第7話 小学五年の頃のちんこ

僕は小学五年生になった。

クラス替えで、知っていた顔がほとんどいない教室に足を踏み入れる。前のクラスで長い時間を共にした友達は、みんな別の教室に割り振られてしまった。

僕の周りには知らない人ばかりが並んで座っていた。その瞬間、胸の奥がぎゅっと締めつけられるような感覚になった。

「やだなぁ」と心の中でつぶやく。その言葉は、僕の中で何度も反響した。


新学期が始まって数日経つと、クラスの中で自然と話をする人ができた。

彼はどこか僕がこれまで会ってきた友達と違う雰囲気を持っていた。前のクラスの友達とはまた違うタイプの友人だけど、なんとなく「この人とならきっとうまくいくだろう」と感じた。不安だった教室の雰囲気も少しずつ薄れていった。僕の新しい日常が、ここから始まっていった。


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この時の僕は、自分がまだ完全に「子ども」であると思っていた。身体も小さいし、ちんこだってまだほんの小さなものだった。ちん毛なんて当然生えていないし、性的なことについても漠然としたイメージしか持っていなかった。テレビや大人たちの話の中で断片的に知った断定も曖昧で、どこか他人事のようだった。


たとえば、精子というものが自分の体からいずれ出るようになるといった話も耳にしたことはあった。でも、それがどういう仕組みで起こるのかは全く見当もつかなかったし。もっと言えば、大人たちがどうしてエッチなものに興味を持ち、そこに心をとらわれたりするのか、それが理解の範囲を超えていて、どこか不思議で仕方がなかった。今となって思えば、僕はまだその「世界」に片足すら踏み入れていなかったのだ。


でも、小学五年生のある日、それまで何の変化も感じなかった自分のちんこに、微妙な違和感を覚えた。少しだけだが変化が現れはじめたことに気づいたのだ。

ある日、トイレで便器に座りながらぼんやりしていた時のことだ。ふとした拍子に自分のちんこを触ってみた。いつもと変わらない感触だと思いきや、どこか違う。睾丸が、以前よりほんの少しだけど大きくなっている気がした。気のせいかもしれない。けれど、指先でそっと触れると、確かに微妙に大きくなっている感覚があった。手に触れるサイズが、ほんの気づかないほどではあるけれど、少し変わっているのだ。


その瞬間、嫌な気持ちが胸の中に広がっていった。「小さくなってほしい」と願わずにはいられなかった。

ちんこや睾丸が大きくなるのは、何か子供ではなくなってしまうような気がして、無性にそれが怖かったのだ。僕は何とかそれを元に戻したいと思い、睾丸を強く握りつぶすように試みた。その瞬間、鋭い痛みが走ったけれど、それで小さくなるなんてことは当然なかった。


そのとき、不意に兄の姿が脳裏に浮かんだ。二年前、兄が小学六年生の頃のことだ。偶然目にした兄のちんこは、それまで見慣れていた小さなものとは全然違っていた。太くて長くなっていて、形もなんだか大人っぽかった。ただ、毛は生えていなかったけれど。そのときの僕は、どこか他人事のように「ああ、兄はこうなるんだ」と思っただけで、自分がそうなるなんて考えもしなかった。

でも、この日、自分の睾丸に変化を感じた瞬間、兄の姿が現実味を帯びて押し寄せてきた。もしかしたら、自分のちんこもあんな風になるのかもしれない。そんな予感が、胸の奥に重くのしかかった。そして、それがどうしようもなく嫌だった。何が嫌なのか、自分でもはっきりわからない。ただ、何かが変わることそのものが怖かったのだと思う。

その日から、僕はトイレに入るたびに睾丸を確認するようになった。触るたびに、気のせいだと思いたくなる。でも、日に日に変化を感じる自分の身体が、子どもでいられなくなる瞬間を静かに伝えてくる気がした。そして、そのたびに僕は強く睾丸を握り締めた。「小さくなれ、小さくなれ」と心の中で何度も祈りながら。

だけど、もちろんそんなことをしても何も変わらない。それどころか、日が経つごとに確実に大きくなっていく感覚があった。その事実が、僕の心にじわじわと諦めと不安を浸透させていく。変わりたくないという気持ちと、変わらずにはいられない現実。その狭間で揺れ続ける日々が、静かに始まっていった。


今振り返ってみると、あの時期に起こった睾丸の変化は、まさに性の目覚めと呼ぶにふさわしいものだったのだと思う。


それまでの僕の睾丸は、ただそこにある、静かな存在でしかなかった。

生まれてからずっと、身長が伸び、体重が増えても、そのサイズはまったく変わらなかった。そう、本当に小学生のある時期までは睾丸が変化しないというのは、確かな事実だった。でも、それがずっと続くと思っていたのは、何も知らない僕だけだった。

今になって分かることだが、僕の睾丸は知らない間に男性ホルモンを分泌し始めていたんだ。そのスイッチがいつ入ったのか、誰にも分からない。もしかしたら小学四年生の頃から、静かに、でも確実にその変化は始まっていたのかもしれない。そして、その男性ホルモンによって少しずつ大きくなっていく睾丸の変化に、あの日、僕は初めて気づいたのだと思う。


それは、静かに、でも確実に僕の体の中で起きていた変化だった。睾丸が目覚め、男性ホルモンが分泌され始め、そして精子を作るための準備が密やかに進んでいた。今思えば、それは僕の体が「子供」から「大人」へと向かう最初の一歩だった。性というものが、少しずつ僕の身体の中に組み込まれていく瞬間だった。

しかし、その頃の僕には、そんな変化の意味なんて到底わからなかった。ただ、大人のような大きなちんこになるのが、どうしようもなく嫌だった。成長という言葉に思いを巡らせることもなく、その変化を受け入れる準備もないまま、僕はただ恐れと嫌悪の気持ちに押しつぶされていた。身体が次第に変わっていくなんて、考えたくもなかったのだ。


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ちんこが変わることに対する嫌悪感は、僕の中でどうしようもなく大きなものだった。その気持ちは、何とかしてこの変化を止めたいという行動につながっていった。今思い返しても、あの時の自分は本当に必死だった。


そんな中で、僕が最初に試したのは、睾丸の動きを止められないかと考えることだった。ちんこと睾丸は繋がっているはずだという単純な発想から、そこに何かを流し込めば、睾丸の機能が止まるんじゃないかと本気で考えたのだ。

そして、僕が思いついた方法は、ちんこの皮を剥き、尿道口にシャンプーのノズルを押し当てて、そのままシャンプーを尿道の中に入れるという行為だった。シャンプーが尿道を伝い、睾丸に届けば何かが壊れてくれるのではないか、そうすれば睾丸の成長が止まるのではないかと僕はそれを本気で信じていた。


けれど、そんなことがうまくいくはずもなかった。ただ、シャンプーが尿道に入ることで強烈な痛みが走っただけだ。その痛みは予想以上だったけれど、それでもどこかで「これが睾丸の動きを止めてくれているのかもしれない」と思い込んでいた。だから、結局その痛みに耐えながら何度も繰り返してしまった。

もちろん、何も変わるわけがなかった。ただ、自分の身体が拒絶するその痛みだけが、僕の行動の結果として残った。けれどあの頃の僕は、その痛み自体を何か成果のように感じていたのだと思う。


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夏休みのある日、友達と一緒に市民プールに出かけた。じりじりと照りつける太陽の下、冷たい水の感触が心地よくて、ぼくらは時間を忘れて遊び回った。流れるプールは特に人気で、ゆっくりとした流れに身を任せながら、水しぶきを上げて笑い合う時間が楽しかった。

その時だ。目の前から、少し年上に見える中学生くらいの男の子が流れてきた。こちらに気づいていないのか、ぶつかりそうになった僕は慌てて体をひねって避けようとした。その瞬間、その男の子がふと腕を上げ、体勢を立て直した。何気ない動作だったはずなのに、僕の視線はその一瞬で彼の腋に釘付けになった。

