第二十五話 いつか結ばれるかもしれない、遠い縁
※今回のフンサイ、サブロ、会場の司会、そして白雲の台詞の一部はタイ語です。
タイ、バンコクのパーティ会場の控室にて。本日の主役であるはずの世界チャンピオン、フンサイ・ギャラクシアン(
「こーのヘタレが! せっかくお膳立てをしまくってやったってのに、告白できなかっただとぉ!? それでも世界チャンピオンか!」
「いや……告白というかプロポーズはしたんだよ……タイ語で」
「
サブロが呆れ顔でツッコミを入れ、何度目かの溜め息を盛大に吐き出した。
サブロはコーウンが日本で出会ったキク・カドタに惚れているのはすぐに理解できた。さすがに試合が終わるまでは色恋沙汰など御法度ではあるが、無事に世界タイトルを取ったなら、うまくくっ付ければこの上ないご褒美になるだろう。
だが異国の女生とのお付き合いともなれば、長いスパンでのお付き合いをするわけにはいかない、遠距離恋愛をダラダラやってる間にも、地位と名誉と財を手に入れた彼にアプローチする女性はいくらでもいるだろうから。
だから今日のパーティ招待にかこつけてデートのチャンスを与えて、日本からわざわざ花屋に菊の花まで取り寄せてもらって、夕日を眺めながらのドラマチックな告白の舞台まで用意したのに……最後の最後でヘタレやがったと言う訳だ。
「まぁ、菊門ちゃんにフられた訳じゃ無いし、まだまだチャンスはあるよ、めげないめげない」
そう慰めたのはキクの上司であるコタロウ・ハクウンだ。彼はコーウンとキクの交際にはやや慎重だった、今告白しても上手くいかないと予想していたからだ。
菊はやや自分に
まぁそれでもコーウンが強引に押し切ったら折れる可能性はあったけど、それ以前に想いを告げられなかったんじゃまぁしょうがない。
今日は駄目でも、その想いが途切れなければいつか実る可能性は残るだろう。
「あーもう、せっかく今日のパーティで電撃婚約発表とか予定してたのに!」
「「そこまでやってたんかい!?」」
サブロの嘆きに二人が目を丸くして返す。いや今日告白してその日のうちに発表とか性急すぎないか、と。
「恋もタイトルマッチも同じだ! 待ってたり引け腰じゃ挑戦権すら得られんぞ、目の前の好機には見えた瞬間にダイブするもんじゃ!」
力説するサブロ。まぁ確かに世界タイトルマッチなんかは本当に順番待ちで、実力があってもコネが無い為にチャンスすら得られずに引退していく選手などいくらでもいる。今回コーウンがアウェイの日本で試合をしたのも、そんな事情があっての事だった。
と、会場へ続くドアががちゃりと開けられ、赤いドレスを纏ったそのご本人、
「おーい、何やってんですかー、早く来てくださいよ主役さん。もう準備万端ですよー」
もちろんコーウンもサブロもタキシードをびしっと決めているし、主治医の白雲も正装でパーティへの出席準備は整っている。意気消沈する二人も残念そうな顔で腰を上げ、会場のステージの袖まで進む。
壇上の司会の人物に菊が「OKです」のサインを出し、応えて司会が大仰に本日の主役を紹介する。
『皆様、お待たせいたしました。我らがタイの新しい英雄、世界フライ級王者、フンサーイ・ギャラクシイィィー!! ご入場ですっ!!!』
しぶしぶ、というか、すごすごと舞台に上がるコーウンとサブロ、そして白雲と菊。
――その瞬間、会場は揺るがんばかりの大喝采と雄叫びに包まれた!!――
「うおぉぉぉぉぉ!! 新たな英雄様のご誕生だあぁぁーっ!」
「我らのヒーロー、フンサイ・ギャラクシアーンッ」
「アリガトオォォーッ・オメデトオォーーッ!!」
たちまちのうちに沸き起こるフンサイコール、そしてウェーブや足踏み。
新たな英雄の誕生に対して、陽気な南国の人々の熱狂は日本の比では無かった。ましてやタイ国人ボクサーはここまで世界戦連続8連敗中だったのもあって、久々に誕生したヒーローへの称賛が高まるのは必然というべきであろう。
加えるに今日のパーティ会場は1階のロビーを解放して使っており、屋内に入れるのはお金持ちのセレブや招待客のみだが、その外のテラスステージは一般や貧民層にも開放されており、さらにその向こうの道路にまで大勢の庶民が詰めかけているから猶更ボルテージが高まっていく。
貧民出のコーウンは、彼らにとってもひと光りの希望なのだから。
「おお! さすがタイ国民。いい盛り上がり方するねぇ」
「すごい……本当にヒーローなんですねぇ」
菊は熱狂に圧倒されつつ、白雲と一緒にステージの袖から一般席に降りて、ついさっきまで一緒にいた英雄を息をついて見上げていた。
(あんな人と、今日私はデートしてたんだなぁ……)
菊は思わず『世界の違い』を自覚する。自分には天地がひっくり返っても、あれだけの人を感動させるなんてできっこない、そんな思いが人間としての『差』を否応なしに思い知らされていた。
