春過ぎて、白妙の

 ミッション系の中高一貫校にも信心深い生徒ばかりじゃなく、むしろそういった生徒を探すほうが難しいといえる。

 かくいう私も宗教のしの字もない生活を送ってきたし、家もどちらかといえば一般的な仏教信仰。正しい十字の切り方すら知らないまま中等部の入学を果たせたのだから、まあ許容されているのだろう。

 週一の礼拝と、宗教講話(要は名前を変えた道徳)の単位さえ取得すれば不思議、どんな人間も在学生兼信奉者にはなれるらしい。どこかイスラム教圏の風俗店に似ている。利用者がまず入信するやつ。


 正直、偏差値に無理がなく家からさほど離れていないエスカレーター私立校というだけで選んだのであって、たとえそれが浄土真宗でもイスラム教系でも別に良かったし、近年絶滅危惧傾向にある女子校だったのもたまたまだった。男子校でなかったのは幸いだった。

 強いて言うなら生徒数が多く、それでいて自由な校風なのは良いと思う。

 比較的新しく設立されたせいか校則もさほど厳しくなく、どうやら高等部では髪も染めていいらしい。派手な髪色も大丈夫かは知らないが、敷地内では何度か茶髪の生徒が歩いているのを見かけた。


 入学からキャンプ行事、中間試験が嵐のように過ぎ去った。まだ丈の長いセーラー服が肌馴染んで来たにも関わらず、無常にも衣替えによって身ぐるみを剥がされた頃には、私は私立凪端なぎはた女学校中等部一年として早二ヶ月——六月後半になっていた。

 月の頭に行われた中間試験も終わり、どの教科もとうに返却されて手元にある。赤点を取ったらば今頃再試験の対策に追われる毎日を過ごすのだろうけど、幸運にも逃れた暁には、目立つイベントもないし。

 この慌ただしくも二度と戻らない日々を反芻し、海、プール、BBQ、二度目の海だの時期尚早ながら来たる夏休みに思いを馳せる会話らを横耳に、毎日を惰性で過ごすはずだったのだけど——本当は、当初の考えでは六月どころかそのまま中等部、高等部に至るまでこのままだと半ば諦めていたけど。



 一年馬酔木あせび組(伝統かなんだか知らないが、いちいち試験で書くのが面倒なので早急にナンバリング方式へ変えるべき)の横田なる中年女担任は、学年主任に似つかわしくいつも八時二十分ピッタリに教室につきHRを始める。で、連絡事項や注意事項をつらつら述べたのち、最近は急に蒸し暑くなったとか私生活がどうとかのたいして耳に居住せず通過していくトークタイムが挟まり、HRが終わる。

 これが水曜なら今どき冷房のない講堂で礼拝に赴かなくてはいけない最悪の朝なのだが、今日は月曜日なので心配はいらない。最後列の席順を存分に活かして体を机にもたげて睡眠の体勢に入ろうとすると、改まった担任がうやうやしく

「今日から新しいクラスの仲間が増えます」

 と発する。

 それは転入生を示す台詞セリフだった。

 台詞セリフはそこらの新任教師よりもクラスから喋り声を奪う効力があったようで、教室は一瞬の完全な静寂のあとにざわっと色めき立つ。いつの時代も転校生の登場は一大イベントだし、ましてや一学期も中盤になったころの変な時期だから絶好の盛り上がりも無理はない、さりとて私は体をもたげるまでの好奇心はないので、机に突っ伏したまま斜めから斜めから担任が消えていった教室のドアに視線だけやる——自分でも、斜に構えてるのは理解しているよ。


 体は、すぐ持ち上げることになった。

 クラスメイトの隙間からだけでは事態を把握できなかったから。

 それはクラスメイトも同じだったようで、担任が例の台詞セリフなぞ言わずとも再び静まり返り、今度はそうそう再開しなかった。集団の会話が途切れて皆黙り込む瞬間を『天使が通る』と言うらしいけれど、まさに現状を表している。で。

 ともかく、沈黙の空間では遮るものがなかったから、余計自己紹介の声がよく通る。鈴がなったような——違う。そこまで甲高くはない。低過ぎもしない。澄んだ声。たとえ教室内がうるさくても聞き取れそうな綺麗な声が、より際立っていた。

 しかしその日の放課後に声についてはおろか、ぱっちり二重のくりくりとした目がかわいい子だとか、反して担任がコツコツと小気味よい音で黒板に書き綴った名前が存外男らしい名前だったことだとか、いわゆる〝その他〟に関しての噂はどれも出回らなかったと思う。出回ったのは一つの話題だけ。


 別な情報すべてを打ち消すまでの。

 黒板とのコントラストが目に痛いくらいの、真っ白なショートカットを今でも覚えている。




「山田第一中から来ました、真藤しんどうこてつです。よろしくお願いします」




 髪色で全員の目線を奪った転校生——真藤こてつは、その透き通った声のまま、


「好きな食べ物は夏野菜と納豆、苦手な食べ物はかた焼きそば!趣味はお菓子作りとランニングで特技は体力テスト科目全般、シャトルラン以外!彼氏も彼女もいっさいいません!前の学校ではこてっちゃんって呼ばれてたけど、どう呼んでくれても大歓迎!とりま三年間——あ、一貫だから六年?まあいいか。よろしくお願いしまーす」


 と、でかい声で自己紹介をした。弾丸を思わせるなんたるスピード感。

 威勢があるんだかないんだか、元気のいいダウナー系とでも言うべきか。それはなんていうジャンルの人種なのか。声の印象からかけ離れたギャップはともかく、通る声に大音量が加わるとしばらく耳に居座って離れないんだ。知らなかった。

 転校生はもう終わりましたけどと言いたげに担任に目配せをすると、担任も眼鏡越しに『え?』という顔をした。おそらくは担任だけじゃなく、教室中誰もが同じ疑問をいだいていただろう。もれなく私もこう思った。その髪についての説明ナシ?

 自己紹介に対して反応もないうえクラス全員が自分を凝視していることについて気付いた彼女は、自分が盛大にスベったと勘違いして恥ずかしくなったのか、顔を赤くして気まずそうに「うへへ」と間の抜けた笑い声を漏らした。

 違う、そうじゃない。



 先天性眼皮膚白皮症アルビノ

 彼女が患っている病気の名前だった。場のバトンを委任された担任が変わって説明を始めた担任によると髪と肌の色だけじゃなく視力にも難があり、加えて紫外線への耐性も弱いらしい。だから学校生活で困っていることがあったら助けてあげてほしいと演説した。担任も病気というパーソナルな問題だから本人が話したほうがよいだろうと気を遣っていたのかもしれない。

 気を遣われた当の本人は教室をぐるりと一瞥してから——それでもまだ終わらない演説をちょっといたたまれなくなったようすでそわそわと待っている。メガネキャラなにしては熱い心を持つ担任は、学年集会さながらに話を端折るという行為を知らない。

 ともかく転入生の正体が校則が通じないヤンキーじゃなかったことがわかってか、好意的なざわめきがそこかしこから復活する。現金だなあ。みんなで支えていきましょう!と担任が好みそうな熱血論に拍手喝采ののち、ひとまずは区切りとして転入生の儀式は終了を迎えた。



 ちなみに。

 これが漫画や小説の世界だったなら、転校生の席が自分の隣の空き机なり、ひょっとすると校内探索なんかを任される一連の流れが待っていそうなものだけど、当然ながら現実は違っていた——実のところ最後列である私の隣は空き机だったからリーチではあったんだけど——視力に難がある彼女は、最前列の生徒一人と入れ替わる形で黒板が一番見やすい席の住人になった。

 一方、弾かれたピンの要領で私の隣に配属を命じられたクラスメイトは、ひどく恐縮そうな表情を浮かべると、浅い浅い会釈をしてそのまま二度と目が合うことはなかった。私のことが嫌いだろう彼女には、今後の授業で教科書を忘れることがないように祈っておく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る