領主館物語 〜その日常に微笑みを〜
幸まる
ここは領主館
地方の小領地。
領主の館は、田舎領地に相応しく華美なものではなかったが、赤褐色の煉瓦造りの建物は温もりを感じさせる。
ところどころには優美な彫りの入った飾り柱があり、良く見れば、窓建具にも同じように控えめな飾り彫りがある。
古い建物ではあるが、長年よく手入れされ、住む者達に愛されて使われてきたことが分かる館だった。
この館に住む領主一家は八人。
代替わりして数年の若き領主と、美貌の奥方。
十五歳の長女をはじめとする、健やかな子供達が五人。
そして、領主の座を息子に譲って隠居した、前領主の老紳士。
この八人の生活を支えるのは、館で働く多くの使用人達だ。
執事と侍女長を筆頭に、侍女従僕、数多くのメイド達。
館の規模に対して、やや大きめの厨房には、仕事に厳しい料理長と、彼の元で腕を磨く料理人達。
一年を通して多くの花を咲かせ、毎日領主一家の誰かが景色を愛でる自慢の庭園には、それらを美しく保つ腕利きの庭師達。
住み込みの者、通いの者、その働き方は様々だが、皆毎日忙しく立ち働く。
また、領主の補佐をする文官や、出入りの業者など、領主館には日々多くの人々が訪れ、日常を共にしているのだ。
○
「あれ? ネル爺さんじゃないか」
青果仕入れ業者のマイトは、荷馬車で領主館の通用門を入ったところで、腰の曲がった小さな老人を見付けて馬を止めた。
唇の間から、前歯が一本抜けた空洞が見えて、なんとも愛嬌のある笑みだ。
「おうおう、マイト。今日もご苦労さんなことだなぁ」
「ああ、うん、ありがとう。……っていうかさ、ネル爺さん、隠居したんじゃなかったのかい?」
ネルは領主館の元庭師だ。
前領主の老紳士と同い年で、十代半ばで庭師見習いとして採用されてから、実に六十年近くもの間、領主館の庭園を管理してきた。
彼は長く勤めている上に人懐こいので、領主館の人々だけでなく、出入りの業者ともすぐに親しくなるのだった。
もちろんマイトも、よく知っている。
ネルは白いフサフサした眉を上げる。
「おうおう、したした。隠居したよぅ?」
「じゃあなんでここにいるの?」
「そりゃあさ、ここに通わなきゃ、なんだか一日が始まらないし、終わらない気がするからさなぁ」
薄く渋茶色に染まった爪で頬を搔いて、ネルはシシシと笑う。
毎日朝から晩まで土にまみれていたネルの爪は、いつもそんな色をしていた。
いや、今もその色だということは、隠居したと言いながらも、まだ土にまみれているのだろう。
“植物の声が聴ける”と噂される程、ネルの世話する植物は健やかに生育し、花は色鮮やかに咲き、その美しさを長持ちさせる。
前領主の老紳士が若い頃、今は亡き奥方にプロポーズした際には、「ネルの咲かせる花を年中見られるなら、領主館に嫁いでも良いですわ」と返事したというのは、庭師の間に語り継がれている本当の話だ。
隠居したはずのネルが、領主館にこうして度々姿を見せるのを誰も咎めない理由は、そのあたりにもあるのだろう。
「仕事が好きなのは分かるけど、身体のことも考えて程々にね。最近ぐっと涼しくなってきたからさ」
マイトが笑ってそう言えば、「おうおう、ありがとうよ」とネルは何度も頷いた。
マイトが再び馬を動かして、馬車止めがある方へ進む。
軽く手を振って行く後ろ姿に手を振り返し、ネルはゆっくりと辺りを見回した。
領主館の敷地をぐるりと囲う装飾鉄柵に添って、綺麗に刈り込まれた生垣が続く。
秋めいてきても色褪せない、庭園の花々。
様々な高さの庭木は、リズムよく整列し、微風に枝葉を柔らかく揺らす。
その向こうに見えるのは、どこか温かな赤褐色の領主館。
「ワシは、たださ、
再びニイと笑って、ネルは伸ばしていた腰を曲げ、庭師小屋の方へゆっくりと歩いて行く―――。
ここは、人情溢れる領主館。
笑顔あり、涙あり、時には小さな揉め事もありつつも、人々は今日という日を共に生きている。
∷∷∷∷∷∷∷∷∷
ようこそ、『領主館シリーズ』へ。
この物語は、領主館を舞台にした短編集です。
ここに暮らす人々の日常をお楽しみ頂ければ幸いです。
架空の世界を舞台にしておりますので、年中行事や宗教観は現世界と異なります。
次の更新予定
領主館物語 〜その日常に微笑みを〜 幸まる @karamitu
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