そこには、薄っすらと柔らかそうな毛が生えていた。大人にしか生えないと思っていた脇毛が、自分より少しだけ年上の男の子にある。驚きとともに、どこか居心地の悪さを感じた。なんだか不潔に思えたけれど、それと同時に「自分にもいつか生えるのだろうか」という妙な違和感が胸をざわつかせた。その光景は、頭の中に強く焼き付いて離れなかった。


プールから帰った後、部活から帰宅した兄がリビングでTシャツを脱ごうとしている姿を何気なく目にした。そして、腕を上げた瞬間、兄の腋にも薄い毛が生えているのが分かった。兄の変化に、僕は再び驚かされた。

でも、その驚きと興味に混じって、どこか落ち着かない気持ちがあった。兄の変化は、いずれ自分にも訪れるものだという予感がしたからだ。それが成長の証なのだとしても、僕にはまだその準備ができていなかった。未来の自分を想像するたびに、怖さと不安で心がいっぱいになった。

僕は、まだ子供のままでいたかったのだ。今の自分が変わっていくことが、ただただ嫌だった。


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小学五年生の時、林間学校という大きなイベントがあった。クラスメイトと一緒に泊りがけで出かけるのは初めての経験で、胸が躍った。行き先は、たぶん青少年の家のような施設だったと思う。山奥にあって、自然に囲まれた静かな場所。普段の学校生活とは違う特別な空間に、みんな少し興奮していた。

日程の中には、バーベキューや飯盒炊爨、夜にはキャンプファイヤーなど、学校では経験できないような活動が詰め込まれていた。

普段見られないクラスメイトの一面や、火を囲んで歌ったり笑ったりした時間は、鮮明に記憶に残っている。


そしてもう一つ、印象的だったのが大浴場だ。それまで家族以外とお風呂に入ることなんてなかった僕にとって、クラスメイト全員で大きなお風呂に入るというのは、少し緊張するような体験だった。

最初は少し緊張したけれど、誰もそんな様子を気にする素振りはなく、すぐに慣れた。

その時の僕たちの身体に、大人らしさなんて微塵もなかった。誰のちんこも、まさに子供そのもので、小さくて毛なんて生えていなかった。それが当たり前で、誰かがそれを気にする様子もなく、ただ無邪気に子供の姿のままで笑っていた。


でも、今振り返ると、あの幼いままのちんこが、ほんの数年後には毛が生え、大人びた姿に変わるというのは不思議な感覚だ。あの目の前にあった小さな姿が、変化の中で完全に失われ、全く違う形へと変わっていく。もう二度と取り戻せない、小さな時期の象徴ともいえる姿だった。それが消えてしまう感覚を、今になって思うと少し寂しく感じる。


当時、そんなことを考えることなんてもちろんできなかった。ただ、あの頃の僕たちのちんこにも確実に時間は働きかけていた。その時間は静かで、はっきりとは見えないけれど、着実に忍び寄って、僕たちの身体を変えようとしていたのだ。変化はあの時すでに始まっていたのだと思う。


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小学高学年になると、クラブ活動が始まったのを覚えている。週に一度、水曜日の放課後に約一時間ほど、各自が一年の初めに選んだクラブで活動するというものだった。中学校の部活動への準備のような感覚で、内容自体はどこか簡素で、大雑把なものだった気がする。

僕は小学五年生の時、体操クラブに入った。正確には、ジャンケンで負け続けた結果、選択肢が残っておらず、仕方なく体操クラブに入ったというのが本当のところだ。不本意な選択だったのは間違いない。でも、実際に活動してみると、それなりに楽しい部分もあって、嫌々ながらも何とかやっていた。

そんなクラブ活動中に起きた、何げないけれど妙に記憶に残った出来事がある。活動が始まる前、僕たちは体育館の床に体育座りをして、先生の指示を待っていた。足に冷たい感触がじんわり伝わり、周りでは友達同士が小声で話したり、ふざけ合ったりしていて、どこか落ち着かない雰囲気だった。ぼんやりと視線をさまよわせていた僕の目に、隣に座る六年生の男の子の姿が入った。

