ俺には関係ないことだし。今は太田檸檬の言動の真意について話を聞いているだけ。
「だからお願い!パパとママにとっても、私にとっても大事な場所を守るために、協力してほしいの!」
改めて居直って俺に懇願する。
「すまないが、それを聞いて俺がお前に協力する理由はない。お前が真剣になる理由もわかるし理解もしている。が、俺である必要はないだろう?どうして俺なんだ?」
ここで二つ目の疑問。なぜ俺に固執するのか?テニス経験者なら吉井先輩でもよかったわけだ。ここまで真剣であるなら、不確定要素が多い俺という、負ける確率が高くなる選択をした意図が不明だ。
「吉井先輩は、もう廃止するって諦めているから。さっきまでの理由とか背景とかは話してないんだけど、廃止にしてほしくないって言っても、もう決めたことだからって。だから私が無理にでも動くしかないって思って。それで硬式テニス部の人と話している時に、透君が視界に入ったの。それで私の中で一か八かの賭けに出た。」
なるほど。もともと廃止はほぼ確実の状況の中で、負ける確率の方が高かった。その最中で、俺という希望の人柱が見えたからそれに一縷の望みをかけた、というわけか。
「それにしてもかけすぎじゃないか?ど素人とペアを組むんだぞ?」
あえて俺が経験者ということは伏せた。どう判断をしたのか気になったというのもある。
「え?経験者じゃないの?てっきりそうだと思ったよ?」
「何を根拠にそう思ったんだ?」
「うーん、根拠って言われると薄いかもしれないけど、まず、あの場にいたことかな。このアパートの帰り道ではないないし、気づくとしたらボールとか活動している音かなって。それに気づいて、わざわざ道を外れるのは、入部希望か興味がある人。透君の場合、入部希望はあり得なそうだから、テニス経験者でなんとなく興味が惹かれたからあの場に現れたんじゃないかって思ったの。」
すごい洞察力だ。あの短時間でそこまで推測するか?そして間違ってないこともまた驚きだ。
「もう一つはさっき、競技人口は多いはずだ、って言ったでしょ?あれソフトテニスのことそれなりに知ってる人じゃなきゃ言えないよ。サッカーとか野球ならまだ分かるけど、素人だったら、ソフトテニスっていう硬式よりマイナーなスポーツの競技人口なんて想像できないし。それなのに、まるで知ってるような口ぶりだったから、ちょっと確信に変わったというか。」
あの時笑ったのは、それもあったからだったのか。ふと言葉にしていたが、確かに太田檸檬の指摘通りだ、素人なら知るはずもない情報だ。
ここまで見抜かれたのなら嘘を貫くのも無理がある。正直に話すしかない。
「驚いたよ。お前の推測通り、俺は経験者だ。」
「やっぱりね〜!どうよ私の推理力!」
ふふんと胸高々に腰に手を当てふんぞり変える。
「だが、中学の3年間だけだ。高校ではやってない。だから、お前の助けになれるとは思えない。他に経験者ならいるはずだから、そっちを探したほうがいいんじゃないか?」
「うーん。でももう透君と組むって公言しちゃったし。それに・・・」
それに?なんだ?少し恥ずかしそうな表情は、言葉にしたくてもできないもどかしさを表している。
「と、とにかく!もう透君と組むってあの場で言っちゃったから、透君じゃないとダメなの!だからお願い!」
再び懇願される。しかし、それでも俺が太田檸檬に協力する理由はないのだ。それに公言したとしても、それが絶対条件ではない。見捨てられたか何かで事情を話せばそれくらいは認められるだろう。
「すまんが、それでも俺がお前に協力する理由がない。お前がなんでもすると言っても無駄だぞ。」
「・・・そう、だよね。」
明らかに落胆している。だが、これ如きで情を移すような人間ではない。ここまで話をしてくれたこともあって、多少の申し訳なさを感じてはいるものの、だからと言ってこれも協力する理由にはならない。
「ごめんね。色々勝手に巻き込んじゃって。でも困ったなぁ。」
困り果てた太田檸檬は、手を後ろについて天井を見上げる。正座だった足も少し崩してリラックスしたような状態になる。
俺はいつも思う。困った人間に手を差し伸べる人間は、どういう思惑があるのだろうか。見返りを求めるのか、ただ単に善意なのか、それとも自己満足を得るためか。
多くの人間は、表向きは善意だが、心の底では自己満足を得るためだと俺は考えている。しかもそれを自覚しないまま、無意識のうちに行動している。良いことをした、助けた俺、私って善人でしょ、誰かの役に立てた、そういう承認欲求が誰しも心の中ではあって、それを隠し通すことができない。つい無意識のうちに行動として現れてしまうのだ。
俺は自己満足もしなければ、承認欲求もない。だから困った人間がいる=手を差し伸べるという単純な式になるわけではない。困った人間がいる+俺に何かしらの影響がある=手を差し伸べる、という要素が必要なのだ。
今回に至っても、俺に何か影響があるわけでもなければ、関わることでもない。だから協力するという選択に至らないのだ。
さて、俺の心はすでに決まった。これ以上くつろいでもらってもこちらも迷惑で、完全に話も終わったことだし、さっさとご帰宅してもらおう。
「わかってくれたなら別にいいさ。もう時間も遅いし、そろそろ帰ったらどうだ。」
「・・・そうだよね、そろそろ帰るね。」
謎の間があったが、こちらの提案は素直に受け入れてくれたようだ。太田檸檬は残ったお茶を飲み切ろうとコップを持ち上げたその時、それを床に落としてしまった。
「っ!ごめん!」
「いいけど、大丈夫かよ。」
本当は良くない。新品で買ったカーペットだ。汚れは残したくないのだが、お茶くらいならまぁ平気だろう。
「コップもそっちまで行っちゃった!」
「え、あぁ・・・」
落としたコップを取ろうとテーブルの下を覗き込んだ。
確かにコップはあった。
俺はそれを取ろうと少し潜り込んだ。
しかし、もう一つあった。
あったというか存在した。
いや、不可抗力だ。
なぜなら勝手に視界に入ったからだ。
何がって?
そんなの決まっているだろう。
白い太ももの隙間から覗かれるあれだ。
太田檸檬のパンツだ。
薄黄色のレースのパンツだ。
なんで柄まで確認したのかって?
それは俺にもわからん。
本能的なものなのか、目が離せなかったのか。
カシャ
シャッター音だ。
なぜ今そんな音が聞こえるんだ?
俺の左側の視界には、俺に向けられたスマホがあった。
ま、さ、か、、、
ゆっくりとテーブルから頭をあげる。
そこには頬を赤らめて恥ずかしそうにする太田檸檬と、ニヤリと、まんまとしてやったぞと、満足げにする太田檸檬がいた。
「透くーん、ダメだよ。女の子のパンツ見ちゃ。」
スマホを口元に当て、そこに映し出される1枚の写真を俺は見た。
太田檸檬の太もも越しに、視線は一点を捉える俺の間抜けな姿を。
「これ、どうする?」
「ど、どうする、とは?」
俺は恐怖した。この感情は初めてだった。嫌な予感がしてたまらない。
「いやー、だって、男の子の部屋に二人でいてー、テーブルの下からパンツ覗かれちゃったんだよ?何されるかわからないじゃん?」
「いやいや待て。何もしてないだろ。話を聞いてただけだろ。」
「そう。でも、その事実を知ってるの私たちだけ。この写真を知らない人に見せたら、どう思うかな?」
「そ、それは・・・」
完全に嵌められた。足を崩すタイミングもこれの布石だったんだ。コップだってわざと落としたに違いない。テーブルの真ん中付近まで転がるように、向きも調節して、そして自分の下着を見させるように仕向けたのだ。おそらく俺の部屋に入った時から画策していたのだ。取引の最終手段として。そもそもこの部屋に入ること自体、太田檸檬の思惑通りだったのかもしれない。
やはりこの女、、、いや、わかっていたはずだ。太田檸檬は自分の願いを叶えるためなら手段を選ばない。駆け引きだって大胆に出る。見た目に騙されてはいけない。
可愛くて元気で明るい女の子と思っているそこの男子諸君、こいつは悪魔だ。小悪魔ではないぞ。そんな可愛いものではない。ただの悪魔だ。
太田檸檬は悪戯に笑うだけ。何も言ってこない。ただ、こちらが観念するのを待っている。これは俺にとって何かしら影響が出る要素。つまりはあの方程式が完成する。
もう覚悟を決めるしかなかった。
「わかった。お前に協力しよう。」
待ってましたと言わんばかりの満面の笑み。すっと差し出された右手。
「これからよろしくね、渋川透君っ。」
小さくて華奢な手、握手を交わすと力強く握り返してきた。さすがはテニス部。握力が強い。絶対逃さないぞ、という意志が手から伝わる。
結局俺はこの女の手の平の上で転がされていただけなのかもしれない。
やっぱり女は苦手だ。
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