隕ふるスケルツォ
森村直也
一日目:昼:足立
レジ袋を無造作に下げて人気のないロビーを突っ切り、解説員の足立は事務所の油の足りない扉を開く。
「水、いる人ー」
袋を軽く掲げただけで、手とヒステリックな声が上がった。
「そのラベル! 直孝君の!」
「脇坂氏!?」
手を上げたのは解説員の井田で、ヒステリックな声は事務員の直原だ。女性二人の勢いに苦笑しながら、足立は井田へとペットボトルを一本渡す。一本は自席、残りは『ご自由にどうぞ』エリアに置く。『宇宙に御心 地に清水 歩いて健康 御心湧水』POP体で書かれたデザイン性の欠片も無いラベルが並ぶ。
「そんなモノ突っ返してきて下さい! ここは町立の施設、公共性の高いプラネタリウムなんですよ!」
はいはい。足立は口の中で呟いた。
「朝一で置いてったの。頑張ってって応援された」
「頑張って?」
「いいですか? ご近所さんでも、『
そんなこと言われてもね。足立は思う。俺、普通に知り合いだし。
おいしぃ。井田の蕩けそうな声が聞こえる。足立も一口――相変わらずちょと美味しい。至って普通の天然水だ。
宗教法人『宇宙御神御心教団』はプラネタリウムの斜向かいに本部を構えるローカル新興宗教団体である。本部ビルは二十五年程前まで造り酒屋の本店だった。教団の代表、脇坂直孝はそこの次男だ。地元出身の足立にとっては『酒屋の息子さん』であり、三〇年前に落下した
それでも足立にとっては知り合いに違い無い。そして、酒造りにも使われていた保丹屋山の湧き水は美味い。単純に美味い。
「たとえ知己でも、今は宗教法人代表と町立施設の職員です。立場をわきまえて下さい!」
はいはいはい。足立は業務用端末に手を伸ばす。井田とつい目配せする。五月蝿いからお仕事しましょうか。
「おはようございます」
蝶番の悲鳴と共に優しい響きの男性の声が聞こえてくる。技術員兼解説員の古閑だ。
「おはようございますぅ」
「おはようございます」
挨拶にと振り返る。古閑はペットボトルに目を留めていた。
「お水、良かったらどうぞ」
生返事が聞こえたような気がしないでもない。古閑は水を取らなかった。
「古閑さん。『地球誕生(仮)』、進捗が上がっていないようですが」
直原の鋭い声が飛ぶ。
「すみません、今、更新します」
恐縮した声で古閑が応える。
「進捗はタイムリーに上げて頂かないと困ります」
「えぇ。申し訳ありません」
進みが良くないっぽいな。足立は思う。穏やかな表情を崩さない古閑の視線はだいぶ下を向いている。状況が宜しくない証拠である。
『地球誕生(仮)』は原始太陽系、太古の地球から見た宇宙をプラネタリウムで再現するというものだ。毎日の最終上演の『隕石のふるさとへ』――通称『隕ふる』は、隕石落下を町おこしに起用した保丹屋らしいプログラムとして少ないファンにも町役場のお偉方にも人気があるが、初演から既に三年が経過している。次のオリジナルプログラムとして『地球誕生(仮)』は多大なる期待を寄せられている。しかし担当の古閑の表情はこのところずっと芳しくない。
とはいえ、足立に出来ることなど何もない。足立は水を一口含む。味わいながら端末をスリープ解除、Web予約の管理者メニューをクリックする。
「はい?」
「あっらぁ」
井田と二人、頓狂な声を上げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます