【12-4】伽弥の危機(4)

<七耀>の<木>、魯完ろかんの謀略によって、辺境伯阿宜あぎの近衛兵に連行された曄姫ようき伽弥かやとその一行八人は、粛々と街道を進んでいた。

伽弥と侍女の鹿瑛ろくえい豨車きしゃに乗り、虞兆ぐちょうたち護衛士は徒歩でそれに従う。


その前後左右を阿宜の近衛兵二十人が取り囲み、魯完は最後尾を歩いて一行の挙動を油断なく監視していた。

護衛士たちは武器を取り上げられ、彼らが牽いて来た荷駄に乗せられてしまったため、咄嗟にそれを取って阿宜の兵たちに抗うことは事実上困難となっていたのだ。


虞兆たちはその屈辱に耐えながら、黙々と歩んでいた。

彼らのどの顔にも、憤怒の形相が浮かんでいる。


やがて一行が到着したのは、耀湖畔に設けられた船止めだった。

そこには商船に偽装した、曄の辺境伯胡羅氾こらはんの軍船が係留されている。


魯完は王命と偽って伽弥を船に乗せ、耀湖から曄国内を流れる伏水ふくすい(耀湖に注ぐ四大河の一つ)に入って、そのまま一気に胡羅氾領まで遡る心積もりなのだ。

そのことに伽弥たちは、まだ誰も気づいていなかった。


船止めでは既に阿宜が、護衛十人を従えて待ち受けていた。

そして伽弥たちの到着を認めると、豨車からおりて一行を出迎える。


阿宜は伽弥の乗った豨車に近づくと、無遠慮に扉を開けて中を覗き込んだ。

その顔には下卑た笑いが貼り付いている。


「曄姫殿か?

この地を治める辺境伯の阿宜じゃ。

早々に車から降りられい」


そう言って阿宜が数歩下がると、先ず侍女の鹿瑛が、そしてそれに続いて、伽弥が豨車から降り立った。

彼女の毅然とした面立ちは<傾国>の名に相応しい美貌を湛えていたが、その眼には激しい怒りの炎が点っていた。


地に降り立った伽弥は、刺すような視線で真っ直ぐに阿宜を見る。

そしておもむろに開いた口から迸り出たのは、激烈な問責の言葉だった。


「阿宜殿とか申されたな。

私共一同、こうの辺境伯から、この様に理不尽な扱いを受ける謂われはありません。


これは我が曄への冒涜ともいえる振る舞い。

このことは暉公もご承知のことですか?」


伽弥を孅弱せんじゃくな深窓の令嬢をと侮っていた阿宜は、その強い語気に鼻白んだが、すぐに気を取り直して彼女を睨み据える。


「これは王命によると申したであろう。

我が主公とは関りのないことよ。

まして娘が王室に無礼を働いた曄公に、とやかく言われる筋合いなどないわ」


しかし伽弥は一歩も引かない。

「先程から王命、王命と申されますが、果たして暉公を通さずに、一辺境伯に王命が下るようなことがあるのでしょうか。


誠に疑わしい限りです。

もしや王命を騙っているのではありますまいな」


その道理を弁えた真っ当な指摘を受け、阿宜はすっかり狼狽えてしまった。

そしてそれまで保っていた威厳をかなぐり捨て、怒りに任せて喚き散らす。


「黙れ!小賢しい小娘が!

最早お前に選択の余地などないのだ。


お前はこれからあの船に乗って、胡羅氾こらはん殿の元に運ばれるのだよ。

分かったか」


「今、胡羅氾と言われたか。

やはり王命というのは騙りだったのですね」


伽弥に詰問されて、阿宜は漸く己の失言に気づく。

そして<七耀>の魯完ろかんは彼の愚かさに舌打ちした。


しかし阿宜は平然として伽弥に怒りの目を向ける。

「王命などどうでもよいわ!

