第5話(その4)
柿岡は山岡の案内で新日本の社屋を見学し、あとは淀川沿いにある工場へ寄った。他にも周りたかったが、その頃にはもう日が傾いていた。
予約してある寝台特急「あかつき」は神戸駅発だが、発車までにはまだ時間があり、山岡の誘いで駅前の居酒屋へ寄った。
午後から車で移動する最中、二人は尾崎部長の話に終始した。山岡も船主工作については詳細を知らず、全ては部長マターだと言う。
どんなリアクションがあるのか分からないが、納期に余裕がある訳ではなく、山岡は少なくともシステム設計は進めておくと言う。それはそれで柿岡もありがたいのだが、重工内部の決裁を考えると予断は許されなかった。
それは二人が、「では、乾杯――」と、グラスを合わせて、一口飲んだ後だった。
「私、大学生の時に、キャバレーでバイトしてましてね……」
と、突然山岡が切り出した。
二人で入った店は駅地下にあり、神戸と名がつく割には鄙びている。柿岡も重工神戸へ来たこともあり、神戸の中心は三の宮だと知っているが、いかにも裏寂しい駅前だった。
それにしても会社へ帰ってからのことで頭が一杯の柿岡は、彼の話に(なんで今バイトの話?)と思ったが、行きがかり上、「へえ、どこの店ですか」と、問いかけていた。
恐らく山岡は長崎の話をしたかったのだろう。
「思案橋のキャバレー東京です」
と、懐かしそうに答えた。
そのキャバレーは長崎でも一二を争うマンモスキャバレーである。
柿岡も接待絡みで、何度か入ったことがある。(あの頃は、若かったですね)と、山岡は自分の思い出に浸っているようだった。二人で酒を交わす内に、昔の話で盛り上がった。
そして山岡が、
「バイトの後、よく仲間と思案橋入口のショットバーで飲んだものです」
と言う。思わず柿岡が、
「ああ……私も入ったことがあります」
と答えると、
「水害で店は変わったみたいですね。昔は翔子ママって綺麗な人がいましたよね」
と、山岡が言いだす。
それを聞いた途端、思いがけない話に柿岡は、ざわつく胸を抑えきれなかった。
「ああ彼女……、どうしたんですかね」
と、言いながら柿岡は、その視線が宙に舞う。
「なんか蹴婚して、大分の方へ行ったらしいですね」
と、山岡はあっさり言う。そして、
「男なら誰でも、放っておきませんよね――」
と言われ、柿岡は血の気が引く気がした。
「ああ……、そうですね……」
と答えながら柿岡は、胸の内を曝け出したくなった。
「ボーイ仲間があの店のオーナーと知り合いで、数年前に聞きました」
そう言って山岡は手にしたビールを飲み干す。
「そのオーナーは今…‥」
と言いかけて、その言葉を柿岡は胸の奥底に飲み込んだ。
(結婚した彼女を追って、今更どうする……)
と、胸の内のもうひとりが、そう言った。その思いは特急あかつき号が発車した後でも、うずみ火のように柿岡の胸を焦がした。
(第6話へつづく)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます