第2話 「ヴィラン」 に参加

タイトル 「悪役の矜持」    ジャンル ファンタジー



「追い詰めたぞ……」


私のもとには、刃を携えた勇者が幽鬼のようにふらふらと近寄ってくる。


その刃は鋭くギラリとした銀色で、抵抗しようにももう私は力尽きていた。


「死ね、極悪人……」


そういわれて、ああ、確かに私は悪人だと思案した。


こうして倒されるのも、また宿命なのだろう。


思えば私は、最初から道を踏み外していた。父に殴られ母にぶたれ、それでも愛してほしいと大人に縋った。生きているのが不思議なほど満身創痍で立ち寄った深夜の商店。そこの旦那が私を拾い育ててくれた。


旦那は厳しくていい人だった。賄いが美味かったし寝床は暖かかった。けれど善人は踏みにじられるのが世の常だ。ある時商店は潰された。旦那は酒に溺れるようにして亡くなった。飲んだくれになってしまったと言うのではない。文字通り、酒樽に詰め込まれたのだ。まるで酒になる前の麦芽のように。中に酒や何かが入っていたのか、私は知らない。知っているのは、その樽は旦那が入った数秒後にぐちゃぐちゃと音をたてて潰れたということだ。


旦那の店にやってきたのはとある組織の人間だった。新しい施設を建てるのに、旦那の店が邪魔だったのだと笑っていた。その時何の力もなく、少年だった私は店が壊れていくのをただ茫然と見るしかない。そのうち組織の一人が私に気づいて、こう声をかけてきた。


「おい、坊主。お前、この店の下働きか?」


「そうだといったらどうなるんだ。」


「ああ、それならうちに来い。今人員が減ったばかりでな、子供でもなんでもいいから人が足りてねえんだ。住む場所も食い物もそれなりにやるし、悪い話じゃないだろう?うちのボスはお優しいから、路頭に迷う子供たちは拾って来いとのお達しなんだよ。……で、どうだ、来るか?」


私はうなずいた。旦那の復讐をするには、とにかく生きねばならなかった。旦那の入っていた酒樽にそっと目礼して、私は組織の下働き、つまり特攻隊員として参入したのだ。


慣れない大きな武具を担いで、死ぬ気で生きた。毎日毎日死と隣り合わせの状況で、平気で仲間も上司も囮にして生きながらえた。周りは全員私の命の為の糧だと思っていた。そうでもしなければ精神が狂う。自責の念に駆られて死んだ奴は一人や二人じゃない。数えきれないほどいた。そういう世界だ。


私はただ、死にたくなかった。


そうしているうち、戦場で生き残り続けた私は強くなっていた。弱いものを淘汰していったら、いつの間にか私は組織の親玉だった。部下を死にに行かせ、自身も死ぬ気で戦場に行って、抗争ばかり起こしてはテリトリーを広げた。金も力も女も、美味い食事も暖かな部屋も美酒も、全てが我が手の内。毎日気分よく酔うまで酒を飲んで女を抱いて、遊んで暮らした。たまに感覚を確かめるように赴く戦場では、私の手で簡単に人が死んでいく。殺人鬼らしい快楽も確かに感じていた。


ただ虚しかった。


なあ、旦那。私は間違っていたのだろう、しかしどこで間違えたのか私にはわからない。旦那を殺したやつは全員最初に殺した。あんな非道な行いをした人間を片っ端から潰して殺して回った。あの時店にいた構成員、そいつらに命令した上司、そのまた上司、そのまた上司の幹部、幹部の上司のボス。全部旦那と同じ方法で地獄送りにしてやった。それでもなお、私は殺しがやめられなかった。やめたら、立ち止まったら、どうにかなってしまいそうだった。


ああ、本当に、どこで私は間違えたのだろうか、なあ、旦那。


旦那が酒に酔うと話したあの冒険譚を、ふと回想する。


『……こうして勇者は悪の王を倒して平和を勝ち取った。』


『ねえ、オヤジ。どうして勇者は人を殺したのに褒められるの?』


『おもしれえこと言うじゃねえか、坊主。』


そう言って、乱暴に優しく髪をかき乱す旦那の手が、懐かしくなった。華々しく人々に祝福されて、もてはやされて。何万もの敵軍を、同じ人間を殺した勇者はそうして英雄となる。幼い私はそれが不思議で仕方なかった。人殺しは人殺しだ。たくさん殺せば殺すほど罪深く、やってはいけないことをしている犯罪者。


