第9話「若き巨人たちの足音」(その1)
1995年の正月明け早々、柿岡は釜山に向かう飛行機の窓から、海岸線を眺めていた。年の瀬、渡部副所長から「釜山の所長と現地企業を回ってくれ」と言われ、柿岡は機上の人となった。
理由は円高対策だ。ここ数年、円は留まる所を知らず、100円/ドルを突破しそうな勢いで高騰している。ドル連動のウォンも千won/百円に近づく安値だった。
「いや――ようこそ、いらっしゃい」
と、聞き覚えのある声。振り向けば、会社の上着を着た男が、手を上げている。
「どうも、時津さん。ご無沙汰しております」
柿岡は迷いなく手を差し出したが、ふと過去の苦い記憶が脳裏をよぎっていた。
だが時津は如才なく、柿岡の遠慮をよそにバックを引き取り、到着ロビーを颯爽と歩きだした。その後ろ姿、ラグビーで鍛えた体に変りはないものの、頭髪には白いものが混じっている。
老けたなあ……と、思いながら柿岡は後に続く。外に出れば冬真っ盛り、長崎よりは数度低いであろう。だが外へ出た時津は元気良く、何かを探しながら空港ビルに沿って歩く。
すると駐車場から車が出てきて、前後に停車する車を避けて、二人の最寄りで停まった。
「さあ、乗って下さい」
そう言って、時津は後ろの席へ柿岡を誘う。柿岡は違和感を覚えるものの、車は時津を助手席へ乗せて、タッチ&ゴーよろしく発車したのだった。
資材課長だった時津が守衛所へ左遷された時、柿岡はその姿を避けるように振る舞った。その時津が、極東重工の釜山所長として柿岡の前に現れたのだ。
彼は渡部の引きで返り咲いたのだが、数年の時を経て現場復帰したかと思うと、柿岡の胸は暖かいもので満たされていた。
柿岡は市内へ向かう車窓から広大な湿地帯を見て、やはり渡部の言葉を思った。
「早晩、今うちが造っているタンカーやLNG船は、韓国に持っていかれる。もう手をこまねいている暇はない。副所長室長として、早急に韓国メーカーを見てきてくれ!」
それが副所長からの指示だった。10月から取り掛かった業務改革は、いまだ緒についたばかり。伊藤や岡本らの成長もあり、徐々に捗っているとは言え、行き着く先は見えない。
そこへ新たな指示が下され、柿岡は更に重荷を背負わねばならない。
だが渡部から、
『宮島君は、ハンブルグへ行ってもらう』
と聞かされ、彼の意図と覚悟は知れた。
この先、重工長崎が生き残る為には、本格的な海外調達は避けて通れないと、柿岡は確信した。
「柿岡さん、早々で申し訳ないが、これから1か所見て、昼はそれからで良いですか?」
時津の言葉遣いは戸惑うが、彼の提案に依存はない。
柿岡は「お願いします」と答えた。
(つづく)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます