第5話(その3)
「どうも、御無沙汰です」
と言って、偉丈夫ともいえる体躯の男が、柿岡の待つ応接間へ入ってきた。
彼は弘志社大学の先輩である尾崎正和、柿岡の十期上にあたる。年齢的には上司の中村課長と同じ位だが、その風格には差がある。やはり上司と先輩は根本的に異なるものだと感じる。
部屋は8畳程で、窓から狭い運河を挟んで六甲山の麓に広がる街並みが見渡せる。その眺めは船のブリッジにいるかのような開放感を与えていた。
「いつぞやは、同窓会で失礼しました」
と、柿岡は立ち上がって深々と一礼する。
「いやいや、我が大学のレジェンドがわざわざ来て下さって」
と、尾崎の声は体と同じく大きく、朗らかだ。
だが柿岡は先輩の好意的な態度に甘えることなく、本題に入った。
「突然お邪魔してすみません。今日伺ったのは……」
と、襟を正した柿岡は、内示に介入が入り競合先が値を下げてきた経緯を話した。
すると尾崎は鷹揚に、
「恐らくそのような話かと、山岡とも話していました」
と応じた。
その言葉に肩の力を少し抜いた柿崎だが、尾崎の次の話には再び耳を傾ける。
「ところで柿岡さん、五洋海運のLNG船の件で、御社との関係をご存知ですか?」
と、尾崎が話を始める。
そのLNG船は極東重工業でも極秘扱いで、日本政府が豪州LNGの輸入に新造船を計画していた。重工長崎と五洋造船が共同で五隻を建造する予定だった。
「はあ、概要は……」
と、柿岡は答えるが、どこまで話していいのか、疑心暗鬼になる。
だが尾崎は構わず、
「実は一隻分の艤装品を、御社とうちで管理することになりました」
と率直に言う。
「はあ」と、柿岡は相槌を打つしかない。
尾崎は更に詳細を語り始めた。
それは国の方針として、特別管理が必要な船の運航に対する備えで、各機器は新日本と極東で保管されることが決まっていた。それで柿岡も納得するが、話の意図が掴めない。
「それで、ですよ」
と尾崎は続ける。
「今回のコンテナ金物の件、うちから船主に交渉を進めますので、少しお待ちいただけませんか?」
と言われ柿岡は、大学時代から尊敬する先輩からの申し出であることから、
「私は、聞かなかったことにします」
と応じた。
尾崎は満面の笑みで握手を求め、柿岡も不承不承ながらも手を握り返す。
(だがこれで、課長を説得する糸口が見えたかもしれない)
と思うと、柿岡は尾崎の手をしっかりと握り直した。
ただ尾崎はそのまま立ち上がると、
「すみません、今日は先約がありまして、これで……」
と言って、尾崎は急ぎ退出した。
だが戸を閉める寸前、もう一度振向いた尾崎は、
「今夜は、是非山岡と一杯やって下さいよ――」
と、言い残したのだった。
(つづく)
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