《密話休憩》曇りなき瞳
晩餐会のある日は、誰しも何かしら忙しいものだ。
特に厨房は、数日前から普段の仕事と共に、晩餐会に向けての仕込み作業も行われていて、当日はそれに輪をかけて忙しかった。
製菓担当料理人のハイスは、慌ただしい作業の合間、ふっと気を緩める瞬間に、恋人であるサシャを目線だけで探す。
昨夜、仕込み作業を手伝ってもらうはずであったのに、自分の不用意な発言のせいで、彼女は早々に厨房を去ってしまった。
仕込み作業を放り出すわけにはいかないので、後悔と、どう誤解を解けば良いのかと頭を抱えながら、深夜まで作業したのだった。
……まあ、そもそも誤解なのかどうか怪しいところなのだが。
それでも、サシャを探せば、彼女もまたハイスを見ているようで、度々視線がぶつかる。
その後、サッと逸らされるのは胸が痛いが、心なしか恥ずかしそうに見えるのは、気のせいではないと思う。
あの反応は、気分を悪くしたり、怒ったりしてはいないのではないだろうか。
きっとそうだ。
うん、多分。
……そのはず。
ハイスは一人悶々としたままだったが、仕事は仕事だ。
夕方になり、忙しさがピークに達すると、そんなことは頭から消えていた。
仲間の料理人と作業に没頭し、最高のデザートを厨房から送り出してようやく、安堵の息を吐いて緊張を解いた。
「どうぞ」
同僚のマルタンと、互いを労いながら汗を拭いていたハイスに、盆に並んだカップを差し出したのはサシャだ。
皆が一息つけるように、下女達が温かい茶を配っているのだ。
「……ありがとう」
「お疲れ様でした。とっても美味しそうなデザートでしたね」
結局、朝からずっとサシャとは会話らしい会話が出来なかったので、ハイスはドギマギしながら受け取った。
サシャはニコと笑って、マルタンにも渡し、そのまま他の人へ渡しに行く。
「サシャ」
サシャの持つ盆が空になるのを待って、ハイスはサシャに声を掛けた。
振り返った彼女を、そのまま隣の広間に続く扉近くまで連れて行って、顔を覗き込む。
「あの……、あのさ」
「昨日はごめんなさい」
「え?」
謝ろうと思っていたのに先にサシャに謝られて、ハイスは驚いて瞬いた。
「お手伝いするって約束してたのに、ろくにしないまま帰っちゃって……大変だったんじゃない?」
「あ、いや、それは大丈夫だよ」
そもそも、職人でないサシャに夜の作業を手伝ってもらうのは、準備や片付け等の雑用が減って助かるからだ。
しかし、彼女がいてくれることで、作業時間がより楽しくなるからという目的も大きく、彼女がいないからといって作業が大変になって困る、という程ではないのが実際の話だ。
……もちろん、彼女にそんな説明はしないが。
「それよりさ、昨日、俺……」
「それもごめんなさい!」
「えっ」
二度目遮られてハイスが困惑すると、サシャは恥ずかしそうに微笑む。
「エルナに叱られちゃったの。『ハイスがサシャの嫌がることを無理やりするわけないでしょ』って」
え? 嫌がること?
ハイスは焦って昨夜のことを思い出す。
嫌がることというのは、キスマークのことだろう。
サシャは部屋に帰って、昨夜のことを同室のエルナに報告したのだろうか。
だとしたら、この上なく恥ずかしいのでは……。
胸に羞恥が湧き上がるハイスを
「エルナの言うとおりだわ。ハイスはいつだって優しいもの。そんなこと、私……まだ、いらないもの……」
頬を染めつつも、サシャはキラキラとした瞳でハイスを真っ直ぐに見上げた。
「ハイスとこうやって笑って話せて、時々二人だけの時間がある。それだけで私、とっても、とっても嬉しいもの」
見上げた栗色の瞳は曇りなく、その輝きは純粋で、ハイスはぐっと言葉に詰まった。
辛うじて笑顔を作り「う、うん、そうだよね……」と返せば、サシャは嬉しそうに笑って、次のお茶を入れにエルナの側へ戻って行く。
サシャに気付いてこちらを向いたエルナが、ハイスに憐れむような視線を一瞬投げたのは……。
うん、きっと、気のせいだ。
「道のりはながそうだねぇ、ハイスくん」
ハイスの肩に腕を置いて、楽しそうにそう言ったのは副料理長だ。
彼は、ハイスとサシャの仲を知っている一人だ。
ハイスが横を向けば、副料理長はその顔を覗き込むようにして、瞳をうるうるとさせる。
「『焦らないでね、ハイス♡』キラキラ〜ってね!」
「あ、焦ってねぇ〜〜っ!」
サシャの真似をする副料理長を押し退けて、ハイスは担当台に駆け戻る。
彼の気持ちは、きっといつか報われる。
……はずだ!
《 密話休憩/終 》
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