見つけて
畝澄ヒナ
見つけて
「ここどこ?」
目を覚ますと知らない場所にいた。いつも通り大学から帰ってきて寝ていたはずなのに、なぜ私はこんな廃墟にいるのだろう。よく見るとゲームセンターのようだけど、照明もなく薄暗い。
オーバーサイズのパーカーにタイトなズボン、いつもの服装のポケットにはバイトでいつも使っている、自分の名前『三鍋香澄』と書かれた名札が入っていた。
「ねえ、大丈夫?」
声がしたほうを向くと、黄色いふりふりのワンピース衣装を着た女の子が立っていた。テレビで見たことがある、この子はアイドルグループ『カラフルパレット』の片瀬ことりだ。
「よかったあ、なかなか起きないから心配したよお。あれ、私のこと知ってるっぽい?」
首を傾げながら可愛く話すその仕草はまさにアイドルだった。
「知ってる。片瀬ことりでしょ」
「んー、合ってるけど、きいちゃんって呼んでほしいなあ」
そういえば、片瀬ことりの活動名は『きい』だった。メンバーそれぞれが色彩にちなんだ活動名らしいけど、黄色だから『きい』というわけか。
「わかった。きいちゃん、あなたはどうしてここにいるの?」
「わかんない、お家で寝てたんだけど、起きたらここにいたの」
きいちゃんも私と同じ状況のようだ。私は改めて辺りを見回し、純粋な疑問を呟いた。
「ここ、どこなんだろう」
「ここは英グループが運営していたゲームセンターですよ。三年前に潰れましたけどね」
突然話しかけてきたのは少しぽっちゃりとしたスーツ姿の男だった。汗でずれてくるメガネを直しながら怯えた様子でこちらを見つめている。
「本当迷惑ね、寝て起きたら廃墟なんて」
男の隣には同じくスーツを着たハーフアップの気の強そうな女が不満を吐きながら立っていた。
「あなたたちは?」
「僕は福岡増雄、隣の人は満島里恵さんです。英グループの元社員なので、ここがどこなのかぐらいはわかりますよ」
英グループ、おもちゃ会社として有名なのは知っているけど、まさかゲームセンターまで運営していたとは。この二人もどうしてここにいるかはわからないようだった。
「あんたらよく冷静でいられるな、俺の連れなんてぴーぴーうるさいったらありゃしない」
「だって意味わかんないし、暗くて汚いし、最悪だし!」
Tシャツに短パンで呆れ顔の男とTシャツにミニスカートで喚き散らす女。現れた男女二人はお揃いのネックレスをつけていて、見るからにカップルのようだった。
「あなたたち、名前は?」
うるさい女を無視して、私は男に淡々と話しかけた。
「俺は花山幸助、隣のうるせえ奴は海道百合香だ。俺たちもなんでここにいんのかわかんねえ、俺たち六人以外に人はいなさそうだしな」
私を含めた男女六人に今のところ接点は見つからない。周りに見えるのは古いゲーム機やユーフォーキャッチャー、窓は無く正面入り口の自動ドアは微動だにしない。どうやら閉じ込められてしまったようだ。
「とりあえず出る方法を考えましょうか」
福岡さんが汗を拭きながらみんなに提案した。その時、使われていないはずのスピーカーからじりじりと不気味な音がし始めた。
「見つけて」
たった一言、か細い少女の声がフロアに響き渡った。
「な、なんなのよ、ドッキリか何かかしら」
さっきまで不満しか言ってなかった満島さんがわかりやすく怖がり始めた。私ときいちゃん以外の四人が、何かを察したようにスピーカーを見つめていた。
「私の体、見つけてくれたら帰してあげる」
スピーカーがぷつりと音を立てて切れた。少女の言葉の意味が、私ときいちゃんには理解できなかった。
「どういうことなのかなあ、きいにはちょっとわからないかも」
「他の四人は何か知ってるみたいだけどね」
四人が明らかに動揺しているのを私は見逃さなかった。余裕を見せていた花山さんもうるさかった海道さんも、切羽詰まったように黙り込んでいる。
「ふざけないでよ、恨むなら社長でしょ」
「あり得ない、僕はただ……」
福岡さんと満島さんは口々に意味のわからないことを言っていた。今の状況でわかることは、少女の体を見つけない限り帰れないということだけだ。
