第33話 領主館に怪物現る?
夏の洗濯室は、朝から窓という窓を開け放つ。
一年中、熱く焼けた木炭を入れたアイロンを使うこの場所は、熱と蒸気で夏は特に蒸れるのだ。
窓を開け放つということは、熱や蒸気と共に室内の音もそのまま漏れ出す。
メイド達の
「ねぇねぇ、知ってる? 毎朝薄暗い内に、
籐籠から洗濯物を取り出しながら、一人のメイドが言った。
隣で、領主末娘エミーリエの洗濯物籠から、なぜかスープで汚れたウサギのぬいぐるみを取り出していたメイドが、目の色を変えて身を乗り出した。
「なにそれ!?」
「庭師が話してたの。夏が近付いて日の出の時間が早くなったら、忍んで来る時間も早まったって」
「私も聞いたわ。その人、薄暗いのに帽子を被ってて、顔が見えないんですってよ」
アイロンを用意していたメイドが話に加わると、更にその周りのメイド達も口を挟む。
「そうそう。日の出の時間に当たると、ツバを引き下げて逃げるみたいに通用門に入ったって、新聞配達の彼も言ってたわ」
「何それ、吸血鬼みたいじゃない!」
きゃあ、とメイド達が声を上げる。
最近、領街の大衆劇場で上演されている演劇は、吸血鬼という夜の闇に住まう美男(ここ重要)と貴族令嬢のラブロマンスで、若い女性達に大人気なのだ。
「それが吸血鬼だとしたら、この館の誰を求めて通ってるのよ!?」
「そりゃアンタ、クラウディアお嬢様でしょうよ!」
「いやだ、
「喜んでいいの〜? お嬢様が攫われたら私達こんなに楽しく仕事出来なくなるかもよ!?」
年頃のお嬢様が攫われたりすれば、館は上を下にの大騒ぎになることは間違いない。
洗濯室だって、悠長にアイロン掛けしながらキャッキャ出来なくなるだろう。
「それは困るわ! じゃあお嬢様の枕カバーの裏に、こっそり聖十字の刺繍でもする!?」
「な〜にバカなこと言ってんだい! 仕事が減ってるからって、ダラけてんじゃないよ!? ちゃんと口だけじゃなく手も動かしてるんだろうね!?」
洗濯室の奥から、室長のハンナが顔を覗かせて太い声を張り上げる。
メイド達は、ハンナの声に一瞬跳び上がってから、声を合わせて元気に返事をした。
「もちろんです、室長!」
「「「シミは抜いても手を抜くな!」」」
「分かってりゃいいさ」
ハンナは大きく頷いて、奥に戻った。
今年の夏季休暇は、長男エドワードが帰省しないことになったらしく、ケガの療養の為に一時帰宅していた次男のアルベリヒも、それならと、先日、予定よりも早く寄宿学校に戻って行った。
おかげで、この時期に予想していたよりも、洗濯室の仕事は少なくなっているのだった。
厨房から別館へ歩いて来ていた女料理人オルガは、洗濯室の方から駆けていく少女の後ろ姿を見た。
あれはエミーリエだろう。
こんな所に何の用があったのかと思いながら別館に入ると、洗濯室の開け放った扉から、メイド達の明るい談笑が聴こえた。
「いつ来ても賑やかね」
「あれ、オルガ。どうしたの」
「ちょうど休憩だったから、前掛けをもらいに来たの」
普段は下女が受け取りに来るが、エルナが辞めてから、彼女が担当していた曜日は、手の空いた者が代わりに行っているのだった。
「ねえ! オルガは知ってる? 早朝に吸血鬼
「吸血鬼?」
「そうなの! あのね、あのね……」
メイド達が熱く特徴を語るのを聞き、オルガは軽く吹き出して、困ったように言った。
「それ、きっと料理長よ」
「え! 料理長!?」
「ええ。毎朝日の出前に厨房に入るし、帽子も被って家を出るわ」
料理長とオルガは今年の始めに結婚して、領主館の近くの一軒家で暮らし始めた。
仕事の開始時間を変えたくない料理長は、毎朝日の出前に家を出て、領主館に通っている。
「ええ〜、そうなの?」
「私も一緒に行く日もあるけど、料理長一人の日を見た人が噂したんじゃないかしら」
噂など、多くの人の口を通る間に尾ひれが付いていくもの。
特に、この洗濯室のメイド達のように、誇大妄想で楽しむ者達の間では。
「な〜んだぁ…」とがっかりする声を聞きながら、オルガは苦笑いしたのだった。
きれいに洗濯された前掛けを抱えたオルガは、まだ休憩中の者が多い広間にそれを置いた。
厨房で立ってお茶を飲みながら、何やら話している料理長と副料理長を見付け、二人の前掛けだけを持って厨房に入った。
夕食のメニューについて話している
珍しいオルガの反応に、二人は怪訝そうにした。
「なんだ?」
「さっき洗濯室で面白い噂話を聞いたものだから」
「面白い話って?」
オルガが笑いながら説明すると、料理長は渋面になり、副料理長は爆笑した。
「吸血鬼! コイツが!」
「……笑いすぎだぞ」
「だってよ、巷で人気の
副料理長は、観劇したことがあったのだろう。
厳つい料理長のイメージとは間逆であるようで、腹を抱えて笑うので、さすがにオルガが視線を尖らせた。
「そこまで笑わなくてもいいでしょ」
「オルガだって笑ってただろ?」
「人の血を吸う吸血鬼なんて、架空のモノに例えられたのが面白かっただけよ」
「……は〜ん」
副料理長はニヤリと笑って首元を指す。
「まあ、あながち外れてはないか。オルガは毎晩吸われてるもんな」
「なっ、何言うのよ! 毎晩なんかじゃないわ!」
「ふ〜ん、毎晩ではない、と」
「ちょっ、ちょっと!」
オルガが真っ赤になるのと、料理長に向こう脛を蹴られて、副料理長が叫んだのは同時だった。
厨房で三人が騒いでいるのと同じ頃、図書室から自室に戻って来たクラウディアは、なぜかエミーリエから聖十字のペンダントを押し付けられていた。
お絵描きに使う紙束に大きくバッテンが描かれてあって、それを何枚もベッドの周りに広げていく妹に、困惑気味に声を掛ける。
「エミーリエ、一体どうしたの?」
エミーリエは泣きそうな顔で、クラウディアの柔らかなスカートにひしと抱きついた。
「あのね、うさぎさんがスープを飲んだから、きれいになるのを見に行ったんです。そうしたら、帽子を被った吸血鬼がラブロマンスなんですって! お姉様、どこにも行かないで下さい!」
「ええっと……??」
さすがのクラウディアも、何のことだかさっぱり分からない。
同様の侍女達と、困惑して顔を見合わせた、ある夏の日だった。
《 領主館に怪物現る?/終 》
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