第四話 菊ちゃんの人生の分かれ道


 排便描写注意!


―――――――――――――――――――――――――――――――



 便座に腰を下ろしたと同時、私の下半身から今までの人生にないほどの大きなカタマリが、にゅるり、と抜け出してきて、ドスンと音を立てて落ちた。

(うわ、すっご……って、えええええ!?)


 んどどどどどどどど……


 余韻に浸る間もなく、私の体から次々と『アレ』が排出されていく。


 BURIBURIBURIBURI……


(なにこれ、ナニコレ。ホントに出てるのはウ〇コだけ!? 内臓が体から抜け落ちちゃってるんじゃないの?)


 途切れない排便。圧倒的な継続感。まるで延々と連なる列車が踏切をずっと通過し続けているかのように、私のお尻の穴から出てくるモノはとどまることを知らなかった。


 どどどどどどどどど……


(ナ~イア~ガァラァ~♪)


 たまんない、気持ちいい、おなかの中を脱出していくアレが、その通過で軽くなっていく私の体が、痺れるような脱力感と快感を全身に行き渡らせる。


 少し勢いが衰えた。

 いきむ。

 再加速。


 PURIPURIPURIPURI……


「あははははははは……」


 もう面白い、もう楽しい、もうキモチヨスギル……



  ◇        ◇        ◇



 (ふはぁ、シ・ア・ワ・セ♪)


 すべてを出し切った後、私は激しい脱力感と、まるでお腹に羽根でも生えたかのような不思議な快感に満たされていた。

 ウォッシュレットで洗浄してお尻を拭いた後、立ち上がると軽くめまいを感じた。でも不快じゃない、いつもの貧血とは違う、まるで違うステージに立ったかのような爽快感。


「体が軽い……こんな幸せな気持ち、いつ以来だろ」

 なんかのアニメでのこの後のセリフを思い出す。

「もう何も怖くない、か。あはは、本当に今の私みたい」



 私の身の上の問題は何一つ解決しちゃいない。ただ、たった今便秘が解消されただけだ。


 でも、私をさいなむ『悩み』は全部どっかににすっ飛んで行ってしまった。

 そうよ、住むところも仕事もなけりゃ探せばいいんだ。今の幸せな自分ならきっと居場所なんて見つかる、ンなことなんとかなるさー、きっと。



 人生でなかったくらいの幸せ気分に包まれてトイレから出ると同時、私の鼻をおいしそうな匂いがくすぐった。


「お疲れさーん。スッキリしたでしょ、さぁ朝食にしましょう」

 見ればあのイケメンさんがテーブルに朝食を広げてくれている。それを見た瞬間、空になった私のお腹が盛大に「ぐぐぅぅぅ~~~」と音を立てた。


「は、はいいぃぃぃ、いいいいただきますぅ」

 ごくりとつばを飲み込んでテーブルに着く。白いご飯にお味噌汁、焼いたシャケに納豆、生卵に海苔にお漬物。夕べのディナーとは真逆の和食の朝ごはんが、私をこの上なく誘惑する!


「では、いただきます」

「いただきまふぅ」

 ちょっと噛んでしまったのも気にせず、私はシャケを箸で割いてごはんに乗せ、それをごはんごとつまみ直して口に放り込む。


 ……!

 美味しい、美味しい、美味しいいっ!!


 口の中で踊る『美味』という快感。歯が、舌が、喉がトキメいている。

 ごくん、と飲み込む。食道から胃へと向かっているのがわかる。胃に落ちた瞬間、満たされるような快感がじわっと全身に広がっていく――



「……あ、あれ?」

 私は、泣いていた。


 涙があふれだす。熱いしずくがぽろぽろと、とめどなく頬を伝い落ちていく。

「ど、どうした、んだろ、私、なんか、変」


「体が喜んでいるんだよ。大腸が空っぽになってセロトニンがいっぱい分泌されているんだ」

「せろ、とにん?」

「幸せを感じるホルモン、まぁ体内麻薬みたいなもんだね」


 涙を拭きながら「とはー」と感心する。お医者さんなら無理もないのかもしれないけど、今の私の状況をあっさりと認識する……というか「計画通り」みたいなドヤ顔までされている気すらするなぁ。


 でもゴハンが美味しすぎるのには全く抵抗が出来なかった。人生最高の食事を平らげたら、彼が私の前に熱いお茶をことっ、と置いてくれた。


「あの……今日は、いえ昨日から、本っ当にありがとうござました!」


 テーブルに頭突きをするように頭を下げる。一泊止めてもらって二食をご馳走になるだけでも感謝しきれないのに、彼の指示に従って行動してたらホントに便秘が解消された。

 そしてそれが、私の体の中にある悪いものを全部一緒に出し切ってしまった……みたいだ。


 便秘以上に困る事なんてあるのかねぇ――

 ――君は便秘で人生を損なおうとしている


 夕べのこの人の言葉を思い出す。あの時は何言ってるんだろうと思ってたけど、本当にそうだった。気持ちよく出たのはウンコだけじゃなく、私のネガティブな思考まで一緒に排泄してくれたんだ。


