罪と印
ろくろわ
額の十字架
全人口の九割。十代を過ぎる頃には、全ての人の額に浮かぶ十字架の痣。旧約の聖典には『罪深き行いを隠す人を嘆き悲しんだ神が、罪を隠す人が、自らの罪を周りに示させる為、額に十字架の痣を刻ませた』とある事から通称『
この十字架は罪を重ねる毎にその痣の色が濃く浮き上がってくる。だから生まれたての赤子の時には、額にこの十字架は無い。そして歳を重ね、罪を犯すと十字架は浮かび上がり、その痣を色濃くしていく。この十字架の濃さは、その人を判断する材料にもなっている。要は色が薄い十字架であれば罪が少ない。つまり善人。色が濃い十字架であれば罪が多い。つまり悪人。といった具合だ。さらにこの十字架は、仮面や帽子等で物理的に隠す以外は隠すことが出来ず、化粧程度では浮かび上がってくる。そして世の中、仮面や帽子を常に被って生活をすることは出来ない。だから就職や結婚、政治にいたるまで、人間性を判断する材料にされてきた。
例えば、政治家を選ぶ時には、公約や実績よりも背負う十字架の薄い者が選ばれ、当選後はその十字架が色濃くなれば不正をしてると判断され、再当選はない。結婚相手とする時の誠実さは、この十字架ではかられた。
こうした世の中は、良くも悪くも、人目を気にし自らの律する社会となっているのだ。
だがこの制度には一部問題もあった。
それは、この十字架の痣と罪の重さが比例している訳では無い事だ。色の薄い十字架の痣の人が軽犯罪なのか、重罪なのか、痣だけでは分からない。色の薄い十字架の痣の人が、一つの罪を犯していのか、複数の罪なのか分からない。つまり重い罪を一つ犯し色の薄い十字架を背負う者と、軽い罪を複数犯し、色の濃い十字架となっている者のどちらが罪深いかは分からないのだ。
だか、この問題は額に十字架の無い男が出てきた事によって、大きく変わるのだった。
その男は、突如として世の中に現れた。
年は三十中頃と言っており、見た目も年相応のその男の額には十字架など全く見られなかった。これがどういう事なのか。つまり、生まれて三十年余り一度も罪を犯した事が無いと言うことだった。そんな男がいままでどこにいたのか、何をしていたのか。メディアは競ってその男の経歴を探ったが全く分からなかった。だけど、そんな聖人のような人を国は放って置くわけもなく、国民の政治離れに止めるためにも彼には総理大臣と同等の権限を持たせ、国を正しい方向へと導いてくれることを期待して、政治の世界へと特例で招き入れた。
そして、彼の最初の政策が発表される中継で全ては変わった。
その日、彼が政策を発表する会場やテレビ中継には多くの人が見守っていた。綺麗な額に十字架の無い男は大きく息を吸うとこれからの政策を話し始めた。が、それは余りにも酷いものだった。税率を引き上げ、弱者は助けない。強者だけの国を創り、諸外国とも喧嘩を吹っ掛ける。演説を止めようとする人を殴り飛ばし、罵声を飛ばす。見ているだけでも幾つもの罪を犯しているようだった。だが、彼の額には一向に十字架は浮かび上がってこなかった。国民はそんな様子にただ狼狽えることしか出来なかった。そんな国民を横目に、最後の政策だとして彼は語り始めた。
「最後に罪について問いたい。皆にとって何が罪なのか?法を犯すことが罪なのか。誤ったことが罪なのか。なら、税率を引き上げる私の政策は罪なのか?法を犯しているのか?引き留めようとした者を殴ったことは、暴行罪にあたり法を犯す罪であるが、なぜ私の額には十字架が浮かばないのか」
国民は黙って彼の話を聞き入っていた。
「皆の額に浮かぶ十字架。それは法を犯す罪の十字架等ではない。悪いことをしたと思う気持ちそのもの。つまり罪悪感の現れである。だから法を破る罪を犯していなくても、罪悪感を感じれば十字架は浮かぶし、重罪でも罪悪感が薄ければ十字架は薄い。こんな十字架の色で人は判断できない。しっかりと本質を見て判断しろ。それが出来ないから俺みたいな悪人が政治を行えるんだ」
国民は、その言葉にハッとした。確かに十字架の色が濃くてもいい人は沢山いた。反対に色が薄くても酷い人もいた。濃い人の中には、自らの行動を悔い続ける、罪悪感を感じやすい人もいたのだろう。でもそう言った人も十字架の濃い悪人として一括りにされていたのか。
その事に気が付いた国民の額の十字架は色が薄くなる者も消える者も現れた。それは皆がそれぞれの罪悪感と向き合うことが出来たからなのだろう。
彼の言葉で額の十字架制度は破綻してしまったが、本質を見ようとする意識は高まった。
全てをやり遂げ、創られた幸せの十字架制度を壊した男の額には薄い十字架が浮かんでいた。
了
罪と印 ろくろわ @sakiyomiroku
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