3℃ お面と、学校と、お薬

1 起立礼おはようございます着席

 今日きょうは、灰色はいいろのトレーナー。英語えいごなにか、くろいスタンプしてある。

 うまい具合ぐあいに、文字もじがチョコチョコはげている。

 あとは、コーヒーまめがこぼれるあさぶくろ

 これ、おとこふく……かな。

 まあ、あたたかいからいか。

 わたし、おんなの子の服特有とくゆうの、フリフリとか、リボンとか、キラキラとか、似合にあわない。



 本当ほんとう名前なまえかくしているおねえさんが「いえ」にやってた。

 おかめのおめんをつけていて、しゃべらない。

 わたしもひよこのお面をつけて、自分じぶんからは喋りかけない。


 お姉さんは、ホワイトボードに「いってらっしゃい。施錠せじょうわすれずにね」というはしきをのこして、洗面所せんめんじょかった。

 日中にっちゅう、わたしはこの家にないから、だれかに家事かじをやってもらわなくちゃいけない。

「いってきます」とホワイトボードにのこして、かける。

 あのサササッとはやく書いた字。

 あれは、とう うめ子(仮名かめい)さんだ。


「佐藤 ○○マルマルさん」という仮名のお姉さんが来てくれることのほうがおおいけれど。男のひともときどきる。

 どのひともお面をつけているから。佐藤さんたち以外いがい全員ぜんいん、「裏方うらかたさん」とんでいる。


 ガチャンッ。

 鍵穴かぎあなに鍵をしこんで、鍵を九十きゅうじゅうねじる。これで、施錠来た。

 鍵をくすといけないから、きちんとあるくこと。

 早退そうたいすることもあるから、鍵はキーホルダーにつけてある。

 ここに来てから、わたしは旅行りょこうをしたことが無い。

 ものにも、出かけたことは無い。

 ここにんで、ちかくの学校がっこう通学つうがくする。そういう約束やくそく

 だから、キーホルダーは、もらいもの。「裏方さん」のなか仲良なかよくしてくれるうちの一人ひとり、佐藤 紅葉もみじ(仮名)さん。

 お面をつけていても、あさだしなみをしっかりするよう注意ちゅういはされるけれど。

 それ以外は、とってもたよりになるお姉さんてき存在そんざい



 教員きょういん住宅じゅうたくまえでは、ふく面のひとたちが除雪じょせつ使つかって、ゆきかきをしてくれている。

 わたしにづくと、そく電源でんげんOFFオフにした。

 この覆面さんたちも、家に来たお姉さんとおなかんじのひとたち。


 ショートブーツみたいに、丈がちょっとあるスノーシューズ。

 まあ、これでちゃ色―とか、黒―とかだったら、お姉さんっぽく見えるのに。

 ここに来て、よん回目かいめふゆむかえるけど。十一じゅういちがつになるとかならず、こうやって、冬ぐつとどく。

 モッコモコのダウンコート、袋、マフラーは去年きょねんのものを使いまわしている。おおきめのサイズだったから、こんシーズンがちょうど良いかも。


 除雪機で、どうしゃ道がつくられているけれど。

 車はない。

 雪のかべり残されていたおどうさんは、シャベルでってから。あとは、手袋によるより繊細せんさいな手りで。無事ぶじ、雪の欠片かけらをつけたまま、朝らされている。

○○マルマル不動明王尊みょうおうそん」って地域ちいき名がつくらしいんだけど。

 その大事だいじな地域名の部分ぶぶんは、わざとけずられている。


 あかくない鳥居とりいと、ほこらもあるはずだけれど。

 雪ふかいところだから。

 このあいだ、祠を冬がこいしたから、ブルーシートがすこしくらいえても良いはずなんだけれど。

 はるまでのあいだは、ブルーシートにおおわれている。

 お不動さんもそうしたいのだろうけれど、そうすると、目じるしなにも無くなってしまう。

 わたしが迷子まいごになる可能かのうせいもあるから。

 お不動さんだけは、雪かきしてもらっている。

 冬囲いをした祠は、雪どけの時期じきに掘りこして、お神酒みきやおそなものをあげることになっている。


 異常いじょう気象きしょうなのかな。

 豪雪ごうせつ。ドカ雪。暴風ぼうふう雪。

 十一月なのに、記録きろく的な積雪せきせつになったと思う。


 信号しんごうも無いそらだい地もしろTティー字路じろ

 ここをひだりがると、除雪車一台いちだいとおれるだけの車道がほんのすこつづく。

 森林しんりんはさまれているので、なかなか除雪した雪のも無い。

 だから、そのまま正門せいもんっこんで、校舎こうしゃまえひろがるグラウンドのすみに除雪した雪のて場を確保かくほしている。



 この学校の中身なかみは普通。

 そと身は、らない。

 この学校を外から見た記おくが無いのだ。

 とにかく、鬱蒼うっそうとした、もりの中にある教員住宅から正門を通って、校舎へはいるだけ。


 普通、正門や正門のわきへいに、学校名の看板かんばんがつけられているが。

 なんとか小学校。

 ほにゃらら小学校・ちゅう学校。

 この正門にも正門脇の塀にも、なに識別しきべつできる看板が無い。

が無い」という普通ではない、「名が無いだけの」普通の学校。


 出入でいりぐちひとつに制限せいげんするため、児童じどうよう玄関げんかんは無し。

 しょく員用玄関にある鍵きロッカーの前で、外ぐつからうち靴にえる。


 一階いっかいは職員用玄関、職員しつ会議かいぎ室、給食きゅうしょく室。あとは「関係者けいしゃ以外禁止きんしのドア」がひとつ。


 校長と職員が共同きょうどうで使っている職員室。

 保健ほけん室っぽくない、ベッドと、応急おうきゅう処置しょちが出来る処置室。でも、肝心かんじん養護ようご|《きょうゆ》教諭もいない。


 階へつづく階だん東西といざいふたつ。

 家庭科かていか室、音楽おんがく室、図画ずが工作こうさく室、図書としょ室、放送ほうそう室は無い。

 クラス教室のおとなりには、科室っぽくない、実験じっけん器具きぐ置き場やほかの教ざい置き場があるだけ。

「この校舎は、薬品やくひんを使った実験は想定そうていしていません。本かく的な実験はしないでください。」という注意ちゅういきのかみが実験器具のだなられている。

 顕微けんびきょうくらいしか、使っていない。まだ、小よんだもの。


 かく階にトイレはある。

 男子だんしトイレ・じょ子トイレ。

 だれでも使える多目たもく的トイレは、一階のみ。


 二階ての校舎はこじんまりしている。

 でも、人の気配けはいは、おおい。

 校長先生と、担任たんにんかつらがわ とう先生、わたしの三人さんにんだけしか、職員用玄関を使っていないのに。



「おはよう!」

「ヒッ!?」

 校長先生は、あか天狗てんぐのお面ではりきっちゃっている。

 もう、やめてしい……。

 一学いちがっ期の終業しゅうぎょうしきなんか、妖怪ようかいのマスクをかぶって、わたしをこわがらせた。

「……校長先生、おはようございます」

「朝の職員会議はこれからだからね。

 もうすこし、教室でっててね」


 校長先生のおかおは、たことがない。

 お面のはしっこから、白髪しらがが見えるときもあるし。

めました」ってはっきりわかる黒びかりしている黒がみが見えるときもある。

 そして……校長先生なんだけど、スーツじゃない。

 あきわりの十一月までは、TシャツかロンTに、へちまえり(桂川先生に、そういう名前があるっておしえてもらった)のカーディガン。

 十月からは、毛玉けだまのついたセーター。

 一番いちばんだらしないときは、スウェット。



 はち時二十にじゅっぷんに教室とう完了かんりょう

 二十分後。

 桂川先生は、年一くみの教室へやって来た。

 桂川先生は校長先生にくらべれば、まだ全然ぜんぜんわかい。

 黒髪は……全然、白髪めを使ってない。

 わたしのほうがわか白髪が多ぎる。

 先生はふとってもいないし、せてもいない。