「あはは、満足してくれて私もうれしいよ」

「それで……その、貴方って一体、何者なんですか?」


 ただのお医者様なら無料診療なんてしないし、ましてや頼まれてもいない患者をここまで手厚く治療するなんてありえないだろう。

 加えてこのビルのオーナー、つまり大金持ちなうえにイケメン高身長。大勢の美女を連れまわせるのが当然と言える人生の成功者……一体このヒトはどんな人生を送って来たというのだろうか。


「ああ、失敬。自己紹介がまだだったね」

 そう言って彼は胸ポケットから一枚の名刺を差し出し、こう名乗った。


「私は白雲 虎太郎はくうん こたろう、人呼んで『うんこたろう』」

「へ? あ、あの・・・・・・なんですって?」


「う……うんこ、たろう?」

 そういや夕べの美女たちもそんなこと言ってた気がする。まぁ確かに胃腸、肛門科のお医者さんなんだし、加えてその名前じゃそう呼ばれるよねぇ。貰った名刺を見ても確かにそう書かれている。


―――――――――――――――

 うんこ研究家

   はくうんこたろう♠

     代表 白雲 虎太郎

―――――――――――――――


「え、えーっと・・・・・・悪口、じゃなさそうですよ、ね?」

「もっちろん! 私の自慢の名前だよ。親に感謝だね」


 あ……やっぱり気にしてないんだ。いやむしろ開き直ったのかな?


「でも名刺にスペードのマークって珍しいですね」

「あ、それお尻とウンコだから」

「へ? えーっと……ぶっ!!!!!」


 いやいやいや、確かにこのマークはお尻と、そこから出る何かに見えなくもないけど……いやだなぁ、今度からトランプするたびに思い出しそう。


「で、貴女は?」

 そう聞かれて自分も名乗っていないことに今更気付いた。

「すっ、すみません! 私、門田 菊かどた きくって言います。二十歳はたち! 田舎から東京に来たけど仕事をクビになって、住むところを追い出されて、今は単なるプータローですっ!」


 テンパった自己紹介をしながら頭を下げる。その顔を上げた時、彼が目をキラキラさせながら私をじっと見つめている……あ、ヤバい。またトキメキそう――


「どんな漢字を、書くんですか?」

 ずいっ、と私に迫る白雲さん。その圧に押され、しどろもどろに言葉を返す。

「え、えっと、もんに田んぼの田、で花の菊です、けど……」


 そう言った瞬間だった。白雲さんはまるで感動に打ち震えるかのように上半身を思いっきり反り返らせて停止すると、ぎゅんと体を戻して、両手で私の手を取って、歓喜の表情でこう続けた。


「名前に『菊』と『門』が! 素晴らしい、まさに神に愛された名前だよ!!」


 ぐわあぁぁぁ……そうか、そう来ますかこの人なら。

 そう、『菊門』といえば、その形からお尻の穴を差す言葉だ。私も中学時代にはそんなあだ名を陰口として言われたこともあったけど、さすがに下品に過ぎるのもあって大っぴらには言われなかった……そんな私の黒歴史をこの男はうれしそうにまぁ。


「住むところがないって言ってましたよね、働くところも無いと」

「あ、はい……恥ずかしながら」

 恥ずかしいのはあなたの言動だ、とセルフツッコミしたいのを堪えてそれだけ返す。昨日から散々お世話になってるんだし、もうあまりツッコまないでおこう。


「どうだい、今日からしばらくここに住み込みで、私の助手をやってみないか?」

「え……住み込みで、助手?」

「うん。ちなみに給料は……」

 電卓をポチポチポチと叩いて額を示して見せる。そこに表示されていたのは、私の仕事歴で得ていた額よりケタがひとつ上の金額だった。


「え! こんな、に? あ、でも私、お医者様の資格持ってませんけど」

 医療従事者なら給料が高額なのは私でもわかる。でもそれには資格がないと……


「ああ、医療の助手じゃないよ。その名刺にある通り、本業はうんこ研究家さ」

「う、うんこ研究家って……何をするんですか?」

「もちろん、うんこの研究だよ」


「ぐ、具体的、には……」

 そんな仕事があるんですか、との意図を込めたジト目で返すと、白雲さんは両手を広げて晴れやかな顔で、こう宣言した。


「うんこで世界人類を幸せにするのさ。ほら、今の君みたいにね」


 はー、と息をつく。あーもう、このヒトはそんな事を大真面目に言っているんだ。名は体を表すって言うけれど、この人に『うんこたろう』の文字を与えたのはまさに神様のおぼしめしなのかなぁ。


 さて、どうしよう。この人について行くかどうか……


 うーん……「こ」。

   

 しまった! 流れにつられて心の声に絞めの一言を追加してしまったじゃない。


「ぷっ、あははははははは……」

 おっかしい。昨日は悲観して死ぬ死なないなんて思ってた私が、今ここで誰よりもスッキリとして、超絶イケメンのお医者さんとウンコのお話をしてるんだから。


 そしてどうやら私も感化されてしまったみたいだ。それなら何も迷う事はないじゃない。


「やります! よろしくお願いしますっ!」


 立ち上がって、今日何度目かの頭を下げた。



 このすぐ後、私はこの決断を後悔することになるとは、まったく思っていなかった……。

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