駅員さん

執行 太樹

 




 私は、目が見えない。

 私は、朝いつも電車で通勤する。私の家から最寄りの駅まで、いつも歩いて向かう。歩くときは、白杖は手放せない。普通に歩けば10分ほどの距離だろうが、私は30分かけて、ゆっくりと歩いて向かう。

 小学生の頃のある日、私は視野の一部が見えない「視野障害」を患った。中学生、高校生になるにつれ、見えない部分はどんどん広がっていった。そして、大学生になる頃には、ほとんどの視野を失ってしまった。こんな私だったが、大学の先生のお陰で、卒業後にブラインドライターという仕事に就くことができた。就職して1ヶ月が経ち、少しづつ仕事にも慣れてきた。

 駅に着くと、いつも改札口の前で出迎えてくれる駅員さんがいる。その駅員さんは、いつも私に、おはようございますと挨拶をしてくれる。駅員さんの声は、とても優しかった。私も駅員さんに、おはようございますと挨拶をする。駅員さんに案内してもらうようになったのは、2週間ほど前からだった。


 ある日、私が白状をつきながら駅のホームを歩いていたとき、誤って線路に落ちかけたことがあった。その時、後ろから優しく私の腕をとり、落ちないように支えてくれた駅員さんがいた。

 大丈夫ですか、お怪我はありませんか。駅員さんは、そう声をかけてくれた。私は、大丈夫ですと返事をした。何かお手伝いできることがあれば、おっしゃってください。私には、その言葉が、嬉しかった。

 そして、その日から毎日、その駅員さんは私を出迎えて、駅のホームまで案内してくれるようになった。


 駅員さんは、改札口から駅のホームまで、私の手を優しく取って案内してくれる。エレベーターを乗り降りするときや小さな段差を超えるときに、時折、大丈夫ですかと声を掛け、私のことを気にかけてくれる。私は、大丈夫です、ありがとうございます、と駅員さんに声を掛ける。


 駅のホームで、私は駅員さんに体を支えられながら電車が来るのを待った。私は、ふと自分が誰かに、こんなに感謝の言葉を伝えていることに驚いた。視力が失われていく中で、周りに感謝するという気持ちも、同じように私の中から失われていった。家族や友達が優しくしてくれることを素直に受け止められず、その優しさにどこか鬱陶しさを感じていた。特に家族には、よく反発してしまった。そんな私を、私は嫌いだった。


 遠くから、電車の音が聞こえてきた。駅員さんは、電車が来ましたと私に伝えてくれた。私は、はいと返事をした。私の前で電車が停まった。駅員さんは、私の手をとって、優しく電車の中へ案内してくれた。


 私は、駅員さんの顔を知らない。けれど私は、この駅員さんがとても優しい人だということをわかっている。


 いつも、ありがとうございます。

私は振り向いて、駅員さんにお礼を伝えた。駅員さんは、言葉を返した。

 どういたしまして。

 電車のドアがしまるとき、駅員さんは私に、お気を付けてと声を掛けてくれた。私は、声のする方に頭を下げた。

 私は、駅員さんが優しく駅を案内してくれることを、素直に嬉しく思った。そして、その嬉しい気持ちを素直に駅員さんに伝えられることが気持ちよかった。


 電車が発車した。車窓から、陽の光が差し込んできた。電車は、私の温かくなった気持ちを心地よく揺らしながら、走っていった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

駅員さん 執行 太樹 @shigyo-taiki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る