「とりあえず探しましょう、私にはさっぱりわからないですけど」
今は詮索している場合じゃない。きっと他の四人はそれぞれ隠していることがあるのだろう、だけど今はここを出るのが最優先だ。
福岡さんによるとこのゲームセンターは三階建てで、一階がユーフォーキャッチャーとレトロゲーム、二階がアクションゲームとリズムゲーム、三階は主に休憩スペースとして使われていたらしい。私たちは三手に分かれてペアで探すことにした。一階が『英グループ』元社員の福岡さん・満島さんペア、二階が私ときいちゃんペア、三階がカップルの花山さん・海道さんペアだ。
「じゃあ集合はまたこの場所で」
携帯は圏外になっていて使えない、だから一階の中央広場を集合場所として、一時間経ったら戻ってくるという約束で私たちは解散した。
「まだ自己紹介聞いてなかったよね」
二階に着くときいちゃんが私の目を見つめて聞いてきた。
「三鍋香澄、大学生でこの前二十歳になったばかりだよ」
「わあ、同い年なんだね! 大学ってなんか楽しそう」
一つ一つの動作が大きいのは天然でやっているのか、もはやわからない。こんな状況じゃなければ仲良くなるどころか話すことすらなかっただろう。
「きいね、アイドルやってて忘れられない子がいるの」
「忘れられない?」
「私と同じような服を着て、髪型も同じツインのお団子で、いつもライブに来てくれてたんだけどね、三年前から来なくなっちゃったの」
そんなに献身的なファンだったのに突然来なくなるなんて、どう考えてもおかしい。三年前というのも何か引っかかる。
「どうしてそんな話を私に?」
「スピーカーの声、その子に似てたような気がしたの」
きいちゃんの目は少しうつろになっていた。そして突然立ち止まり、真っ直ぐ前を指差した。
「きいちゃん?」
「あそこだけ、ゲームついてるよ」
きいちゃんが指差した方向を見ると、一つだけ画面の明るいリズムゲームがあった。異様な光景に吸い込まれるように近づいていった。
「電気も通ってないのにどうして」
「このゲーム懐かしいなあ、これがきっかけでアイドルになったの」
きいちゃんは怖がりもせずゲームのスタートボタンを押し、無言でプレイし始めた。画面には大きく『ポンポンタッチ』というタイトルが表示され、十年前ぐらいに流行ったアイドルの曲が流れだす。
電気も通ってなければお金さえ入れていない、なのにゲームはスムーズに進んでいき、三曲やり終えたところで景品出口から重たいものが落ちる音がした。
「そうそう、クリアしたらランダムで景品が出てくるんだったなあ」
きいちゃんは景品出口を覗くと、いきなり悲鳴を上げて後ろの壁まで後退りした。私も覗いてみると、そこには子供サイズの小さい腕が転がっていた。
「きゃあ!」
私は一瞬ぞっとして叫んだ、だけどよく見るとこの腕は本物ではなかった。
「きいちゃん、これ人形の腕だよ」
「お、お人形さん?」
本物ではないとわかると力が抜け、私ときいちゃんはその場に座り込んだ。すると、またスピーカーからじりじりと不気味な音が聞こえてきた。
「腕、みーつけた」
その言葉と同時に激しい頭痛に襲われた。意識が遠くなり砂嵐の混ざった映像が頭の中に流れ込んできた。
「お名前はなんて言うのかなあ?」
「琳ちゃん」
「そっかあ、琳ちゃんは誰が一番好きなの?」
「きいちゃん!」
きいちゃんと少女が楽しく話をしている。『カラフルパレット』のライブ終わりの握手会で、きいちゃんと同じような服に同じ髪型の『琳ちゃん』と名乗るその少女は、どこか見覚えのある顔だった。
「きいのこといつも応援してくれてありがと! はい握手!」
相変わらず大きい動作で右手を差し出し握手するきいちゃん。
「次も絶対に来るからね!」
少女は少しぽっちゃりした男に連れられて会場を後にした。
気がつくと私はゲームセンターの中央広場で倒れていた。その近くにはさっき見つけた人形の右腕が転がっていて、隣を見るときいちゃんが涙を流してその場に座り込んでいた。
「きいちゃん、どうしたの?」
「この日から琳ちゃんは来なくなっちゃったの」