 眼鏡めがね・コンタクトの使用はしていない。

 くちびるうすくて。

 朝、起きたばかりのころは、青白あおじろい顔をしている。

 そうそう。

 先生は結婚けっこんしてたけど、婚したんだって。


 あと。

 前に、「お面をつけて先生の仕事をしている」ことについて、いてみたことがあるけれど。

「ここは、神域しんいきだから」とかえされただけで、会が続かなかった。

 桂川先生は小学校の先生なのに、はな下手べたなところがある。ううん、話し上手じょうず

 でも、わたしが学校の校そくについてしつこく質問しつもんすると、桂川先生はいやそうなこえ色を出す。


起立きりつれいおはようございます着席ちゃくせき

「はい、ストップ、ストップ。

 あのね、しくすみさん」

「はぁ……」

言葉ことばこう動に意味いみともっていない。

 やりなおし」

「起立しないで礼おはようございます以じょう

「あのね、如角さん。

 全校児童じどう一名の学校だけれど、校長先生も担任の先生もいるんだよ。

 礼せつわすれない」

「起立ー」


「だらだらたない。

 何回もやり直しは嫌だよね?」

「はい……起立ッ」


「礼ッ」

「おはようございますッ」

「はい、おはようございます」

「着席ッ……」



「はい、日直にっちょくさん。

 今日はなん月何にちですか?」

「十一月二十金曜日きんようびです。

 今日は金曜日なので、新鮮しんせん牛乳ぎゅうにゅうパックがとどきません」

 ここは山奥やまおくらしいので、とにかく新鮮な乳製品は入手にゅうしゅ困難こんなん

 毎週まいしゅうげつ曜日の午前ごぜん中に天気てんきければ、ドローンかヘリコプターが一週間分かんぶんの牛乳パックをはこんでくれる。

 だから、校長先生と桂川先生、わたしの三人で、大きめの牛乳パックを開けて、分配ぶんぱい

 しっかり密封みっぷうして、冷蔵れいぞうもどす。

 でも、校長先生が「おかわりー」とかやっちゃうから、すい曜日にはあたらしい牛乳パックのふうける。

 くさらせる前にっているから、衛生えいせい上の問だいは無し。

 金曜日の今日の給食で飲み切れなかったら、桂川先生が教員住宅へかえることになっている。


つぎは時間わり案内あんないです。

 一時間目、体育たいいく

 二時間目、国語こくご

 三時間目、理科。

 四時間目、音楽。

 時間目、算数さんすう

 ろく時間目、員会かつ動です」

「はい、つぎ当番とうばん発表はっぴょうをおねがいします」

「教室掃除そうじとう番・給食当番、如角です。

 ほかの場しょの掃除当番は『裏方うらかたさん』です」



「今日のお面は、何のお面ですか?」

「……フツー」

「如角さん」

「だってー」

「『だってー』じゃ無い」



「今日のお面は、ひよこのお面にしました。

 お面の中では、かるいほうだからです」



 わたしは、しくすみ あん

 名前の無い学校にかよっている。

 この学校には、ななつのきびしい校則がある。


 一、学校生活中・登校中に、お面をはずしてはいけない。

 二、児童は国語の授業で、おとうさんとおかあさんにお手紙てがみを書く。

 三、学校関係者である職員と児童は、校長先生のきょ可無く外接触せっしょくしてはいけない。

 四、児童はすいの日にひな人形にんぎょうを学校のロビーにかざる。

 五、児童は三月四日よっかの午前中、雛人形を片付かたづける。

 六、児童は先生とオレンジ色のリボンをした「裏方さん」以外の人とは、校長先生の許可なく接触してはいけない。

 七、避難ひなん訓練くんれんはしない。


 家族かぞくはなれてらして、三年ろっげつ

 ホームシックにはならない。

 よるしち時。ゆう三十分って、おくすりをきちんと飲んでいるし、「家」でも、桂川先生といっしょだもん。

 何もこわくない。

 うーんと、校長先生がときたま被る「妖怪のお面」以外はね。

 ……あれ?

