【14】胡羅氾

耀湖を囲む六公国の一つ、ちょうに足を踏み入れた伽弥かや一行は、故国ようへと繋がる街道を粛々と進んでいた。

この国に入るや否や、秋が一気に深まったと彼らが感じたのは、街道沿いの風景のせいばかりではなかった。


途中で通過した二つの街に暮らす人々の顔にはどれも覇気がなく、街そのものを打ち沈んだ空気が包んでいたからだ。

それが嘗て朱峩の語っていた、晁公と公弟との間の争いによる疲弊によるものなのか、或いは跳梁する匪賊への怯えから来るものなのかは、伽弥には分からなかった。


ただ国全体が暗澹とした色に染まっていることを行く先々で感じながら、彼女は故国曄を思わざるを得なかった。

それはこうでの争闘で倒れた<七耀>の<木>が、今際いまわの際に残した言葉が、伽弥の耳から離れないためだった。


『曄姫よ。貴方は何も分かっていない』

『曄が今どのような有様なのか。曄の民が、何を思っているのか』

『そして、何故胡羅氾様があれ程の力を持ったのか。貴方は何も分かっていない』


魯完という刺客が残したその言葉の一つ一つが、彼女の心に突き刺さったままになっていたのだ。

それは恐らく彼の言葉に込められた悲しみや絶望を、伽弥が敏感に感じ取っていたからだろう。


――あの魯完という者は、何に絶望していたのでしょうか?

――曄の民は皆、あの者のような悲しみを背負っているのでしょうか?

目の前の光景の中にある晁の民の姿を、伽弥は故国の民に重ねていた。


――そうであるとすれば、それは公室の失政が招いたものなのでしょうか?

――それを利用して、胡羅氾が力を蓄えたというのでしょうか?


