呪われた医師
第1話 誓いと無力
病院の夜は静寂に包まれていた。夜勤の看護師たちの足音が廊下でかすかに響く中、篠宮颯太は桜井翔太の病室に向かって歩いていた。足音だけが、夜の病院の中で彼を包み込む唯一の音だった。その歩みは、決して速くもなく遅くもなく、どこかしら重いものを背負っているように感じられた。
病室に入ると、翔太はいつものようにベッドで横になっていた。心電図の機械がリズムよくピピッと音を立て、その度に颯太は胸が締めつけられる思いを覚える。翔太の顔には、昨日よりも少しだけ痩せたように見える痕跡があった。長く病床に伏せていたせいか、顔の色も良くない。けれど、それでも翔太は、まだ目を開けて颯太に向かって微笑んでいた。
「先生、来てくれたんですね」
「もちろんだよ。君が待ってると思ったからね」
颯太は静かに言って、翔太の手を取る。冷たい手のひらに触れるたびに、彼は息を呑む。翔太の命が、今にも消えかけているように感じられるからだ。
「翔太君、調子はどうだ?」
「……相変わらず、あんまり良くないけど、先生が来てくれたから元気出たよ」
翔太は弱々しい声で言ったが、その目には深い信頼が宿っていた。頑張って笑おうとするその表情に、颯太は胸が痛む。翔太にとって、颯太はただの医師ではない。彼にとっての希望であり、唯一の頼みの綱だった。しかし、颯太はその期待に応えることができるのか、日に日に自信を失い始めていた。
「翔太君、君を助けるために全力を尽くしている。でも、僕の力だけではどうしても限界があるんだ。もし、君がもう少しでも回復できる方法があったら、どんな手を使ってでも試してみるよ」
颯太はその言葉を口にすることに、思わずためらいを感じた。誠実に語るつもりだったが、その裏で感じる無力感が言葉を鈍らせる。翔太の病気が進行していくのを目の当たりにする度に、彼は自分が無力であることを痛感していた。
翔太の手は冷たくなっていき、彼の体力も次第に失われていった。進行性麻痺性筋萎縮症という病気は、筋肉を徐々に奪い、最後には命を蝕んでいく。翔太が小さな声で話す度に、颯太はその命の灯火が消えていくのを感じていた。
「先生……僕、治るんだよね?」
翔太の問いかけに、颯太は言葉を詰まらせた。治る、という言葉を信じ続けてきた。だが、次第にその言葉が現実味を帯びなくなってきていた。病気の進行はあまりにも早く、翔太の体は日に日に衰えていった。
「もちろんだよ。君を治すって、僕は約束したんだ。だから、絶対に治すよ」
颯太は無理に笑顔を作り、その手を握りしめた。しかし、内心ではその約束を守れないのではないかという恐怖が、次第に大きくなっていった。
その後、翔太は少しだけ目を閉じて、静かに眠りについた。颯太はその顔を見つめながら、何度も何度も心の中で誓った。
「君を助けるために、必ず全力を尽くす……必ず、君を治すから」
だが、翔太の体調は悪化の一途をたどり、颯太はその言葉を守れない現実に直面し続けた。全力を尽くしても、翔太を救うことができない自分が、医者としての誓いを破っているように感じられた。
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翔太の容体が悪化していく中、颯太の心と体も徐々に壊れかけていた。病院内では他の患者たちの治療にも追われ、時折、翔太のことを考える暇もなかった。だが、どれだけ忙しくしていても、翔太のことが頭を離れなかった。
「先生、また手術が入ります」
「わかりました」
颯太は疲れ切った顔で答え、また一つ仕事をこなす。しかし、心の中では翔太の顔がちらつき、胸が痛む。彼の病気を治せない自分を、どうしても受け入れられなかった。
手術室に入ると、颯太は一瞬だけ深呼吸をしてから、手術を開始する。周囲の看護師たちは、颯太が必死に集中しようとする姿を見ている。だが、彼は気づかれていることに気づかない。毎日のように続く手術や診察の合間に、彼は自分の限界を感じていた。
翔太を助けるためには、もっと早く回復法を見つけなければならない。しかし、そのためにどれだけ多くの命を犠牲にしているのか、颯太にはそれがわからなくなりつつあった。
「次、また何か手を打たなければ……」
だが、体は疲れきっていた。頭はぼんやりし、視界がかすむことも増えてきていた。夜、病院の屋上で星を見上げる颯太は、胸の中に閉じ込めた悔しさと無力感に耐えきれず、涙が流れた。
「なぜ、私は翔太を救えないのか。どうして……」
その問いかけは、答えの出ないまま空に消えていった。
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ここまでお読みいただき、ありがとうございます。もしこの作品を楽しんでいただけたなら、ぜひ評価とコメントをいただけると嬉しいです。今後もさらに面白い物語をお届けできるよう努力してまいりますので、引き続き応援いただければと思います。よろしくお願いいたします。
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