燃えるダイヤモンド(前編)
船木千滉
第1話「長崎湾に浮かぶ白い夢」(その1)
2002年10月1日火曜日午後5時。この日、長崎は午後から西寄りの風が強くなり始めていた。気温は25度から幾分下がったものの、どこか息苦しい日の暮れだった。
太陽が西へ沈むにつれ、奥深い長崎湾の空が薄墨色に染まり、稲佐山の麓は暮れていく。一方、日が傾くにつれて歓楽街は夜が明け、その放つ光で底知れぬ闇を紛らわしていく。その明かりは狭い湾を越え、稲佐山の麓の飽の浦を照らし、岸壁にそびえるジャイアントカンチレバークレーンを浮かび上がらせる。
その下に、まるで場違いのような白い背高の長い船体が横付けされている。その姿はいかにも気高く、静かな長崎湾に浮かんでいた。
それは極東造船が建造する客船マベラス・ダイヤモンド(Marvelous Diamond)である。2005年に創立百年を迎える極東重工業・長崎造船所は、21世紀の到来を祝して、この船に建造番号2100を与えた。
そして2番船のサブライン・ダイヤモンド(Sublime Diamond)は2101番として、長崎造船所が会社の命運をかけて建造中である。マベラスは進水を終え、翌2003年7月の就航を目指し、艤装工事に入っている。
通常、商船であれば新設計であっても3年ほどで就航する。だが極東重工業・百年の歴史において、大型客船を建造するのは実に70年ぶりのこと。しかも、まったくの新設計なのである。
極東重工業にとって、世界の海で長い歴史を誇る英国船主・ダイヤモンドクルーズの客船を建造するということは、終戦後の隆盛期を経て長年の悲願であった。
戦後の日本経済を牽引してきた重工業の長ともいえる極東造船だが、1985年のプラザ合意で始まった円高は、創業からの主たる生業であった造船業を酷く蝕んでいた。
韓国や中国造船界の追い上げは激しく、すでに日本の重工長大の時代は終わりを告げ、21世紀に長崎造船所が生き残り、再び輝くためには大型客船の建造以外ありえない。
それが明白だとしても、大型客船の建造は欧州のお家芸である。長年に渡り老舗の船主との間で築き上げた城壁は堅固であり、商船で覇権を握った日本の参入を許さなかった。それでも極東重工業は、営業・購買・設計・現業の部門横断組織を作り、10年の歳月をかけてダイヤモンド社の門戸をこじ開け、ようやく建造に漕ぎ着けたのであった。
(つづく)
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