落ちこぼれ聖女の私が、わんこ系大魔法使いの最愛でした。

槙村まき

第一章 大魔法使いの最愛①


「大変!」


 神殿には本殿と複数の離宮がある。

 本殿には神の遺物が祀られており、そこに住むことはたとえ大神官だろうと許されてはいない。

 だから変わりに本殿の近くに、神官や小間使い、それから《聖女》が暮らすための離宮が設けられている。


 その内のひとつ、聖女たちの住まう聖女宮へと向かう途中にある中庭を横切っていると、視界の隅に黒いものが転がっていた。

 それが気になり近寄ったレベッカは、驚いて声を出すと同時に、その黒いものを抱きかかえた。


「大変っ、犬だわ。……生きているかな?」


 そっと顔を寄せると、吐息を感じる。


「うっ。なに、この臭い」


 黒い犬の体を少し離すと匂いは和らいだ。どうやらこの犬の匂いらしい。

 もしかしたら泥水にでも浸かったのかもしれない。

 弱っているから先にミルクでもあげたいけれど、このまま厨房に連れて行っても汚いと突き返されるだけだろう。


「とりあえず洗いましょう」


 中庭には水汲み場がある。ここでは日々、神殿に勤務する小間使いの人たちが洗濯をしている。

 立てかけてある桶に、一杯の水を汲むと、そこに黒い犬を入れた。

 《魔道具》によりここの水は人肌ほどの温度に保たれている。犬も寒くはないだろう。

 水は一瞬で黒く濁った。水を汲み直して再び犬を洗っていると、驚くことに毛の色が変わっていく。


「あなた、黒い犬じゃなかったんだ」


 黒いと思っていたのは泥などの汚れで、本来の色は全然違った。

 黒い汚れが落ちて白くなったと思ったら、その毛が夕陽に反射してキラキラと輝いている。


「白っていうよりも、銀色? 綺麗な色ね。銀色の犬なんて初めて見たわ」


 タオルで銀色の犬を包むと、レベッカは聖女宮にある厨房に向かって走り出した。


 銀色の犬の前に、厨房でいただいたミルクの器を置くと、スンスンと訝し気な様子で周囲を見渡しながらも、チロリと舌を出して飲み始めた。


(目も銀色なのね。……綺麗)


 なぜかチラチラと視線を感じるけれど、銀色の犬はすぐにミルクを平らげてしまった。よほどお腹が空いていたらしい。

 器を厨房に返してお礼を言うと、再び犬を抱える。


「ん?」


 ミルクを飲んだばかりだからなんだろうか、すこし重みが増したような……。それに一回り大きくなったような気さえする。


(気のせいよね。そんなことよりも、この子の飼い主さんを探さないと)


 犬にしては珍しい銀色の毛並みや、首に付けられている小さな宝石のネックレスから察するに、この犬は貴族の飼い犬だろう。どうして貴族の飼い犬が神殿に紛れ込んでいるのかはわからないけれど、きっと飼い主が捜しているはずだ。


 聖女宮から再び本殿に向かう。本殿には魔法使いをはじめとして日々様々な人が訪れる。訪れる人の中には貴族も多く、神官に声を掛けたらこの犬の飼い主のことが何かわかるかもしれない。

 もう夕方だったが、夕飯の時間まではまだ少しある。だから本殿に向かう通路を歩いていたのだが、前から歩いてきた二人組の聖女に気づき、レベッカは思わず眉を顰めてしまった。いま最も会いたくない二人組だ。貴族出身の聖女ということ以外名前すら知らないので、心の中で縦ロールとピンク頭と呼んでいる。


「あら、落ちこぼれさん。……いいえ、レベッカさんよね。本殿にどんな用がありますの?」


 その瞳からはあなたが本殿に用なんてあるわけがないでしょうという気持ちが透けて見える。

 ぐっと息を飲み込み、レベッカは笑顔が消えないようにして答える。


「迷い犬を見つけたので、神官様に報告しに行くところです」

「あら、そうなの? それにしてももう夕方だけれど、聖女としてのお勤めはどうされたのかしら?」

「それは先程済ませたところです」


 神殿で暮らす聖女は、一日に一回は神に祈りを捧げることを義務付けられている。

 これにより聖女としての力――神聖力を失わないようにするためだ。

 そのため神聖力の多い順から礼拝室にこもり、数分間神に祈りを捧げることになっている。

 神聖力が劣っている、落ちこぼれであるレベッカの順番は最後だった。


「あら、そうですの。あまりにも遅いお勤めですのね」

「ふふ。そんなこと言ったら可哀想ですわ。だって、レベッカさんは――」

「そういえばそうでしたわね。レベッカさんは――」


 顔を見合わせてうふふと笑う縦ロールとピンク頭。

 彼女たち――いや、この神殿に努めるものであれば誰もが知っているのだけれど、レベッカの神聖力は底辺で、聖女としての力もほとんど持っていない。


 だけど五年前――十歳の頃は違った。あの頃のレベッカは将来を有望された聖女だった。

 この国の女性は、平民や貴族関係なく、十歳になると神聖力検査を受けることが義務付けられている。

 その神聖力検査で、水晶玉を一番明るく光らせたのがレベッカだった。

 聖女として神殿にやってきた五年前のレベッカは、朝一に礼拝堂でお祈りをするほど、桁外れた神聖力を持っていた。


 ――それなのに、数か月後にはすっかり神聖力は雀の涙ほどになってしまった。

 どうしてなのかはいまだに分かっていない。

 わかっていることは、神聖力をほとんど失ってしまったレベッカはこの神殿の厄介者になり、影で落ちこぼれだの寄生虫だのと呼ばれることになったこと。それから一番目から最後になってしまったことだけ。


 いまだに朝一で礼拝をしていた時を懐かしく思い出す。朝一に礼拝をすると、眠気が吹っ飛ぶほど頭の中か澄み渡る心地よさに浸ることができた。

 それをまた感じたくて、神聖力を失ってからも、何度も何度も礼拝室でお祈りをした。神聖力が戻りますように。またあの心地よさを感じたかったから。


 だけどあれから五年経ったいまも、神聖力は戻ってきていない。

 優しかった神官たちも顔を険しくさせて、いまでは冷たい目で見てくるだけだ。なかには優しい神官もいるけれど、ほとんどんの神殿関係者はレベッカを厄介者扱いしたり、不憫そうに見てくるだけだった。


 縦ロールとピンク頭がこれ見よがしに、レベッカに視線を向けながらクスクスと笑っている。それに居たたまれなさを覚えた時、腕の中で銀色の犬がもぞもぞ動いた。

 さっきまで大人しかった犬が、突然暴れ出してレベッカの腕から飛び出していく。

 

「あ、駄目よ」


 銀色の犬は縦ロールとピンク頭に一直線に向かうと、レベッカの制止を聞くことなく頭から突進してしまった。

 鳩尾に衝撃を受けた縦ロールがしゃがみ込むと、その頭に飛び乗りその勢いのままピンク頭に膝蹴りをするように飛びかかる。その犬の足は聖女の頬にぶち当たった。


「わわわわ」


 地面に着地した銀色の犬は、達成感のある顔をレベッカに向けた。

 レベッカは呆然としていたが、我に返ると、銀色の犬を抱えてその場から駆けだした。


「犬が、すみませーん!」


 二人のことは憐れに想うけれど、ネチネチ嫌味を言われるのも億劫だったので、これはこれで晴れやかな気分かもしれない。

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