世界の端っこ

夏空 青

端なんか存在しないんでしょう?

「世界の端っこに行ってみる気はない?」


 それは、小さな雪の粒が幾億も舞う冬の日のことだった。


「世界の端っこ?」


 私の前に立ちはだかり、まっすぐな眼差しを注ぐ彼女の言葉が冗談ではないことを悟ると、「世界の端っこ」が自身の聞き間違えでないことを確認した。


「そう。私たちで行くの」

「でもこの世界って丸いんでしょう? 端なんか存在しないよ」

「私はそう思わないな。君は他人の情報だけで全てを知った気になっているんだ。本当に端がないのかどうか。私はそれをこの目で見てみたい」


 吸い込まれてしまいそうな真っ黒で大きな瞳をした彼女は、ツンと尖る鼻先をほんのり赤く染めながら空を仰いだ。瞳と同じような色の髪を靡かせ、白い空を愛おしそうに眺めるこの儚げな女の名は、雪野遥といった。


「その様子だと本気みたいね」

「当たり前だ」

「因みに、どうやって端まで行くか決めてあるの?」

「ああ、もちろん」


 遥の計画は、この世界でたびたび起こる猛吹雪に飛ばされて端まで行くという、夢で見たとしても無謀なものであった。


「遥、それは諦めた方がいい。絶対に無理よ。元々、世界が丸いだなんて空を眺めればわかるじゃないの」

「いや、でも……」


 言い訳をしようとする遥を遮り、私は言葉を続けた。


「それに、私たちはまだ16歳よ。大人の助けなしに生きていけない」


 それを聞いた遥は先ほどまでの自信がすべて消え失せてしまったかのように口をつぐんだ。もう少し遥の意見を聞き入れたほうがよかったかもしれない。それでも、本当に世界の端っこに行くのなら避けては通れぬ事実なのだ。私たちはまだ子供。それを遥にわかってほしかった。

 

 黙りこくってしまった遥にかける言葉を探っていると、静かに舞っていたはずの雪が猛吹雪となって私たちの肌に吹きつけた。


「またか」


 遥が冷静な反応をして首に巻いたマフラーを鼻のあたりまで持ち上げた。私たちが異常なまでの吹雪に動揺しなかったのは、これが日常となっていたからだった。暫くの寒さに耐え、やっと吹雪が収まると遥が二の腕をさすりながら呟いた。


「最近、吹雪の来る頻度高いな」

「そうね。何もなければいいけれど」

「いや。これはチャンスだ。世界の端っこへ行くための」

「あんた……まだ懲りていなかったの?」


 確かに遥は一度決めたことを諦めたりしない。それでも、『世界の端っこへ行く』などという無謀な挑戦は流石に諦めてくれるだろうと油断していた。真っ白なため息は雪に混じって消えていく。心底呆れながらもう一度遥を説得しようと口を開いた瞬間だった。再び吹雪が激しく舞い始め、冷たい風が私たちを締め付ける。またか。飛ばされないように両足を踏ん張り、目をぎゅっと瞑っていると体が宙に浮いたような感覚がした。異様な感覚に目を開くと、私の両足は地面から五メートルほど離れた宙にあった。


「きゃっ!?」


 私の足跡を残した真っ白な地面がどんどん離れていく。そうだ、遥は?


「椿!」


 後ろから私の名を叫ぶ声が聞こえた。遥だ。無事だったのか。


「椿、今がチャンスだ! 世界の端っこへ行くぞ! 無駄な抵抗はせず風に身を任せるんだ!」


 目を輝かせて弾けるような笑みを浮かべる遥はまるで、この極寒の地にやってきた太陽のようだった。


「……わかった。このまま地に落ちても死んじゃうだけだし、しょうがないね」


 仕方なく承諾して、大人しく風に運ばれることを選んだ。実はほんの少し、私も淡い期待を抱きはじめていた。


 竜巻のような吹雪に揺られながら空中を飛び回る。吐き気を抑えながら遥の後を追った。

 

「痛っ」


 ゴン。前方から鈍い音が聞こえた。遥の頭に、何か硬いものが当たったようだった。


「なんだ。案外近いんだな」

「どうしたの?」

「壁にぶつかった。多分、ここが世界の端っこだ」


 吹雪のせいでよく見えないが、見渡す限り壁は見えなかった。


「壁なんかある?」

「ああ、ガラスでできた透明な壁だ。それに、これは……」


 遥のもとまでたどり着き、手を伸ばして壁に触れた。ひんやりとした感触。本当に世界の端はあったんだ。いや、それよりも。


「なに、これ……」


 壁の外に広がっていた光景に、鼓動が速まるのを感じた。世界に端っこがあったことよりも、透明な壁があったことよりも、私たちがなにより言葉を失ったのは、壁の先に見える――外の世界の存在だった。


 しかし、外の世界にはどことなく既視感があった。それは遥も同じらしく、ただでさえ大きな瞳をさらに巨大化させ、塞がらない口から声を漏らした。


「なんだか、部屋の中みたいな……」

 

 そう。外の世界は、まるで巨人の部屋のようだった。ベッドも机も、小物類に至るまで、それは誰かの部屋そのものだった。


「私たち……巨人に飼われてたってこと!?」


 声を荒げて透明な壁を殴ると、外の世界から大きな手のようなものが押し寄せた。


「な、なんだ!?」


 それは私たちの住まう世界を軽々しく持ち上げ、思いっきり振った。するとそれまで止んでいた吹雪が吹き始め、私たちを地上へ叩き落した。体には激痛が走ったが、幸いなことに出血はなかった。雪がクッションになってくれたのかもしれない。


「遥……!」

「椿……!」


 マフラーは風で吹き飛び、手の感覚はもう失っていた。それでも私たちは腕を伸ばし、互いの手をつかんだ。双方温もりなど残っていなかった。ああ、これで終わりか。でも最後が遥と一緒でよかった――……。


 



「こら、そんなに激しく振らないの。もし落としてスノードームが割れちゃったらどうするの?」

「えー。でもこれ、振ると雪がぶわあって舞って綺麗なんだよ」

「そうね。でも中にいるお人形さんたちも可哀想でしょう?」

「うん……ごめんなさい」

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