伽弥が直接まつりごとに携わっていなかったとはいえ、公室に連なる者としての自責の念が彼女を苛むのだ。


そして最後に彼女が行き着いたのは、自国のことを何も知らない――という一点だった。

そのことに思い至り、伽弥は今、深く自分を恥じていたのだ。


そして晁の民に自国の民を重ねることで、嘗て朱峩から教示された<大義>が、自身の中で育ち熟しつつあることに、彼女はまだ気づいていなかった。


伽弥が豨車に揺られながら、晁の街道を旅しているその頃。

曄国北東部の大邑琥湛こたんの一隅にある大邸宅で二人の男が対面していた。


そこはそくしょの二国との国境に接する地域を支配する、辺境伯胡羅氾こらはんの居宅だった。


その奥まった一室で、胡羅氾は<七耀>の首魁である<日>の賀燦がさんからの報告を受けていた。

過食によって膨れ上がった巨体を、豪奢な胡床に横たえて反り返る彼の顔には、明白あからさまな不満の色が浮かんでいる。


伽弥の捕獲が不首尾に終わり、既に一行が晁国にまで至ることを許してしまった<七耀>の失態について、賀燦から報告を受けたからだ。


胡羅氾は豺獰さいどう(凶暴な山犬)が唸るような低く掠れた声で、目の前に立つ賀燦に向かって罵声を叩きつける。


「この役立たず共が。

小娘一人連れてくるのに何を手間取っておる。


況して阿宜あぎまで煩わせてしくじるとは、呆れてものが言えんわ。

うぬらの無能のおかげで、あの阿呆に借りを作ることになったのだぞ」


その罵言を浴びた賀燦は、「申し訳ございません」と只管ひたすら詫びるしかなかった。


そして顔を上げると、

「晁には<水火>の二人を遣りました。

今度こそは必ず、伽弥姫を捕らえて御覧に入れます」

と、決意を込めて言上する。


「ふん、既に<三曜>が、その朱峩とやらに倒されておるのだろう。

本当に大丈夫なのだろうな」

「は、<水火>が二人で掛かれば、いかに武林観の朱峩とは言え、太刀打ちできぬかと」


その言葉を聞いた胡羅氾は、再び「ふん」と鼻を鳴らして吐き捨てるように言った。

「まあよい。

それよりもお前には別の役目を果たしてもらおう」


「別の役目でございますか?」

「そうだ。それはな…」


胡羅氾から言い渡された命令に耳を疑った賀燦は、「そのような大それたことを」と言って絶句してしまった。

その様子を鼻で哂うと、胡羅氾は豺獰のような兇悪な眼に戻って彼に告げた。


「伽弥の件もこの件も、もししくじったならば、お前たちのは見せしめのために全員首を撥ねて晒すぞ。

心して掛かれ」


その言葉に無言で肯いた賀燦は、踵を返して胡羅氾の前から退出する。

その顔には激しい怒りと屈辱が溢れていた。


そもそも<七耀>と呼ばれる程の強者である彼らが、胡羅氾に唯々諾々と従っているのは何故なのだろうか。

それは胡羅氾が辺境伯に上り詰める途次で、彼が行った非道の行為に起因していた。


胡羅氾はかつて曄地方軍の下級将校に過ぎなかったのだが、ある時匪賊の討伐で名を挙げたのだ。

そのおかげで小部隊の指揮官に昇進した彼は、<討伐>が出世に繋がることに味を占め、悪辣な所業に手を染めた。


彼が行ったのは、国境地帯の山地で暮らす少数民族を<匪賊>にでっち上げて、<討伐>することだったのだ。

そのために彼は直属の部下たちに匪賊を装わせ、辺境の邨々むらむらを荒らし回ったのだった。


そしてその罪を山地の少数民族に着せて、彼らを<討伐>したのである。

その功績で胡羅氾は遂に地方軍の将軍まで上り詰めたのだが、彼の野望は留まることを知らなかった。


胡羅氾は配下の匪賊働きによって収奪した財貨を、中央官邸の高官たちに惜しみなくばら撒くことでその地位を累進させ、遂に辺境伯にまで上り詰めたのである。


そして彼がこの様に奇跡的な出世を遂げたことには、理由があった。

その頃曄では役人の腐敗が中央から地方にまで及び、贈収賄や役人による民からの収奪が横行していたのだ。


特に中央政府では数人の高官が手を組んで人事権を握り、収賄による売官行為を大々的に行っていた。

そしていつの間にか徒党を組んで宮廷を牛耳る役人たちによって、公室が圧迫される事態にまで至っていたのである。


気弱な曄公は彼らの跳梁を抑えることが出来ず、国情が日に日に悪化するのを、手をこまねいて見ているしかなかった。

そしてその状況に付け込んだのが胡羅氾だったのだ。


彼は先ず支配地での軍事力を強化し、王軍や他領の地方軍とは比べものにならない規模の直属軍を作り上げた。

そしてその軍を用いて自領では徹底した恐怖政治を行う一方で、隣接する公室の直轄領に配下を送って治安を悪化させ、その混乱に乗じて徐々に支配領域を拡大していったのである。


その謀略に使われたのが<七耀>であった。

元々<七耀>は胡羅氾の<討伐>に遭った、山間部に暮らす少数民族の一つであるきつ族に所属する者たちだった。


胡羅氾は<匪賊>にでっち上げた少数民族の<討伐>において、徹底した殲滅を持って臨んだのだが、唯一桔族のみがそれを免れたのであった。

それは桔族の民が持つ人並外れた聴覚と視覚が、諜報活動に役に立つと、胡羅氾が考えたためであった。


そして桔族の中で特に視覚、聴覚、そして武技に優れた者たちが<七耀>として選ばれ、胡羅氾に使役されることになったのだった。


胡羅氾は桔族が裏切るのを恐れ、彼らが暮らすむらを、軍を使って徹底的な監視下に置くとともに、更に<七耀>からは家族をに取っていた。


そのため<七耀>の者たちは胡羅氾に使役され、悪辣な所業に手を染めざるを得なくなっていたのだ。

<木>の魯完の眼に最後に浮かんだ絶望は、そのことに由来するものだったのだが、伽弥にはそのことを知る由もなかった。

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