きいちゃんは無表情のまま、ただ涙だけが流れていた。私の問いかけも聞こえていないようで、私はしばらくきいちゃんの背中をさすっていた。
あの映像はきいちゃんと少女の最後の思い出で、きいちゃんも同時に見ていたようだ。この日から来なくなったということはこれは三年前の出来事、そういえばこのゲームセンターが潰れたのも三年前と言っていた。他の体の部分を見つければ何かわかるかもしれない。
きいちゃんも少し落ち着いて笑顔が戻り始めた。その時、レトロゲームのほうから男の叫び声が聞こえた。
「もしかして、福岡さんかなあ」
「行ってみよう」
私たちは駆け足でレトロゲームのほうへ向かった。薄暗い中で一つだけ画面のついたレトロゲームがある。周りには誰もいない。
「福岡さーん!」
私が名前を呼んでも返事がない。本当にどこへ行ってしまったのだろう。
「助けてください……」
どこからか声がする。間違いなく福岡さんの声だけど姿が見えない。
「ゲームの中から声がする」
「え?」
きいちゃんがまた訳のわからないことを言い始めた。その直後、レトロゲームに画面にタイトルが表示され、実写の映像に切り替わった。
「僕はここです! いつの間にかゲームの中にいて、とりあえず助けてください!」
今、目の前であり得ないことが起こっている。だけど心は静かで不思議と恐怖は感じなかった。静寂の中、またじりじりとスピーカーが鳴っている。
「クリアして」
その一言だけで音は切れてしまった。どうやら助けるにはゲームをクリアするしか方法がないようだ。
「きいちゃん、このゲーム知ってる?」
「んー、ちょっとだけなら」
福岡さんが映っていた実写の画面がドット絵に切り替わり、再びタイトル画面に戻ってきた。『ウォーキングキラー』と、血を思わせるようなフォントで書かれたこのゲームは、街にいる殺人鬼から逃げるというシンプルなもので、そこまで難しくはないときいちゃんは言っていた。
スタートボタンを押してゲームを開始した。迷路のような街全体の地図に『あなた』と表示されたキャラと、ナイフを持ち『キラー』と表示されたキャラがドット絵で配置してあった。最初はキラーの速度も遅いため簡単に逃げ続けることができていた。だけど段々と速度が上がり、難しくなっていく。しばらく逃げ続けて、きいちゃんが口を開いた。
「あ、これ、無理だよ……」
何かに気づいたように声を震わせている。
「このゲーム、クリアとかなくて、キラーに捕まるまで続くの」
きいちゃんの言葉にぞっとした。このゲームの中に入った時点で、福岡さんの死は確定していたのだ。そうしている間にキラーに捕まり、画面がぷつりと切れた。どのボタンを押しても反応しない。そしてぼんやりと画面に浮かび上がったのは『ゲームオーバー』の文字だった。
「福岡さん!」
名前を呼び画面やボタンを叩きまくるが返答がない。ゲーム画面が真っ赤に染まり、後退りしようと足を動かした時、ぴちゃぴちゃという音と足に何かが当たる感覚がした。
「な、何これ……」
下を見るとゲーム機から赤い液体がどくどくと流れ出し、床一面に広がっていた。薄暗い中でもはっきりわかるほど気持ち悪い鮮やかな赤が、私のスニーカーを汚していく。その近くに転がっていたのは、傷の付いた子供サイズの小さい脚だった。
「また、人形……?」
その瞬間、またあの激しい頭痛が襲う。荒い砂嵐に、私の意識はかき消された。
「琳ちゃん、その脚どうしたんだい?」
「転んだの」
少女と福岡さんが話しているのが見える。福岡さんが運転する車の助手席で、少女は擦りむいた右脚を見つめていた。
「目的地に着いたら手当してもらおうか」
「うん。でも、どこに行くの? ライブが終わったらすぐに帰ってきなさいってお父さんが言ってたよ」
「そうだね。でも、社長には伝えてあるから安心して。これから仲良しのお兄さんとお姉さんに会いに行くんだ」
「わかった……」
二人はそれきり何も話さず、長い沈黙を経て到着したのは小さな古びた一軒家だった。そこから出てきたのはお揃いのネックレスをした若い男女で、福岡さんはその男女に少女を任せるとすぐに車でその場から走り去ってしまった。
「香澄ちゃん、大丈夫?」