紹介や祝辞(なんとタイ国王からのものまで!)、ベルトのお疲労目などが終わり、懇談と食事の時間になると案の定、コーウンの周囲はこの国の
「ありがとうコーウンさん、私にシンデレラ気分を味あわせてくれて」
遠目で彼を見ながら、思わずそんな言葉を呟く菊。まさに今日の彼女はシンデレラのごとく、彼を一日独占してプレゼントまで送られた。今日という日は彼女にとって、きっと一生の宝物になるだろう……
「さ、菊門ちゃんもアレに混ざろうか」
「えっ?」
そんな感慨に浸っていた菊の後ろから、彼女の両肩を掴んでステージにずんずん推し進めていく
「え、ちょ、ちょっと……無理ですってば! アレに混ざるなんて!!」
履き慣れないハイヒールでブレーキをかけ、白雲に向き直って涙目で抗議する菊。
「あんな中に混じるなんて、ほとんど公開処刑じゃないですかあぁ!」
その言葉に白雲は「ふむ」とアゴをひねって、にやりと笑って彼女に告げる。
「じゃ、仕事をしてもらおうか。今日のパーティのトウガラシ料理を全部コンプリートして、明日の朝のうんこの色や形と、お尻の穴の痛みをレポしてもらいますよ♪」
「げ……!」
実は菊は辛い料理が苦手で、日本の担々麺すら一口でギブアップするほどだ。彼女も今日の昼のコーウンとのランチで、この国の料理の辛さは嫌というほど味わっている。特に緑色のトウガラシの料理は、ひとかけ舐めたら完全に口が死ぬレベルだ。
既に明日の排便でお尻
「……わ、分かりましたよ、行けばいいんでしょ、行けば!」
半ば涙目でドレスをひるがえし、大勢のセレブが人だかりを作っている中に向かう。まぁどうせあの有様じゃ貧相な私など出番はないだろう、と高をくくって。
「おお! キクー、こっちこっち」
その目論見は、ほがらかな笑顔で自分に手を振るコーウンによってあえなくご破算となった。
握手、ハグ、そして彼とダンスを踊ってる間中、彼女は周囲の強烈な殺気に冷や汗を流しながら、引きつった顔でカクカクと動くしかなかった……。
彼女は気付いていないが、周囲の女性たちは二人がお互いを「コーウンさん」という非公認の
ダンスが終わった後、菊の後ろに白雲が立ち、コーウンに対して柔らかい声でこう告げる。
「さてコーウンさん、彼女に何か言う事は?」
その言葉にあ! と固まったコーウンが、ごくりと唾をのみ込んで赤面しながら、菊に向き直って……。
「
周辺がざわっ、と沸き立ち、美女達がひきつった顔をする中、菊だけがその言葉の意味を理解できていない。
そしてコーウンの口から、爆発宣言が大声で発せられた――
「
会場が静寂に包まれる中、菊だけがあっけらかんとした顔でこう返した。
「え……? それさっきも聞きましたけど、どういう意味なんですか?」
「はいはいはい。では返事はまた後日という事にして、私たちはこれでお暇しましょうか」
周囲が固まる中、白雲はささっと菊を確保すると、そのまま会場の外まで人をかき分けて出ていき、止まっていたタクシーに乗り込んでその場を離れて行った。
タクシーの気配が消えた頃、会場は阿鼻叫喚のカオスになっていた事は言うまでもない。
――――――――――――――――――――――――――――――――
「え、えええええーっ! プ、プロポーズって、私にですかあぁぁっ!?」
帰りの飛行機の中、白雲があの言葉を訳して聞かせると、菊は当然のごとく大声で驚いて、白雲に抗議の目を向けた。
「なっ、なんで、そんな大事な事を……てかだったら逃げちゃ駄目でしょう!」
「ははは。あの場に残ってたら、セレブたちが雇った殺し屋が飛んでくるかもしれないよ」
その物騒な返しに「マジですか……」と固まる菊。
「ま、彼も『いつか』って言ってたし、すぐに結論を出す必要はないよ……どうせ今の君じゃ断るんだろ? 『自分じゃ吊り合わない』なんて言って」
「う……確かにそうかも」
図星を突かれて少し悔しそうにしょげる菊。
「だからさ、もっと自分を磨いて、彼に相応しい女性になればいいんんだよ♪」
「……どうせ快調なウンコで、とか言うんでしょ?」
「はっはっはっ、わかって来たじゃないか」
すっかり勝ち誇った顔で朗らかに笑う
――ちょっとした問題を残している事には気付かずに。
―――――――――――――――――――――――――――――――
同時刻、タイのとあるボクシングジムにて。
「ね、ねぇサブロ! あのウンコタロウって、まさかキクの恋人じゃないよね!?」
「知らんがな! こっちは問い合わせの電話の対応でそれどころじゃねぇッ!!」
ちゃんちゃん。
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