裏山異世界農業

皐月 彦之介

第0話 裏庭は異世界に

「私と良太朗さんのチャンネル。どちらも収益化できたらコラボしましょう」


「いいね。楽しみにしてるよ」


 そんな約束をしてから半年。あの子のチャンネルは、まもなく登録者数一万人を超えそうな勢いだ。対して一瀬いちのせ良太朗りょうたろうのチャンネルは未だに登録者二六五人。これにしても、あの子が配信でおすすめしてくれたおかげで増えたと言っていい。

 どこでこんなに差がついてしまったのか……。落ち込む気持ちもあるけど、それ以上に良太朗は動画制作にハマっている。


「よし、今日の分の動画を撮ろう」


 良太朗はスマートフォンを自撮り棒に取り付けて、撮影の準備を始める。今日の動画の内容は、実家の裏庭にある鳥居を塗り替える作業だ。


「えーっと、今日はこのプライベート鳥居の色を塗り替える作業をやっていきます。プライベート鳥居ってなに⁈ なんで裏庭にそんな物があるのかって疑問はわかります。でも、それは僕にもわかりません。周りを見てもらえばわかるように、家の中を通って裏庭に出ないと来られない場所にあるんです。なのでプライベート鳥居。不思議ですよね? 家に残っていた古い写真をみると昭和の初めころにとった曽祖父の七五三の記念写真にも映っていました。ですから、軽く一〇〇年以上前からあることになりますね」


 良太朗は自撮り棒を操作して、鳥居の周りの風景を映していく。裏口から鳥居までの間にある裏庭は急斜面で囲まれている。そのため、裏口から出る以外だと、かなり足場の悪い林を抜けて更に高低差三メートルほどの急斜面を降りる必要がある。


「この場所は秘密基地っぽくて、子供の頃は大好きだったんですよね。鳥居を抜けて少し進むと……。このように小さな社があります。どんな神様が祀られているのかもわからないのですが、毎日ここをお参りするのが日課になっています」


 ゆっくりと歩きながら撮影を続ける良太朗。お社に備えられている神饌しんせんも映像に収めていく。祀られている神様については、良太朗もなにも知らない。父親も知らなかったし、家に残っている古い書付かきつけなどをあたってみてもわからなかった。


「家に残っている古い資料なんかも、かなり調べてみたんですけどね。それでも一応収穫はあって、鳥居を塗りした時につかった塗料の配合表がみつかりました。あとこの鳥居は神明型しんめいがたというタイプになるようです。一番上の横になっている木、笠木かさぎっていうらしいんですけど、これっが特徴の一つとのことです」


 柿渋かきしぶ、ベンガラ、椿油、辰砂しんしゃにその他いろいろ。分量はあらかじめ量ってあるから、まとめてトロ船の中で練り合わせていく。しばらく混ぜると、よく見る鳥居の朱色よりほんの少し赤味が強い感じの液体が練り上がった。


「混ざったみたいなので、これを塗っていきます。やっぱりこうやって見比べてみると、はっきり分かりますね。子供の頃の記憶でもここまで紅くはなかったので、塗り直し自体もかなり前からやってなかったんでしょうね」


 鳥居は縦横ともに二メートル五〇センチほどだ。柱の直径は一番太い場所で約三〇センチ。これを一人で塗るというのは、なかなかに重労働だ。良太朗はローラーに塗料を含ませ、上から下へと鳥居に塗りつけていく。一時間以上かかってなんとか塗り終えることができた。


「さすがにここは何倍速かにしないとな。ペタペタ色を塗るだけの動画を延々とみたい人なんていないだろうし」


 良太朗は塗り終えた鳥居を改めて観察する。鮮やかな赤色に戻った鳥居はなかなかに荘厳そうごんんな姿を見せている。


「では最後に、お社に参拝して動画を終わりたいと思います」


 良太朗はお社へ向かうために鳥居をくぐった瞬間、吹いてきた強い風に思わず目を閉じてしまう。次に目を開いたとき、良太朗の目に飛び込んできたのは、一面に広がる緑がまぶしい草原だった。


「は? えっ?」


 良太朗が慌てて振り返ると、そこには今まさにくぐってきた鳥居がある。しかし鳥居を通して見えるのは、見慣れた裏庭ではなくやはり一面の草原だった。それに塗替え作業がおわり、夕方に近い時間だったはずだ。なのにこの太陽の高さは正午くらいに感じる。季節も晩秋じゃなくて春先のようだ。


「ここは一体どこなんだ……」


 周りを見渡すと、草原とそれを囲む森が風景の全てだった。建築物はおろか、道のようなものすら見えない。唯一存在するのは背後の鳥居のみ。


「鳥居をくぐってみるしか無いよな……。もし戻れなかったらどうなるんだ……」


 良太朗は覚悟を決めて、鳥居に向かって一歩踏み出した。一瞬階段を踏み外したときのような嫌な浮遊感を感じたあと、良太朗が踏みしめたのは裏庭の土だった。鳥居はいつもと変わらずそこにあって、塗り終えたばかりの赤色がてらてらと夕日を反射している。


「一体どうなってるんだ?」


 鳥居をくぐればさっきの草原で、もう一度くぐればここに戻ってきた。つまり鳥居がどこかに繋がっている門になっているのだろうか?

 良太朗は足元から拾いあげた小石を、鳥居をくぐらせるように軽く投げる。投げられた石は当然、鳥居をくぐり向こう側に落ちる。


「さっきのはやはり幻かなにかだろうか……」


 良太朗は思い切ってもう一度鳥居をくぐる。不快な浮遊感をまた感じる。そして良太朗はさっきと同じ草原に立っていた。幻ではない、裏庭の鳥居はどこか違う場所に繋がっている。


「そうなると、ここはどこなのかが問題だけど」


 良太朗は周りを見渡すが、やはり人工物は見当たらない。周りの山なんかを見ても、見覚えのある形のものは見当たらない。


「そうだ! スマホ!」


 良太朗は自撮り棒から取り外したスマートフォンで地図アプリをひらく。アプリの画面には『GPSを見つけられません』というメッセージ。良太朗が通知領域を確認すると、予想通りアンテナも消えていて圏外の文字。念の為カメラアプリを立ち上げて、足元に生えているカタバミに似た植物と他の種類の植物の写真を撮っておく。


 良太朗がもう一度鳥居をくぐると裏庭に戻ってきた。あたりは既に薄暗くなっている。良太朗は塗装に使った道具を片付け始める。とはいっても大した量でもないから時間はかからない。



 風呂上がりビール片手に今日のデータをパソコンで処理する良太朗。動画は鳥居の色が塗り終わったところで終わりで良いだろう。さすがに鳥居を通ったら別の場所でした。というのはネタか痛い人認定されるのは間違いない。いや、むしろ真実だと信じる人が出てくるほうが困るかもしれない。

 動画をアップロードしながら、あの草原に関係する情報を整理していく。動画と写真を確認してわかったことは、転移するとき動画には一瞬画面が揺れる事。それにカタバミのような植物も、他の植物もどのようなアプリでも判別できなかったし、図鑑にも掲載されていなかったこと。


「異世界なのか、他の星なのかわからないが、地球ではないのは確かそうだ」


 ならば法的な問題はあまり考えなくて良い。異星人や異世界人に、土地の不法占拠で提訴されました。とはならないだろうからな。あれだけ広さがあるなら田畑にするにしても、家を建てるにしてもかなり好きにできそうだ。


「うーん、まずは露天風呂だな」


 年始に会社を辞めることを決めてからまだ一年も経ってない。当時は毎日の業務だけで頭がいっぱいで、休日もロクに楽しめなかった。それが今じゃ露天風呂を作ろうとしている。人生ってほんと先の事はわからないな。

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2024年12月3日 12:06
2024年12月4日 12:06

裏山異世界農業 皐月 彦之介 @G-Satsuki

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