きいちゃんの声で目が覚めた。辺りを見回すとまた中央広場に戻っていた。近くには人形の右腕と右脚が転がっている。汚れたはずのスニーカーは元に戻っていた。
「大丈夫。また戻ってきたみたいだね」
「うん、お人形さんの体も一緒に」
きいちゃんはじっと人形の腕と脚を見つめていた。私は頭の中で流れていた映像を思い出す。少女の父親は福岡さんが勤めていた会社の社長、つまり英社長だ。あの少女の名前は『英琳』、どこかで聞いたことがある。
それよりも福岡さんの行動の意図が掴めない。なぜ少女をすぐに家に帰さなかったのだろう、もう少し体を集めれば真実が見えてくるかもしれない。
「これからどうしようか」
きいちゃんのほうを向くと、きいちゃんはまた遠くを見つめてぼーっとしていた。流石に心配になってくる。
「きいちゃん?」
「え? あ、なあに?」
「少し休憩しようか」
私たちは三階の休憩スペースに足を運んだ。三階に着いた時、人の気配は全くなかった。三階には確か花山さんと海道さんがいるはずだけど、どこへいったのだろう。
私たちはソファーで横になり、少し仮眠をとることにした。よほど疲れていたのかすぐ眠りに落ちた。
「今日はどんな絵を描きたい?」
私は不安そうにしていた少女に話しかけた。首から下げているネームプレートには、ひらがなで『はなぶさりん』と書かれてあった。
「お名前、りんちゃんって言うんだね。りんちゃんは何が好きなのかな?」
「ふーちゃん」
そう言って見せてくれたのは可愛いトイプードルの写真だった。
「可愛いわんちゃんだね、じゃあ一緒に描いてみようか」
私たちは写真を見ながら鉛筆で絵を描き始めた。そして描き終わった絵を見せあう。
「わあ、りんちゃん上手だね」
「おねーさんも、上手」
「香澄でいいよ。よかったらこの絵、貰ってくれるかな」
りんちゃんは緊張が少し解けたようで、目を輝かせていた。
「いいの?」
「もちろん。大好きなふーちゃんに見せてあげて」
私は絵が汚れないように、軽い素材でできた小さな額縁に絵を入れてりんちゃんに渡した。
「ありがとう!」
その時の笑顔は嘘偽りのない、純粋なものだった。
「ん、どれくらい寝てたんだろう」
自然と目が覚めた。きいちゃんはまだ寝ているようだ。さっき見た夢は、三年前の懐かしい記憶だった。私がまだ高校生で絵画教室でアルバイトをしていた時、生徒として『英琳』は来ていたのだ。なぜ忘れていたのだろう、とても大切な楽しい記憶を。
きいちゃんはまだすやすやと眠っている。私は起こさないようにそっとその場を後にした。近くに展示物があり、それを何気なく眺めていた。すると一枚だけ見覚えのある絵が飾ってあった。
「ふーちゃん」
私が琳ちゃんにあげた、トイプードルのふーちゃんの絵。潰れる前からあったのか、それとも琳ちゃんがこのために持ってきたのか。私は意味もなく掛けてあった絵を取り外した。軽い額縁のはずなのに、少し重みを感じる。絵の裏を見てみると、そこには赤い絵の具のついた子供サイズの小さな腕が、テープで貼り付けてあった。
「これは、人形の左腕……」
ここまでくるともう驚きもない。私はそれを絵から外し、ソファーのところまで戻ることにした。戻ってくるときいちゃんはすでに起きていた。
「どこに行ってたの?」
きいちゃんは眠たそうに目を擦り、大きなあくびをした後に私をまじまじと見つめた。その目はまだうつらうつらとしている。
「ちょっと探索してた。そしたら見つけたよ、ほら」
私は机の上に人形の左腕を置いた。
「やっぱり、本物じゃなくても不気味だね」
きいちゃんは気味悪そうに残りの腕と脚も一緒に並べた。
「あなたたち、ここで何してるの」
声に驚いて後ろを振り返った。そこには満島さんが腕を組んで立っていた。
「休憩してたんです」
「あっそう。じゃあ休んだならこっち手伝ってくれる? 福岡くんいなくなるし、一人じゃ無理だから」
福岡さんのことは今言わないほうがいいだろう。変に怖がらせても何も変わらない、私が今まで見てきた映像も、満島さんのことが信用できるまでは話さないでおくことにした。
「わかりました」
