『ノンバイナリー』を読む、そして書く
コンタ
はじめに
マイカ・ラジャノフとスコット・ドウェイン編集の『ノンバイナリー(2023、明石書店)』は、30人のノンバイナリーのインタビューからなっている。主に当人の成育歴(生活史)であり、幼いころにはこうだった、大人になったいまはこうである、というトランスジェンダーたちの自分史のように思える。
トータルでみるとノンバイナリー論ではないかもしれないが、たとえば共通点があって当事者同士が孤立しないような、「自分だけではなかった」というような、この本が居場所(ハブ)になっているかもしれない。
ノンバイナリーに論は無用だ。男女二元論だって論にはなっていないのだから。
あなたは、TVで見た人物や道で通り過ぎた人物について、「あれは女か? 男か?」という脳内疑問や会話が立て続けに起こっているのをお気づきだろうか。聞かれている相手は外見の性別が判別せず(できず)「またか」と疎んじ、あなた本人(おそらくシスヘテロだろう。シスはトランスと逆の意味、ヘテロはヘテロセクシュアルの略で異性愛者のこと)は機械的に性別を区分している。その区分は経験的・慣習的・反復的だ。他人を見た目で選別・判断するといった作業を、人は無自覚に自動的に性を選別している。虐殺する前の「あいつは朝鮮人か?」「ユダヤ人か?」といったふうに。
平和的にたとえてみよう。「あいつは巨人ファンか? 阪神ファンか?」「与党か? 野党か?」「増税か? 減税か?」「右翼か? 左翼か?」「右利きか? 左利きか?」という二元論や、「あれじゃなければこれ」「これじゃなきゃそれ」というふうに、ダイコトミー(二項対立)に追い込まれていく。そこでわたしは「赤あげてっ、白あげないで赤さげないっ」という旗あげゲームを思い出す。これが意外と難しい。
巨人か阪神かの問いには「野球には興味がない」という答えがあると思う。実際わたしもそうだ。野球の何が面白いのかさっぱりわからない。アナウンサーが言う「うちゅうかん」が「宇宙観」に漢字変換されるくらい野球のルールがわからない。与党か野党かの問いには「浮動票」という政治的中立的立場をとらされるだろう。増税か減税かの問いには「どちらかといえば減税」との無難な国民的立場をとらされるだろう。
そして、女か男かの問いに「どちらでもない」という中立的で無難な回答を与えるなら、それは深刻な問題である。世界の主流派は男女性別二元論(バイナリー)であり、必ず女か男かを回答する強制力が働く。これを政治的圧力といわずに何と呼べばいいのか。この思考はヘテロ真理教信者の洗脳であり、とても危険だ。「女か男かはっきり答えよ」というヘテロ真理教信者は、「男と女は子どもが産めるから安心だ。同性愛者は生産性がない」とお題目のように唱えるが、若者の非婚・生涯未婚率は年々増加しており(2020年時点の独身率は、男性で約35%、女性で約25%、 2020年時点の生涯未婚率は、男性で約28%、女性で約18%。2030年には男性の3人に1人、女性の4人に1人が生涯未婚者になると予測されている)、深刻な少子化および人口減少や高額な不妊治療、機能不全家庭による乳幼児のDVや虐待死が毎日のニュースで届けられる。異性愛者は生殖・再生産のみを目的とする存在だから、生殖・再生産ができないと立つ瀬がない、存在価値も存在理由もない。マジョリティのくせにまったくの役立たずである。
似たような問いが続くが、これは見た目だけでは対話のしようがない。「人種や民族は? コーカソイド(白人)? ニグロイド(黒人)? モンゴロイド(黄色人)?」さらにはオーストラロイドやポリネシア人、モンゴロイドのなかからアメリンド(赤色人)やアイノイド(アイヌ人)を区別したり、ネグロイドのなかからアノイドを分けるという説の試みがあり(この場合カポイドを除くネグロイドをコンゴイドともいう)、エスキモーなどに分けられるが、人種の根拠はないし、国籍は後から自由に変えられるから、よりいっそう根拠がない。
ちなみに、先日ラジオで聞いたニュースがある。ラジオDJのクリス・ペプラーが明智光秀の直系の子孫であることを知っている日本人はどのくらいいるのだろうか。ちなみにわたしは初耳である。しかもフィギュアスケート選手の織田信成(信長の子孫)とクリスが握手して「本能寺の変」から約400年後に和解したことを知る日本人は「歴史ってなんてドラマティックでファンタスティック!」とため息をつくと思うが、はたしてどうなんだろうか。多くの人は「どうでもいい」と思うけれども、わたしはぜひ知りたい。
話が長くなった。
この文章は、トランスが理解できない人のためのものであるが、その前に、自分の性について理解できない人のためのものである。よって、文章が長い。よし、まとめをつくってみようと思うが、まとめだけ読んでわかったようなふりをするのは、はたしていかがなものか。マジョリティであるシスジェンダーの異性愛者は結局、自分で自分のことを振り返ってみないし、現在も考えようとしない。考えもせずに「女か? 男か?」を他人に問う。なんて傲慢だろう。セクシュアル・マジョリティ(異性愛者)は性的志向を「性癖」や「恥」だと思っているが、セクシュアル・マイノリティ(LGBTQIA+)にとってセクシュアリティは「プライド(誇り)」である。「人のふり見てわがふり直せ」という諺がある。傲慢で無遠慮な異性愛者は、無意識に他人を傷つける暴言を吐く。あなたたちが異性愛者であることは、しかたがない。あるがままであるしかない。でも、せめて謙虚であってほしい。そのための文章である。
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