大人しく言うことを聞かねば、お前の従者どもはみなごろしにするぞ!」


その言葉に反応したのは、警護隊長の虞兆だった。

「貴様、姫様に対して無礼にも程があるぞ!

むざむざ姫を、貴様如きの手に渡すと思うか!」

そして虞兆と護衛士六人は、伽弥の前に盾として立ちはだかったのだ。


しかし阿宜は、彼らの覚悟をせせら笑う。

「たかが七人の無手の者に何が出来るというのか。

笑わせるでないぞ。


大人しく姫を渡せば、殺すようなことはせん。

奴隷として生かしてやろう」


そして阿宜が配下の近衛に手を翳すと、隊長の甘誇六かんこりくが戟を手にして前に進み出た。

「無駄な抵抗は止せ。

貴様らも死にたくはないだろう」


甘誇六に嘲笑された護衛士たちは、皆がまなじりを決した。

それは例え無手であっても、むざむざと伽弥を渡さぬという決意の表れだった。


その覚悟を嘲笑うように、甘誇六が那駝なだを前に進め、配下に号令を下そうとする。

正に曄姫主従は、絶体絶命の危地に陥っていた。


その時空気をつんざいて、「ぎゅおっ」という音が鳴り響いた。

その不吉な音を聞いて、<木>の魯完ろかんは咄嗟に飛び退く。


しかし甘誇六は呆然としたまま胴を両断され、彼の背後にいた二人の近衛兵も重なるように吹き飛ばされ、地に落ちて絶命する。

彼らは刃広斧はびろよきの鏃で、重なるように縫い留められていたのだ。


その強弓を放ったのは、那駝に乗って駆けつけた朱峩だった。

そして彼が続いて放った二矢によって、新たに四人の兵が軀を破砕され、絶命したのだった。


残りの兵士たちが余りに予想外の出来事に呆然とする中、朱峩は軽やかに那駝から飛び降りる。

そして手にした黒棒を縦横無尽に振るい、その場の兵士たちを怒りに任せてなぎ倒すのだった。


朱峩の怒りの棒撃を喰らったある者は、脳漿を飛び散らせながら吹き飛び、またある者は胴をくの字にへし折られて絶命する。

怒れる朱峩はその時、正に阿修羅の化身と化していたのだ。


瞬く間に十余人の兵士を撃殺した朱峩は、腰を抜かして地に坐した阿宜の首筋を棒で叩いて気絶させる。

そして虞兆に向かって、「こいつを抑えて置け」と目配せした。


その意を察した虞兆は荷駄に駆け寄って武器を手に取ると、阿宜の軀を引き寄せて首筋に剣先を突き付ける。

配下の護衛士たちも、虞兆に習って各々の武器を取ると、伽弥の周囲を固めるようにして隊列を組むのだった。


それを横目で見た朱峩は、呆然と手を拱いている兵たちに向かって言い放つ。


「お前たちの主の身は抑えた。

素直に武器を置いて投降すればよし。


さもなければ、主の命は保証せんぞ。

まあ、お前たちが束になって掛かってきたところで、みなごろしにするのは訳もないがな」


その激烈な脅しに、兵士たちの心は瞬時にへし折れた。

彼らは朱峩の猛威を恐れ、一人残らずその場に武器を投げ捨てて、ひれ伏すのだった。


その様子を見た朱峩は、今度は兵士たちの傍らに立った魯完に目を向ける。

「お前<七耀>だよな」


「いかにも私は<七耀>の<木>、魯完と申す。

貴殿は朱峩殿か?」

「そうだ」

「<土>はどうなった」


その問いに朱峩は、那駝の鞍に挟んだ鉄鐗を引き抜き、魯完の前に投げ捨てる。

それを見た魯完は全てを悟った。


「<土>ですら、貴殿の足止めが叶わなんだか」

そう呟く魯完の眼には激しい憤りと同時に、深い悲しみが宿るのだった。

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