私たちは一階まで降りてユーフォーキャッチャーのほうへ向かった。ユーフォーキャッチャーのエリアに来ると、満島さんが別行動を提案してきた。
「私奥のほう探してみるから、ここら辺はよろしく。何か見つけたら声かけてちょうだい」
相変わらずぶっきらぼうな言い方で、そそくさと奥に行ってしまった。
「きい、あの人苦手かも」
「私も同感」
そこからしばらく探索しても何も見つからなかった。私たちは諦めて奥のエリアに行き、満島さんを探した。だけど満島さんがどこにも見当たらない。
「香澄ちゃん、あれ」
きいちゃんが指をさした先には、また同じように一つだけ明かりのついたユーフォーキャッチャーがあった。嫌な予感と寒気がする。
「行ってみようか」
明かりのついたユーフォーキャッチャーには、ぬいぐるみが一つだけ置いてあった。スーツ姿でハーフアップ、可愛くデフォルメされた二頭身のぬいぐるみがちょこんと座らせられていた。その表情は妙に笑顔で気味悪さを感じる。
「これってもしかして……」
きいちゃんが口を開いた時、スピーカーからじりじりと音が鳴り始めた。
「取って」
また一言だけで音は切れてしまった。このユーフォーキャッチャーはボタン式で回数表示は『5』になっていた。時間制限はなく、点滅しているボタンを押すとアームが動く仕組みのようだ。
チャンスは五回、やるしかない。私はいろんな方向から確認しボタンを押す。一回目はあたりもしなかった。二回目は脇に引っかかって横に倒れた。三回目・四回目は掴むことができても、持ち上げることができなかった。まるで取らせないようにしているみたいだ。だけどこのぬいぐるみ、何かがおかしい。
「あれ、こんな顔だっけ、このぬいぐるみ」
きいちゃんの言葉が気になりぬいぐるみの顔を見つめてみた。確かに無表情になっているような気がする。
五回目、最終確認を念入りにして最後のボタンを押す。するとアームはうまく開かず、そのままぬいぐるみに突き刺さり、ぐちゃ、と変な音とともにぬいぐるみの中にめり込んでいった。ぬいぐるみがどんどん赤く染まり、表情は青白く冷めていく。
「もうやめて……お願い」
きいちゃんは頭を抱えてうずくまっていた。私は恐怖のあまりその場から動けなくなっていた。これはただのぬいぐるみではなく、満島さんがぬいぐるみになった姿だった。肉体は人間のまま、だからアームでは重すぎて持ち上がらなかった。福島さんの時と同じで、この中に入った時点で満島さんの死は確定だったのだろう。
やがてボックス内全てが赤く染まり、明かりも消えて中は見えなくなった。きいちゃんはうずくまって震えている。ユーフォーキャッチャーの商品取り出し口から何かが落ちた音がした。暗くてよく見えず、そのまま手で掴んで取り出した。
「今度は、左脚……」
また激しい頭痛に襲われる。何も考えられないまますぐに意識が飛んでいった。
「社長、大変です!」
満島さんが携帯電話を持ちながら慌てた様子で部屋に入ってきた。
「琳ちゃんが、いなくなったみたいです。福岡さんからライブ会場を探してもどこにもいないと連絡が」
社長は青ざめてうろたている。その時、社長室の電話が鳴り響き満島さんが受話器をとった。
「はい。え、誘拐? 五千万なんてそんな、あ、ちょっと……!」
どうやら電話は切られてしまったらしい。誘拐、という言葉に社長は敏感に反応した。満島さんは社長に電話の内容を丁寧に説明した。
誘拐犯からの電話、身代金は五千万で今日中にゲームセンターの裏口付近にある空のゴミ箱に置いておくこと、受け取り次第琳ちゃんを解放、警察に通報したら命はないという。
社長は犯人の言うとおりに、警察には通報せず社長室の金庫から五千万を出し始めた。
「社長、私が持って行きます。社長を危険な目にあわせるわけにはいきませんから」
満島さんはアタッシュケースに入った五千万を持って社長室を後にした。
「うう、まだ頭が痛い」
また中央広場で倒れていた。辺りを確認すると、きいちゃんは遠くを見つめてぼーっとしていて、その近くには人形の両腕と両足が転がっていた。
「きいちゃん、大丈夫?」
