あのちんぽこよ、どこ行った

@ponderingo

第1話 はじめに

幼い頃から大人になるまで、ちんこという存在は、僕の中でずっと不思議で、どこか特別なものだった。他の体の部分、例えば手や足、耳や鼻は、大きくなることはあっても、基本的な形や役割は変わらない。でも、ちんこは違った。

同じ身体の一部なのに、その役割や見た目が劇的に変化していき、まるで別物のように変わっていった。

その変化に、僕は興味を持ち、そして今、その全てを振り返って言葉にしようと思う。

この文章を書くことにしたのは、この特別な体験を記録として残しておきたいと思ったからだ。


幼少期のちんこは、ただ排尿をするためだけの小さな器官で、どこか可愛らしく、無邪気な存在だった。それは、僕の体の中で特別目立つわけでもなく、ただ当たり前にそこにある一部だった。おしっこをするたびに触れることはあっても、それ以上の意味を持つことはなく、深く意識することもなかった。手や足と同じように、自分の体の一部に過ぎず、特別視する理由などどこにもなかったのだ。 

当時の僕にとって、ちんこは「おしっこをするためのもの」という単純な機能だけを持つ存在であり、それ以上の意味や価値を考える余地はなかった。むしろ、それが今後どのように変わっていくのかなど、想像すらできないほど無邪気だった。


子供の頃、ちんこを露出することには何の抵抗もなかった。僕自身も、それを恥ずかしいと感じたことは一度もなかったし、周囲もそれを咎めるようなことはほとんどなかった。むしろ、それはどこか微笑ましいものとして受け止められていたように思う。例えば、小さな子供が無邪気に服を脱ぎ捨てて走り回る光景など、それを見た大人たちは笑いながら「もう、やめなさい」と軽くたしなめる程度だった。その行動は、無邪気さそのものの象徴として許されていたのだ。

だが今、大人になった僕が同じことをしたらどうだろう。それは「大問題」になる。人を不快にさせるどころの話ではなく、社会的に許されない行為だ。犯罪として扱われ、最悪の場合、人生を台無しにするだろう。


あの頃の無邪気さは、もう完全に失われてしまった。子供の頃のちんこは、小さくてどこか愛らしさすら感じさせる存在だった。それは男の子そのものの純粋さを表していた。両親も、周りの大人たちも、その存在に対して特別な感情を持つことはなく、ただの体の一部として自然に接し、そこに性的な意味は一切なかった。

しかし、大人になるにつれて、その存在はまるで別のものへと変貌を遂げ、ちんこは完全に性的な存在となった。それは欲望の象徴であり、性欲を感じる器官となり、隠すべきもの、タブーなものとなった。もはやかつての無邪気さなど、どこにも見当たらない。


全ての男の子の無垢だったちんこは、成長とともに性的な意味を帯び、性欲が目覚める。それは避けられない変化であり、同時に周囲の人々の認識も大きく変わっていく。幼い頃、親や周りの人が「可愛い」と笑顔で受け入れていたちんこも、成長するにつれて違う意味を持ち始める。

同じ人間の同じちんこであっても、それを取り巻く視線や扱いは、成長とともに大きく変わっていく。幼い頃は純粋で無邪気な象徴とされ、例えば親や周囲の大人たちから「可愛い」と言われることもあった男の子のちんこ。それが、成長を経て毛が生え、大きくなり、そして大人のちんこへと変わっていくにつれて、その見られ方は全く別のものになる。


かつて無垢だったちんこは、やがて性欲の象徴、さらには欲望そのものとしての存在へと変化していく。幼い頃のように「可愛い」と評価されることはもうない。 


やがて、大人になったその男の子は、自身の性欲を満たすために風俗に通い、周囲の大人たちに「可愛いね」と笑顔で受け入れられていたあのちんこが、今では性的快感を求めている。その事実を思うと、どこか不可解で、少し苦々しい気持ちさえ湧いてくる。同じちんこでありながら、幼い頃には純粋さや無邪気さを象徴していたものが、成長を経て欲望の象徴へと変わり果ててしまうのだ。

同じちんこなのに、その役割があまりにも違う。幼少期の純粋無垢な存在から、性欲を満たすための道具へ。この激しい落差があるのに、幼い頃のちんこと今のちんこが同じものであることに間違いはない。この一貫した「同じものである」という事実が、かえってその変化を際立たせる。同じ身体の一部が、成長とともにこれほどまでに意味や扱われ方を変えるというその過程に、僕は強い興味を抱く。


無邪気さの象徴だったものが、成長を経て欲望の象徴へと変わり、それだけではなく、周囲の認識までもが大きく変わる。


この劇的な変化の過程に、僕は強い興味を抱かずにはいられない。なぜ同じ器官が、成長とともにこれほどまでにその意味を変えるのか。

僕がこの文章を書いているのは、そんな疑問や興味に向き合い、記録しておきたいと思ったからだ。

人生の中で一貫して同じ存在でありながら、これほどまでに意味や役割を変化させるものは他にない。その特異性こそが、この文章を書こうと思った理由なのだ。

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