第34話 雨の中の襲撃
激しい雨が大地を叩きつける夜。暗闇に包まれた森の中では、連邦軍の兵士たちが静かに動き回り、夜襲の準備を進めていた。濡れた地面が足音を吸い込み、雨音が周囲の気配を掻き消す。この環境は、彼らにとって理想的な条件だった。
レオンは森の開けた一角で、濡れたマントを肩から外すと、周囲の兵士たちを見渡して声を張り上げた。
「雨は奴らにとって厄介だ。視界を奪い、足元を悪くする。この状況では、王国軍はその数の多さを活かせないだろう。だが、俺たちは違う」
レオンの言葉に、周囲の獣人兵士たちが真剣な表情で頷く。彼らは獣人特有の身体能力を持ち、特に夜行性の特性を活かす者が多い。
「この雨が、俺たちに有利に働く。奴らの目を奪い、森を盾にするんだ」
レオンはその場に立ち尽くす兵士たち一人一人に目を向けながら続けた。
「ここにいる全員の力が必要だ。牙と爪を存分に使い、奴らを混乱させるんだ」
雨の中、兵士たちの間に静かだが確かな意気込みが広がる。
獣人兵士たちは、それぞれ自分たちの得意分野を活かした準備を進めていた。雨で濡れた木々の間を、猫のように音もなく駆け抜ける者。爪を研ぎ、次々と刃物のような鋭さに仕上げていく者。彼らの中には、狼や豹を彷彿とさせる動きで森を駆け巡る者もいた。
「この雨なら気づかれることはないな」
若い兵士が小声で呟く。隣にいたベテランの兵士がその肩を叩き、低く笑う。
「そうだな。奴らが怯える顔が目に浮かぶぜ」
森の一角では、兵士たちが手入れした武器を整列させていた。牙や爪だけではなく、夜襲用の短剣や投げナイフも揃えられていた。その武器を見つめながら、颯太が静かに歩み寄る。
颯太は濡れたマントを肩に掛け直し、用意された短剣を手に取ると、鋭い刃をじっと見つめた。雨が刃先を伝い、地面に滴り落ちる。彼はその短剣に集中し、手をかざした。
「破傷風菌を仕込む。この菌が体内に入れば、傷口を通じて全身に広がり、筋肉を硬直させる。体は激しい痛みに耐えられず、最終的には呼吸すらできなくなる……」
『破傷風とは、細菌によって引き起こされる感染症。傷口を通じて体内に侵入し、神経系に影響を与える毒素を産生する。筋肉の硬直や痙攣、痛み、呼吸困難などの症状が現れ、症状が進行すると、呼吸筋の麻痺により命に関わる』
颯太の声は低く抑えられていたが、その言葉を聞いた兵士たちは思わず息を呑んだ。
「傷を負わせるだけで十分だ。殺す必要はない。奴らが苦しむ姿を見れば、それだけで恐怖が広がり、士気が崩壊する」
そう言いながら、颯太は短剣に手を滑らせ、破傷風の呪いを込めていく。刃が淡く光を帯びたように見えたのは、一瞬の出来事だった。
近くでその様子を見ていたレオンが低く唸った。
「さすがだな。これが連邦にとっての切り札になる」
颯太は短く頷いたが、その表情は冷静そのものだった。
「これで戦況を有利に進めることができるはずだ。ただ、使い方を間違えれば犠牲が増えるだけだ。気をつけてくれ」
レオンはその言葉に頷き、兵士たちに声をかけた。
「この武器を手にする者は、敵を恐れず前に出ろ。ただし、自分が傷を負うことは許されない。それがこの武器の使い方だ」
準備が整う中、沙織が颯太の元に歩み寄った。彼女は雨に濡れた髪を払いながら、不安げな表情を浮かべている。
「颯太、本当にこれでいいの?こんな方法でしか、戦えないの?」
颯太は沙織の問いに目を閉じ、一瞬だけ息を吐いた。そして目を開け、冷静な声で答える。
「戦争だ。正しい方法なんてない。これが最も効果的なんだ」
沙織は何かを言おうとしたが、その言葉を飲み込む。雨の音が二人の間を埋め尽くす中、颯太は小さく呟いた。
「俺たちが生き残るためには、これしかないんだ」
沙織は悔しそうに俯きながらも、彼の決意を受け止めるしかなかった。
武器に呪いを込め終えた颯太は、兵士たちの列に戻り、レオンに向かって頷いた。
「準備は完了だ」
レオンはその言葉を聞いて剣を抜き、静かに兵士たちに命令を下した。
「全員、配置につけ。雨は俺たちの味方だ。この機会を逃すな」