声をかけても返事がない。それもそうだ、あんなものを見続けたら心がもたなくなるのも無理はない。私もそろそろ限界だった。
「私、花山さんと海道さんを探してくるよ。きいちゃんはゆっくりしてて」
反応がないきいちゃんを置いて、私はエスカレーターのほうへ向かった。するとその付近に人影が見えた。
「幸助―! 幸助どこー?」
必死に花山さんの名前を叫んでいたのは海道さんだった。どうやらはぐれてしまったらしい。泣きべそをかきながら探す姿は最初に見た光景と同じだった。
「あ、あんたどこにいたのさ! 幸助がいなくなったの、一緒に探してよ!」
私の姿を見るや否や喚き散らし、二言目には幸助と、花山さんの名前を呼ぶばかり。これでは会話にならない。
「わかりましたから、とりあえず落ち着いて……」
ふと海道さんの後ろの二階が視界に入った。花山さんが誰かと話しているように見える。その瞬間、花山さんは何かに吹き飛ばされたように、柵を越えて背中から空中に飛び出した。
「ちょっとあんた、どこ見て……」
「花山さん!」
咄嗟に叫んだが体が動かない。頭から落ちて床に叩きつけられた花山さんは、首が変な方向に曲がり閉じない目でこちらをじっと見つめていた。私の言葉で後ろを振り返った海道さんは悲鳴をあげて花山さんに駆け寄った。
「幸助、幸助!」
名前を呼びながら花山さんを揺さぶり続ける海道さん。私はどうすればいいかわからず、その光景をただ見つめることしかできなかった。でもおかしい、これで終わるはずがない。私は花山さんの異様な姿から目を逸らし、再び二階を見た。
「危ない!」
声をかけた時にはもう手遅れだった。二階から落とされた重たい物体は海道さんの頭に直撃し、海道さんは花山さんの上に覆いかぶさるように倒れた。
私はその光景に唖然としていた。もう私ときいちゃんしかいなくなってしまった。すると後ろから足音が聞こえ振り返ると、きいちゃんがとぼとぼとこちらに歩いてくるのが見えた。
「きいちゃん?」
私の言葉を無視してそのまま花山さんたちのところへ歩み寄ったきいちゃんは、近くに落ちていたのか、ツインのお団子ヘアーの人形の頭部とフリフリの服を着た人形の胴体を、今まで集めた人形の体と組み合わせた。
「これで元通りだね」
そう言ってきいちゃんは私に人形を見せた。その時、今までで一番激しい頭痛に襲われた。砂嵐とノイズが混じった映像が、私の頭の中に流れ込んできた。
「お家に帰りたい」
琳ちゃんが泣きながら海道さんにしがみつき懇願していた。海道さんは無視を続けていたけど、我慢できなくなったのか琳ちゃんを思い切り突き飛ばした。琳ちゃんは後ろのタンスの角に頭をぶつけ、鈍い音がしてその場に倒れ込んだ。
花山さんと福岡さん、そしてアタッシュケースを持った満島さんが丁度部屋に入ってきた。四人は、取り返しのつかないことになったと理解したようだった。
「ばらばらにして燃やしましょ。そしたら証拠なんて残らないわよ」
満島さんがそう言った後、事はすぐに実行された。そして映像が切り替わる。
あるニュースが映し出された。誰かが匿名で英社長の横領の証拠を警察に流し、社長は逮捕され英グループは倒産となり、同時に娘が行方不明となった。その画面には今から三年前の日付が表示されていた。
朝、眩しさで目が覚めた。何か悪い夢を見ていたような気がするけど思い出せない。ベッドから起き上がりテレビをつけるとニュースが流れていた。
英グループのゲームセンター跡地で若い男女の遺体が発見された。身元が判明し家宅捜索すると、三年前に起きた英社長の娘、英琳ちゃんの誘拐および殺害の証拠を発見。実行犯は遺体で発見された男女だけど、英グループの元社員が関与しているとのことで捜査を進めている。元社員二名は未だ行方不明だ。英社長はこのことに関してノーコメントを貫いている。
「物騒な事件、朝から憂鬱だな」
アイドル特集が始まる前にテレビを切り支度をして家を出る。何か忘れているような、なんだろう思い出せないな。
見つけて 畝澄ヒナ @hina_hosumi
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