 ちがうな。

 わたし、怖いものがほかにもあった気がする。

 くらいところ。

 せまいところ。

 あと、あと、あと。






 人間にんげんほね







 ドクン。

 ドクン。

 ドクドクドクドク。


 あっ。

 ああ。

 ああああ。



「安和、パニック発作ほっさだな。く薬、飲むか?」

 手あしふるえがまらなくなるから。椅子いすすわったまま、ひっ死になって、つくえの中にりょう手をかくす。

「やだ。あれ、ねむくなる。

 ……たのしいことかんがえれば、十分じゅっぷんくらいで落ち着きます。大丈夫だいじょうぶです」

「動るか?」

「はい。ちょっと、動画視て、心臓しんぞうのドキドキバクバクやめさせます。

 ……大丈夫です。

 保健室へ行くまで、ひどくないです」


 そこへ、佐藤 紅葉(仮名)さんがやって来た。

「二階の教室にもベッドをどう入します。

 一階の処置室はじょう閉鎖へいさしていて、暖房だんぼうを入れてもすぐあたたまらないですから」

 教室のすみにはもう、ベッドを覆うロングカーテンがそなえ付けてあった。


 紅葉さんのカサカサした手れが服しにつたわる。

 紅葉さんと桂川先生にささえられて、何とかベッドのうえがる。

「ひよこのお面を外しますね。

 大きめのアイマスクをつけます」

 目もとはなあなギリギリちかくまで覆うアイマスクをして、保健室のベッドによこになる。

 嗚呼ああ、これじゃあ、動画は視れない。

 みぎ手のひら錠剤じょうざいを一錠、のった。

 くちふくんで、紅葉さんとは別の人の手から、おみずが入ったコップをけ取る。


「今日は給食時間まで、トイレ以外はベッドの上で過ごしてください。

 体育は明日あすこうえん期。

 トイレ使用時も、内鍵を使用しないように」



 気がついたら、下校時刻にながれるクラシック音楽の「トロイメライ」がこえて来た。

「……あはははっ。

 校長先生が天狗のお面を?

 もう、何なんでしょうねー」

かい制作せいさくだけではつまらないですからね。

 生とコミュニケーションを取りたいんでしょう」

 紅葉さんと。

 桂川先生の楽しいおしゃべりが聞こえる。


 自分が具合が悪いときに聞かされる、高笑たかわらいほど。

 身体からだどくびせられていると、感じる。

 どうしてなんだろう。

 でも、わたしには、もう帰るお家は、桂川先生とんでいる、あの家しかない。

 名前の無い学校の近くに立っている、教員住宅の二階。

 20マル1イチごう室。


 もう、薬を飲まないように。

 然に笑顔えがおにならなくちゃいけない。

 自分の身体なんだから、ちゃんと自分でコントロールしないといけない。

 きているのに。

 わたしの心臓は言うことを聞いてくれなくなっている。


 教室の天井てんじょうには、コーヒーの湯気ゆげただよっている。

 カーテンレールの隙間すきまと、カーテンの上の部分のメッシュから、どんどん、コーヒーのにおいがやって来る。

 大人おとなしか飲めないやつ。


 嫌だな。

 こんなふうおもうの。

 でも。

 わたし、一人ひとりぼっちだ。

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2024年11月30日 20:30 毎日 20:30

ぼんぼり 雨 白紫(あめ しろむらさき) @ame-shiromurasaki

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