雨の中、連邦軍の獣人兵士たちは音もなく森の中へと消えていった。颯太はその背中を見送りながら、深い息をついた。自分のしたことが正しいのかどうか分からない。ただ、この戦いを終わらせるために必要だと信じるしかなかった。
闇と雨に包まれた森は、やがて連邦軍の静かな闘志を飲み込み、夜襲の舞台として動き出していくのだった。
雨の音が森を包み込む中、湿った地面の上で音を立てずに動くことができる連邦軍の兵士たちによる襲撃が始まった。
雨は、王国軍の視界をさらに遮っていた。重い雨雲が空を覆い、薄暗い森の中にうっすらとした光が漂っている。王国軍の兵士たちは疲れきっており、足元が滑りやすい中で、必死に防衛態勢を保っていた。しかし、彼らの目の前に迫る敵は、音もなく忍び寄る影のようだった。
「誰だ、後ろで動いている奴は!?」
ひときわ大きな声をあげた王国兵が振り返ると、目の前に姿を現したのは、獣人兵士たちの姿だった。獣人たちは、雨の中で一切音を立てずに動き、足音さえも吸収されてしまうような地面でさえ軽々と駆け抜けていた。
「だ、誰だ!? 駆け寄ってきた!?」
王国軍の兵士が声を荒げた瞬間、獣人兵士がその胸に鋭い爪を突き立てた。すぐに叫び声が上がるが、もう遅い。王国軍は突然の襲撃に翻弄され、士気が崩れ始めた。
「 どこからだ!?」
次々に獣人兵士たちが王国軍の防衛ラインを突破していく。爪と牙で敵を倒し、投げナイフで手近な兵士に傷をつける。王国軍は何もできずに圧倒されていた。
最初の数発が王国軍の兵士に命中した瞬間、呪いの効果が現れ始めた。最初の犠牲者がその異変を感じ取ったのは、体が急に重く感じたときだった。武器の傷口から細菌が体内に侵入し、筋肉が硬直し始める。
「うっ……!? 何だこれ!? 体が、動かない……!」
兵士は呻きながら、足を踏み出そうとするが、足腰が立たず、膝をついて倒れ込んだ。
「どうした、何が起きた!?」
その様子を見ていた仲間が駆け寄ろうとしたが、次の瞬間、彼もまた体に異変を感じ始めた。
「くっ、動かない!」
体が硬直し、足が前に出なくなった。仲間の兵士は次第に痛みにうめき声を上げ、顔を歪めていく。
「や、やめろ……! こんなところで動けなくなるなんて……!」
その兵士は最後の力を振り絞り、必死に呼吸を整えようとしたが、全身の痙攣が激しくなり、体が弓なりに反り返った。呼吸も浅くなり、うめき声が次第にかすれていった。
「敵の武器には呪いが込められている! どうすれば……!」
他の兵士が叫び、パニックが広がる。次々に倒れ込む兵士たち。その様子を見た者たちは恐怖に駆られ、手足が震え、動けなくなった。
その混乱の中で、王国軍は一時的に指揮系統が崩壊した。指揮官は兵士たちに叫びかけながら、敵に立ち向かおうとするが、次々と兵士が動けなくなり、倒れ込んでいく。まるで連鎖的に広がる症状に、王国軍は大きな混乱に陥った。
「どうしてこんなことに……?」
兵士たちはその痛みと恐怖に圧倒され、戦うこともできずにただ苦しみながら倒れていった。
「くそっ! こんなところで……死んでたまるか!」
ある兵士は震える手で剣を握り、立ち上がろうとするが、その姿勢が不自然で、すぐに体が弓なりに反り返る。
その光景を見ていた者たちは、戦うことすらできないという絶望的な状況に、恐怖と絶望を感じながら立ち尽くしていた。
奇襲の混乱が王国軍に広がる中、颯太とミレイアは速やかに行動を開始した。雨音が響き、暗闇に包まれた森の中で、二人は連邦軍の食料備蓄に忍び寄る。すでに王国軍の兵士たちが見つけた食料を手に取り始めているが、颯太の目にはその食物が次なる罠の一部であることが見えていた。
颯太はミレイアを見つめ、静かに話し始めた。
「負傷兵だけでなく、敵の全体戦力を削ぐ必要がある。これ以上無駄な犠牲を出すわけにはいかない。食料にギランバレー症候群を引き起こす原因菌を仕込むんだ」
『ギランバレー症候群は、自己免疫疾患の一種で、体内の免疫システムが誤って神経を攻撃することによって発症する。通常、感染後に急速に症状が現れ、最初は手足のしびれや筋力低下から始まり、進行すると全身の筋肉が麻痺し、呼吸困難や心臓の異常を引き起こすこともある』
