【07-4】湖陽からの脱出(4)

検問に立つ王軍兵士は蒙赫と顔見知りらしく、傭夫たちの通行証を纏めて彼から受け取ると、笑いながら数を確認している。

「今日は荷が多いな」


兵士から訊かれた蒙赫は、

こうの連中に、古い農具を恵んでやったんですよ。

とは言え荷車ごとくれてやる訳にもいきませんので、運んで行って下ろしたら直ぐに戻って来ます」

と、予め傭夫たちにも言い含めておいた言い訳を伝える。


それを聞いた兵士は、「相変わらず親切なことだな」と笑って、一行の通行を許可した。

通行証を兵士から受け取った蒙赫は、傭夫たちに号令して東門を通り始めた。


門は湖陽を取り囲む長壁に穿たれた煉瓦造りの隧道になっており、十間ほど先の出口には暉の検問兵の姿が認められる。

そして伽弥一行が蒙赫に続いて、門に入ろうとしたその時だった。


門の脇に立って通過する人々を見ていた<紅賊>の一人が、偶然伽弥に目を停め、不審な表情を浮かべたのだ。


「おい、そこの奴。止まれ」

怒鳴り声をあげて伽弥たちの方に一歩踏み出した途端、その兵は眉間の天目に衝撃を受け、仰け反るように倒れたのだった。


もう一人の<紅賊>が朋輩に駆け寄ると、倒れた男は天目が潰れ、残りの二目をかっと見開いて絶命している。

彼を一撃で倒したのは、いつの間にかその場に現れた、朱峩必殺の指弾だった。


彼は人目を惹くためか、普段の黒い胡服を脱ぎ棄て、鮮やかな黄金色の長袍を身に纏っている。

そして朱毛朱髯を同じく黄金色の頭巾で覆っていた。


やがて一瞬の静寂の後、門前に大混乱が巻き起こった。

それを見て取った蒙赫は、「今のうちに暉に抜けましょう」と伽弥たちを急かすと、先頭に立って走り始めた。


そして暉側の検問兵から止められ、事情を聴かれると、

「耀の側で何か騒ぎが起こったようなんで、慌てて逃げて来ました」

と、通行証を手渡しながら愛想笑いを浮かべた。


一方耀の東門前では、朱峩が鍛鉄の棒を縦横に振るって、検問兵たちを相手に大立ち回りを演じていた。

彼にとっては検問守備の王兵など眼中にもなかったのだが、敢えてその命をることもせず、手に持った武器を叩き落とし、腿を打って立てないようにするに止めていた。


しかし<紅賊>だけは別だった。

朋輩の多くを屠った<暴漢>朱峩の脅威を、予め知っていたもう一人の<紅賊>は、闖入者がその<暴漢>であると見て取ると、一目散に逃げ出そうとした。


しかし朱峩がその逃走を許す筈もなく、叩き落した王兵の短戟を拾い上げると、逃げる男の背に向けて投擲したのだ。

戟は矢のように飛んで背中に突き刺さり、その勢いで前に二間も飛ばされた<紅賊>は、倒れてぴくりとも動かなくなった。


<紅賊>の暴虐に苦しむ群衆からは、図らずも歓喜の声が巻き起こる。

その一方で、朱峩の凄まじい武威を見た王兵たちは、慌てて立ち上がると、痛む足を引きずるようにして逃げ去ったのだった。


その様子を、冷笑を浮かべて見送った朱峩は、門脇に繋がれている那駝なだ(騎乗用の中型二足歩行獣)に向かって悠々と歩を進めた。

そして一頭の那駝に近づき、一度その頬を撫でると、乗せられた鞍に跨る。


那駝の手綱を取った朱峩は、一度湖陽の街並みを振り返った後、門内へと駆け込んでいった。

そして彼を阻止しようとして立ちはだかったこうの検問兵たちを、彼らが構えた戟ごと弾き飛ばしたのだった。


更に朱峩は、突き出された戟をその強力ごうりきで奪い取ると、門外に繋がれた三頭の那駝に近づく。

そして暉兵の追尾を遅らせるために、止め綱を戟で切り、那駝を追い散らしてしまったのだ。


その一連の動きを呆然と眺める検問兵に向かって、朱峩は奪った戟を放り投げる。

檄が地に落ちるのを、避けるようにして広がる兵士たちに冷笑を向けた朱峩は、伽弥たちに向かって小さく頷くと、那駝を駆って駆け去って行くのだった。

そしてその後姿を、こうの兵士たちは呆然と見送るしかなかった。


その時蒙赫が顔馴染みの一人の兵士に近づき、

「わしらはもう行っていいですかね?

早くしないと耀に帰れなくなりますんで」

と声を掛けた。


するとその兵士は動揺を隠し切れない様子で、

「もういいから早く行け」

と言って、蒙赫を追い払う手つきをする。


蒙赫はその兵士に深々と頭を下げた後、少し離れた場所で待っていた伽弥たちの元に戻って行った。

そしてその場に残っていた傭夫たちに、荷車に積んだ農具を返し、幾ばくかの銭を与えると、礼を言って開放する。


傭夫たちが思い思いに立ち去って行くのを見送った蒙赫は、残った伽弥一行に声を掛けた。

「この先二里ほどの所に、人目につかない場所があります。

そこまで移動しましょう」


彼に案内されて移動したその場所は、街道から少し離れた藪の中にある草叢で、近くに壊れかけた小屋が立っていた。

蒙赫はそこで配下に牽かせた荷車の荷を解き、伽弥たちの持ち物を手渡す。


「朱峩さんからの指示で皆さんはこれから、耀ようからように嫁ぐ、豪族のご令嬢一行という体を取って頂きます。


ここに偽手形を用意しておりますんで、お持ち下さい。

あながち嘘とも言えませんから、疑われることもないでしょう」


そう言って皆に手形を配りながら笑った後、蒙赫は近くにある小屋を指しながら続ける。


「皆さん、そのなりでは傭役人夫にしか見えませんので、出立前にあそこの小屋で身形みなりを整えて下さい。


それから姫様のお顔はどうしても人目を惹きますので、不便ですが道中これで顔を隠して行かれた方がいいと思います」


そう言いながら蒙赫は、目元を黒い紗で覆えるようにした婦人物の頭巾を、侍女の施麻しまに手渡すのだった。


「身形を整えなさったら、先程の街道に出て東に向かって下さい。

三里程で渠陽きょようという街に出ます。


そこの酒家街にある、<檀渓だんけい酒家>という旅亭に投宿して下さい。

そこに朱峩さんも入る手筈になっています。


日が暮れると門が閉まりますんで、お急ぎになって下さい。

それから朱峩さんにくれぐれも、よろしくお伝え下さい」


そう言って分厚い笑みを浮かべる蒙赫に、伽弥と一同は深々とこうべを垂れた。

「何から何までお世話になり、お礼の言葉もございません。

今は何もお返しすることが出来ませんが、ように戻りましたら、必ずお礼をさせて頂きます」


伽弥のその言葉に蒙赫は、慌てて手を振る。

「前にも申しましたが、これはわしが昔、朱峩さんから受けたご恩を返しているだけなんです。

どうか気になさらんで下さい」


そして配下を促すと、伽弥たちに別れを告げる。

「それでは、わしらはこれで引き返します。

もうお会いすることはないと思いますが、道中のご無事を祈っております」


その姿が見えなくなるまで、名残惜し気に蒙赫を見送った伽弥は、従者たちを振り返って言った。

「さあ、私たちも急いで支度して出立しましょう」


その顔には、この先に待ち受けるであろう困難に立ち向かわんとする、強い決意が漲っていたのだった。

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