ヲ幸セニと書かれた薬 last days part.3
憑弥山イタク
ヲ幸セニと書かれた薬
あと少しの揺らめきで雨が降りそうな、重苦しい灰色の曇り空。今になって考えれば、あの日の曇り空は、"終焉"の幕開けを待つ垂幕だったのかもしれない。尤も当時の私も、そして他の者達も、そんなことは考えつかなかった。
『臨時ニュースをお伝えします。先程、各国首脳陣の対談を経て、国家非常事態が発令されました。本日発令された非常事態宣言は、地球上の全ての国へ適応とされるとのことであり、非常事態宣言解除の予定は……現状では考えられないとされています』
いつもならば常に冷静で、自慢の精悍な顔つきを崩さぬ男性アナウンサーも、その日ばかりは冷静ではいられなかったようで、言葉を詰まらせた挙句、眉間に皺を寄せていた。
その男性アナウンサーだけではない。全てのテレビ局、全てのラジオ、全ての配信に於いて、非常事態宣言の発令を報告する者達は、皆が険しい表情を見せた。
『非常事態宣言の詳細に関しては、後程、榊原内閣総理大臣より、緊急生中継にて報告致します。皆様、今暫く、このまま画面を注視いただくようお願い致します』
非常事態宣言の発令に至った経緯が、災害の発生やパンデミック、或いは戦争の勃発であれば、発令される前に国民達が既に危惧している。
しかし、今回ばかりは、誰も分からなかった。災害発生のアラートは鳴っていないし、パンデミックを起こすような病気も蔓延はしていない。
ならば、開戦か?
とは言えここは日本。唐突に戦争を始めるとは、あまり考えたくない。しかも、日本だけでなく、非常事態宣言は地球上の全ての国へ適応されている。即ち、開戦よりも酷い理由があるのかもしれない。
地球全体に不穏な空気が漂い始めた頃、全ての国で、各国首脳陣による非常事態宣言の詳細が明かされた。
天文学研究所からの報告により、小惑星地球衝突最終警報システム"アトラス"が地球近傍天体の接近を観測。観測された小惑星の予測軌道上に地球があり、小惑星がこのコースで進行した場合、8日と3時間程度で地球に衝突する。
各国首脳陣、及び有識者との対談を経て、国家非常事態宣言の発令を可決。しかし、宇宙空間を漂う小惑星を、地球上へ接触する前に破壊することは困難を極める。
有識者、武力、総出。
地球存亡の危機を回避する為にも、利用できる情報も技術も全てを使う。しかし尽力の末に、目的が達成されるとは限らない。目的が達成されなければ、地球上の生命の8割以上が失われる。或いは、生命が失われる前に、地球そのものが砕け散る。
国家非常事態宣言が解除される可能性は50パーセント……と言われているが、実際の可能性は20パーセント未満。
非常事態宣言発令中に、可能な限り人類が生きられる術を模索し実行する。シェルターなどの製造が挙げられるが、それも実現は難しい。
政府は、人類が生きられる未来を絶望的であると判断し、予め製薬会社に製造と量産を委託していたとある新薬の配布を指令した。
新薬は"Happiness Order Probably Effective"と名付けられている。略称を用いることを前提とした命名である為、関係者達は薬品名の英単語から頭文字を繋ぎ合わせて"HOPE"と呼称している。
HOPEは随時、各国全国民のうち希望者のみに配布される。そしてHOPEを受け取った人々は、任意のタイミングで服用する権利を得る。
カプセル剤のHOPEにある効能は、3段階に分けられているものの、結果的に得られるのは極めて単純である。
効能の第1段階は睡眠。睡眠薬と同様の効果が発生し、強い痛みや刺激を意図的に感じなければ、意識を保っていられない状態になる。
効能の第2段階は麻痺。麻酔薬と同様の効果が発生し、全身の感覚が遮断され、ノコギリで切られても気付かない状態になる。
遅れて第3段階は、死。安楽死に用いる薬品に類似する効果が発生し、意識と感覚を遮断された体を完全にシャットダウンさせる。
簡潔に言えばHOPEとは、安楽死をさせる薬である。現在、日本での安楽死は認められていない。しかし今回の国家非常事態は"一国"ではなく"地球全体"の問題であり、かねてより安楽死の認可を求めたデモ活動も確認されていた為、超法規的措置として国民への配布が許可された。
尤も、安楽死を認可していないにも関わらず、製薬会社へHOPEの製造を委託していた政府には深い謎があるが、政府はその謎について決して明かさなかった。
そして既に、私の手元にもHOPEが届いている。私はHOPEの服用を避けてきたが、小惑星衝突予測時間が目前に迫り、遂に私は、製薬会社から自宅に届いたダンボールに触れた。何せ隕石の衝突が原因で死ぬなど、絶対に嫌だ。
ダンボールの小箱を開けてみれば、薬とダンボールの隙間を埋める発泡スチロール。発泡スチロールの中心には、ザラザラとした黒い紙製の箱。黒い箱の表面には、銀色の字で「ヲ幸セニ」と印字されている。この中に人を死なせる薬を入れていながら、我々の幸せを願うようなパッケージを作った製薬会社に、私は鳥肌が立つ程の狂気を感じた。
死後の世界に於ける幸せを願うつもりだとしても、大抵の人間は地獄落ち。幸せなど微塵も抱けないだろう。
黒い箱を開けてみると、梱包に覆われた1錠のカプセル剤。白と水色の2色で作られたカプセルは、市販のカプセル剤と同等のサイズであり、何ら変わった様子は無い。カプセルの下には薬の説明書が入っているが、私を含めた大抵の人間がHOPEの効能を事前に理解している為、不要。
私は梱包からHOPEを取り出し、口へ放り込んで水で流し込んだ。元々カプセル剤は苦手だった為、飲み込む際には少し来るしかった。
薬が効果を発揮するまでに、私はベッドへ寝転がり、窓から見える空を見上げた。雲ひとつない、見慣れたはずの紫の空だが、今日は何故か、酷く美しく見えた。
小惑星衝突予測時間まで、残り20分。
私はHOPEの効能に助けられ、隕石を目にすることなく、眠るように、安らかに死んだ。
誰からも注目されない、何も成し遂げられない、酷くつまらない人生だったが…………苦しまずに死ねるだけ、まだマシだった。
ヲ幸セニと書かれた薬 last days part.3 憑弥山イタク @Itaku_Tsukimiyama
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