ミレイアは目を見開き、頷いた。彼女はその言葉の意味を理解し、少しだけ心を痛めたが、作戦の重要性もまた理解していた。
「それは、かなり危険な方法ね。食料を汚すことで、兵士たちが力を失ってしまう。でも、確かに連邦を守るためには、これしかないわね」
颯太は言葉を続けた。
「敵の兵力を削ぐためには、兵士たちの体力を奪うことが一番だ。そして弱った兵士の姿を見せて敵の士気をそぐ。」
二人は王国軍の食料備蓄所に到着し、周囲を確認した。暗闇の中で、何も見落とさないように注意を払う。ミレイアが植物の力を借りて、わずかな目撃者の視線を遮るために周囲の木々を動かす。
「完了したわ。今、周囲の見張りからは完全に隠れている」
ミレイアの言葉に颯太は静かに頷き、次の作業に移る。
彼は手元に準備した菌を取り出し、慎重に食料の一部にそれを仕込んだ。包みを開け、少しずつ、そして確実にギランバレー症候群を引き起こす原因菌を注入していく。その過程で、彼は何度も手袋を使い、菌が他の食料に拡散しないように注意深く作業を続けた。
「これで完了だ。後は、敵の兵士がこれを食べれば、数日内に体力を奪われ、動けなくなるだろう。恐怖が蔓延し、王国軍の士気を削ぐことができる」
ミレイアはその様子を見守りながら、静かに呟いた。
「本当に、これでいいのかしら?」
颯太は目を閉じ、深く息を吐いた。
「戦争において、正義などはない。これは生き残るための手段だ。勝つためには、相手の戦力を削るしかない」
そして、二人は食料を元の場所に戻し、目立たないようにその場を後にした。
王国軍は奇襲を受けた後、次第にその体力を失っていった。負傷兵たちは命からがら食料を手にし、体力を回復しようとしたが、数日後、その食料に含まれていた原因菌の影響で、次々と異変が現れ始めた。
最初に症状が現れたのは、食事を摂った兵士たちだった。彼らはしばらくしてから、身体が重く感じるようになり、動くことすらできなくなった。数時間も経たないうちに、兵士たちは歩けなくなり、完全に無力化されていった。
「動け、動けよ……」
彼らの体は次第に麻痺し、筋肉が萎縮して動かなくなった。顔には恐怖の色が浮かび、呼吸が浅くなり、ついにはその場に倒れ込む者たちが続出した。
「何が起きているんだ……!?」
兵士たちが混乱し、苦しみながら呻き声を上げる中、指揮官はその症状に驚き、兵士たちに指示を出すが、誰も動けない。
その後、さらなる悲劇が続いた。次に発症した兵士たちは、まるで全身が引き裂かれるような痛みを感じながら、何もできずに絶望的な姿勢で苦しんだ。顔が青白くなり、体が弓なりに反り返る。彼らは何度も息を詰まらせ、身体を痙攣させながらも、回復の兆しすら見えなかった。
「こ、これは……呪いだ……!」
恐怖の中、兵士たちは次々に「呪い」の言葉を口にした。それが真実かどうかは分からなかったが、彼らの心は疑念に満ちていた。
「これでは勝てない……」
王国軍の兵士たちは次第に戦意を失い、動けなくなる者たちを見守ることしかできなくなった。指揮官は何度も兵士たちを激励しようとしたが、その声も空しく響くだけだった。
「何が起きている、どうして止められない!?」
指揮官は怒りに震えながら、動けない兵士たちを見つめた。彼の叫びも、誰も答えることはなかった。兵士たちの目は恐怖と絶望に満ち、全身を硬直させていく者も多かった。
その後、兵士たちの間で「呪い」の噂が広がり始めた。連邦軍が仕掛けた呪いによって、体が動かなくなるのだという話が、王国軍の中に深刻な不安を生じさせた。
「呪いだ……呪いだ!」
恐怖と混乱が広がる中で、王国軍の士気は完全に崩壊していった。兵士たちは無力感に包まれ、戦うことを諦めていく。最終的に、王国軍はその戦力の大部分を失い、撤退を余儀なくされた。
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