その時、僕は彼の半ズボンの裾からちらりと見えたものに気づいた。みんな体操服を着ていたから彼も同じく半ズボン姿だったが、ふとした瞬間、その裾から睾丸が見えてしまったのだ。それは、明らかに僕や同学年の子たちのものよりも大きかった。その瞬間、僕はただ「なんか大きいな」と思っただけだった。特に驚きもしなければ、深く考えることもなかった。ただ、どこかぼんやりとその光景が記憶に刻まれた。


今になって思い返すと、あの六年生の睾丸は大人のちんこへと変わっていく過程にあったからだと思う。彼もきっと、一年前までは僕らと同じように小さな睾丸だったはずだ。でも、その頃から少しずつ男性ホルモンが分泌され始めて、五年生から六年生の一年間の間に、男性ホルモンの影響を強く受けていたのだろう。それで、あの時僕の目に飛び込んできた、あの肥大した睾丸になっていたのだろう。

今思えば、僕らの睾丸も彼と同じ道をたどっていたのかもしれない。その変化の過程を、彼の姿が何となく暗示していたのかもしれない。僕たちが子どもから少しずつ大人へと変わっていく、その予兆のようなものを、あの出来事は静かに僕に教えていたのだ。


それは、赤の他人であり、同じ小学生である彼の身体的な変化を目の当たりにした瞬間だった。僕にとって、兄以外の誰かが性的な成長を見せた、初めての具体的な経験だった。その時は何も感じなかったし、深く考えることもなかった。ただ、その光景がなんとなく記憶の片隅に刻まれていただけだ。

でも今振り返ると、あれは僕の周りで「子ども」から「大人」への移り変わりを、明確に表した初めての出来事だったのだろう。だからこそ、あの何げない一瞬の光景が、今でも鮮明に残っているのだと思う。それは、僕自身が経験していく変化を、間接的に予感させた瞬間でもあったのかもしれない。


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小学五年生の一年間。それは、僕が子供としての時間から少しずつ抜け出し始めた一年だった。

四年生までは、本当に無垢な子供として過ごしていた。幼稚園の頃から経験や知識は少しずつ増えて、背も伸びていたけれど、性に関してはまだ何の変化も感じることなく、ただ無関係のままでいられた。


しかし、五年生になった頃、少しだけ変わり始めた。


特に僕のちんこに、生まれて初めての変化が訪れたのだ。

僕のちんこは誕生以来、ずっと変わることなく、性という概念から完全に切り離された、無垢な存在だった。


しかし、五年生になってから、僕のちんこに初めての変化が訪れた。それは睾丸のサイズがほんの少し大きくなるという、本当に微かな変化だった。他の誰も気づかないような、そんな小さな違い。

でも、その変化は確かに、これまでとは違う何かが始まっているという合図のように感じられた。


当時のちんこの見た目はまだ完全な子供のままで、ちんこは小さく、一本の毛も生えていなかった。性的な意識も芽生えていない。でも、確かにそこには変化があった。それは誰にも気づかれないような、でも僕にとっては決定的な変化の始まりだった。


今になって分かることだが、その頃から睾丸の中では静かに男性ホルモンが分泌され始めていた。そのホルモンは、まるで時を刻むように、僕の体とちんこを少しずつ、でも確実に大人へと変えようとしていたのだ。


その頃の僕は、自分の体の中で静かに進行しているその変化に、ほとんど意識が向いていなかった。性について考えることもなければ、知識もほとんどない。小学四年生の頃と何も変わらない日常を、何の疑問も持たずに過ごしていた。ただ、体の中では確実に、誰にも気づかれないような変化が、密やかに始まっていたのだ。


ただ、その頃の僕の心の中には、確かな気持ちがあった。変わりたくない。子どものままでいたい。そんな思いが、まだ幼い心の奥底でうごめいていた。少しずつ訪れる変化が一体何を意味するのか、はっきりとは理解できないまま、ただ漠然とした不安と抵抗を感じていた。

でも、僕の意思とは関係なく、身体は静かに、でも確実に変化を始めていた。子どもの世界とは違う、まだ見ぬ領域へと足を踏み入れ始めていたのだ。それは避けられない変化の始まりだった。


そして来年、僕は小学六年生になる。永遠に続くと思っていた小学生生活も、気がつけば終わりが見えてきていた。六年生という言葉には、期待と不安が同居していた。

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