《密話休憩》特別な味

領主館で働く者は、通いの者いるが、住み込みの者も多い。

住み込みの場合は、男女に分かれた使用人宿舎に部屋を与えられるが、そのほとんどは相部屋だった。



女性用宿舎の狭い一室では、今日の仕事を終えた厨房の下女二人が、それぞれ自分のベッドに腰掛けて向かい合っていた。

部屋の中には、仄かに甘い香りが漂う。

香りの元は、下女の一人、エルナが大事そうに膝の上に置いた紙袋だ。


正確に言えば、その中に入っている、昨日もらった焼き栗。

青果仕入れ業者のマイトからもらった焼き栗は、当日は胸いっぱいで、エルナは口にすることが出来なかった。


さっき、厨房の女料理人にお願いして、火を落とした後のオーブンの余熱で温めてもらった。

おかげで、焼き立てと同じとは言えずとも、ほの甘く、香ばしい栗の香りがしているのだった。



「手をね、握ってくれたの」

「手を?」

「そう。……あ、手っていうか、指先だけなんだけどね」


そう言って、明るい金髪を耳に掛けながら、少し俯きがちにエルナが笑う。

耳も頬も少し色付いていて、その照れた様子は、年下のサシャから見ても愛らしい。


サシャはエルナより二つ下で、同室のエルナを姉のように慕っていた。


「ドキリ、としたの」

「ドキリとした?」

「そう。心臓が跳ねたみたいに」


エルナは、紙袋からほの温かい栗を一つ取り出し、愛おしそうに指先で撫でた。


「それでね、ああ、私、やっぱりこの人のことが好きなんだわって、あらためて感じたの」


ふふふ、と笑うエルナは、とても嬉しそうで、サシャもつられて微笑む。

エルナは昨日、マイト想い人から、焼き栗と共に短い恋文をもらったのだ。



好きな人と想いが通じ合うなんて、きっと、とても素敵なことだとサシャは思う。

子供の頃に読んでもらった物語でしか知らない、恋の話。

サシャにとっては、想像上のものでしかなくて、まだ遠い遠い世界に思えるのだけれど。


サシャは十七歳で、十六歳が成人の歳であることを考えれば、とうに男女のあれこれを経験していてもおかしくはない。

しかし奥手の彼女は、親しい使用人達が「今日の郵便配達のお兄さん、男前だったわよね!?」なんて側で盛り上がっていても、我関せずといった様子で、一緒に恋の話をして頬を染めたりはしないのだった。


どうしてかは、分からない。

でも、そんな良く知らない相手に、好意も関心も持てないのだ。




「あ、もうそろそろ行かなくちゃ」


エルナの話を楽しく聞きながら、分けてもらった焼き栗を食べていたサシャは、手に付いている欠片を膝の上の更紙の上に落として畳むと、立ち上がった。


「今日も手伝いを頼まれたの?」

「うん、そうなの。エルナ、先に寝ていて良いからね」


そう言って、サシャは急いで栗色の髪を括り直す。


一日の仕事を終えて宿舎に戻っているエルナ達は、明日の早朝までは自由だ。

だからこうしてゆっくりお喋りをしているのだが、サシャは一人の料理人から個人的に手伝いを頼まれて、夜の厨房へ行くことがあった。

今夜も、そのようだ。


心なしか嬉しそうに髪を括り直したサシャを見て、エルナは焼き栗の皮を剥いていた手を止めて尋ねた。


「……ねえ、サシャは気になる男性ひとはいないの?」

「え? いないわ、どうして?」

「ううん、別に。ちょっと聞いてみたかっただけ」

「そう?」



手早く準備をして、部屋を出ていくサシャの後ろ姿に、エルナは軽く首を傾げて微笑む。


「まだ気付いてないのかしら……」


胸の奥に育つ想いは、時に自分でも気付かない内に大きくなっているものだ。

まだ恋は早いと思っている者の胸にも、もしかしたら……。



エルナは皮を剥いた焼き栗を、そっと口に含む。

もう冷えかけていたはずなのに、彼女には、とても甘く温かなものに感じられた。


それは、特別な味。


きっと誰にでも、そんな味を感じる日が、いつか来るのだろう。

そしてそれは、思わぬ瞬間に訪れるものなのかもしれない。




《 密話休憩/終 》







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