サマー・レガート
雪村灯里
『サマー・レガート』 夏瀬 透花
#1 夏の幽霊
「あっつ~」
重いスクールバッグを机の上に置き、コンビニで買ったパックのジュースを取り出して、ストローを刺す。喉を潤しながら、いつものように目を瞑り耳を澄ませた。
生ぬるい風に乗って、運動部が練習する声が聞こえる。けど、私が楽しみにしていた音は聞こえない。軽くため息を吐いて、ぽつりと
「何を期待してるんだろ?」
黒く伸びた髪を後ろで高く結い、制服が汚れないように
「よし! 描こう!」
私は
イヤホンを着けて音楽を聴きながら、私は黙々と描く。額にジワリと汗をかき制服にも汗が滲む。スカートを太ももまでたくし上げ、涼を得る。
先生方は夏休みの間、冷房が効いた新棟の職員室で仕事をしている。暑い
しかし、私の思惑は簡単に裏切られる。教室の引き戸がガラリと開いた。
(嘘でしょ!?)
慌ててスマホを鞄に突っ込み立ち上がる。入口を見ると、そこに居たのは小学生くらいの男の子だった。
だが、驚きと恐怖で、私の時間は止まる。
Q:なぜ、自分よりも幼い子供に恐怖を覚えるのか? →A:それは、彼がこの世の者とは思えない程、美しい。
色素が薄い髪の毛は、窓から差し込む光を受けて淡いブラウンの光を宿した。人形のように整った顔と、見透かすような目。半袖から伸びる夏を知らない肌。少年少女特有の中性的な儚さが彼を現実から遠ざけた。
(まさか幽霊?)
この学校にも怪談がある。でも、こんな昼間から? 『幽霊じゃない』そう言い聞かせながら声を掛けようとした……が、逆に向こうから声を掛けられた。
「お姉さん、何してるの?」
私は
「え、絵を描いてる」
私は右手に筆を掲げ、左手でイーゼルに立てかけた絵を指差した。
一瞬の静寂の後、彼の目の中に感情が宿った。その感情の名は“好奇心”。
彼は猫のようにするりと教室に入ってきた。私は驚きつつも彼に絵の正面を譲る。
「鳥だ! 綺麗だね」
良かった、人間だ。でも……そんなキラキラした目で、面と向かって褒められると照れくさい。
「あ、ありがとう。ねぇ、君は誰? 先生のお子さん??」
可愛い侵入者に尋ねた。私も生徒とはいえ無断で部活動をしている侵入者に過ぎない。なので私の存在がバレるのは避けたい。
(そうだ!買ったお菓子を彼に献上して口止めしよう。さぁ誰の子だ?)
……しかし彼の答えは意外だった。首を横に振り私の質問を否定する。
「僕は
神木。理事長と同じ苗字だ、それにその息子である親友とも。親友の名前は神木
(大河の弟? あいつに弟いたかな? 話なんて聞いたこと無いけど……)
万が一があっても困るので平常心を装い、笑顔で少年に尋ねた。
「ねぇ、もしかして龍巳君って、お兄ちゃん居る?」
「いないよ。一人っ子」
私の質問に簡潔に答えると彼は椅子に座り、絵を食い入るように見つめた。
(何者だろう? でも私の事を話さない様に約束を取り付けなくては!)
「そっか~龍巳君、生徒以外は勝手に学校に入っちゃダメだよ。あと、お姉さんのこと秘密にしてもらえるかな?」
「なんで?」
『私も勝手に学校に入っているからだよ』なんて言えない。私は精一杯明るく取り繕った。
「えっと、その……お姉さん幽霊だから」
我ながら痛い言い訳に後悔した。
「幽霊……。わかった、秘密にする」
「いいの!? ありがとう!」
「そのかわり、絵を教えてよ」
「は?」
交換条件を放ってきた。彼の口元はニヤニヤとしている。しかも絵を教えろって……
「トーカさん教えて?」
「なんで名前知ってるの!?」
動揺する私とは逆に、彼は冷静に私のカバンに付いたパスケースを指差す。
ぬいぐるみ状のケースがひっくり返り、裏面に入っている定期券が見えていた。そこには私のフルネームが書かれている。
(この子、
「教えてくれる? 僕、絵がヘタで図工の時間が辛いんだ。教えてくれたらトーカさんがスカート
図工の時間が辛いのは可哀そうと思ったけど、スカートの
お菓子で口止めしようにも交渉材料が弱すぎる。憎らしげに彼を見ると、余裕の笑みを返してきた。彼の条件を飲むしかない。心の中で歯ぎしりする。
「分かった、教える。でも夕方には帰るからね!」
正確には『他の文化部が帰る前に退散する』です。
「ありがとうトーカさん! よろしくね」
こうなればヤケである。
そんなこんなで、私と彼の夏の絵画教室が幕開けするのであった。
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