『なあ、坊主。正義ってな、怖いんだぞ。』


『どうして?正義はかっこいいよ?』


『ああ、そうだろうな。正義に守られる側からしたら、かっこいいだろうよ。』


そのあと旦那は、ぽつぽつとこんな話をしてくれた。


『どこかの英雄が死に際に残した言葉がな、この世の心理だと俺は思ってる。その英雄は戦場で生まれた英雄だった。戦闘に立って軍を指揮して、自分も戦場に行って数多の強敵を倒した。そうやって、英雄のいた国は平和になった。平和を手に入れた当初英雄は自身の行いを誇りに思った。俺はなんてすばらしい贈り物を、祖国に返せたのだろう、ってな。


でも、その後英雄は自分の行いを悔いた。自分が勝ったということは、誰かが負けたということだ。英雄が打ち倒したことで占領された多くの国の民は、何の罪もないのに捕虜となった。あるものは危険な鉱山へ、あるものは過酷な辺境の地へ、労働させられるために送られた。狭い列車にすし詰めになって、死ぬまで働くために異国に行くんだ。その残酷さ、非道さに、英雄は目眩がしたそうだ。


英雄は言った。


俺がしたことは、正義の革を被った別の何かだ。それが何かわからないのが、俺にとって一番恐ろしいことだ。正義の為と掲げた剣も、張り上げた声も、未来へ進むため纏った鎧も、その全てが血に塗れて汚れた代物だ。俺はただ、独りよがりを叫んでいたに過ぎない。悪だと断じたものは、別の正義だったに違いない。正義とは一つではなかったのだ。俺の正義、他者の正義、奴隷となった者たちの正義、それらをひとまとめに戦わせ、俺の正義が勝ったに過ぎない。他の正義を打ち倒した正義だけが、後世に正義と謳われる。


それを聞いて、俺も恐ろしいと思ったよ。だってよ、正義って信じられるものだと今まで疑わずに生きてきたんだ。英雄が言うことは正しく、冒険譚は憧れるもの。そう信じて生きてきたのに、それは間違いだった。


なあ、坊主、正義ってな、悪なんだ。』


それを聞いて、幼心に腑に落ちたのだ。ああ、この世とはなんとままならないのだろう。そしてこうも思った。私を愛さなかった父や母にとって、子供に手をあげるというのはきっと、正義であったのだろうと。


だから私にも、私の正義があったっていいはずだ。


「さあ、来るがよい、勇者よ。」


もはや立っているのもやっとな足を、躰を叱咤して、大きく両手を広げる。


「私は私の信じることを成した。たとえそれが悪だと言われ、ここで途絶える運命さだめの道だとしても!私が思う正義は、決して貴様の剣には屈しない!」


「黙れ!戯言を抜かすな!お前のせいで何人も、大切な仲間が死んだ!無辜の民が死んでいった!大勢だ!それが正義であるものか!成すべきことであるものか!」


「何とでも言うがいい!私の手のものも大勢死んだ!私を支えた右腕も、私を慕ったかつての同胞も!皆、皆死んだ!それは何故だ?貴様が殺したからだ!私の信念が正義でないと言うのなら!私の正義を信じてくれた者たちを大勢切って捨てた貴様の剣もまた、正義だなどと宣うな!」


「っ黙れ、黙れ、黙れ!正しいのは僕だ!世に認められ、暗躍する必要もなく、みんなに必要とされている!僕の剣が、正義なんだ!」


迷うように切っ先がぶれている勇者の剣を、私は掴んだ。幾たびもの戦いですっかり傷の増えた手に、新しく鮮血が散る。痛みなどどうでもいい。


「貴様のそれが、時代に合っていただけのこと。私はまだ死んでいない!迷うな、惑うな、それでも貴様は正義を信じているとほざくのか!戯けが!」


「う、あああああああ!!」


がむしゃらに振られる、鈍く輝く銀色。先ほどまでの精彩を欠く動きをするそれを、躱しながら思案する。この体はまだ動く。まだ正義のぶつけ合いができる。会話した間の時間もあり、少しは動ける力が回復した。


まだ、やれる。


私が振りぬいたレイピアと勇者の剣が散らした火花が、再戦の合図となった。


「うるさいうるさいうるさい!悪者のくせに、罪人のくせに、偉そうに言いやがってふざけるな!」


勇者の剣と、私のレイピアが火花を散らす。互いに満身創痍、刃はぼろぼろだ。一瞬のうちに二回、三回と切り結び、間合いを取って離れてはまた激しく打ち合う。一撃を相手に入れる、それだけを考えて互いに武器を握りなおす。


羽織ったマントは幾たびも切られ、勇者の装備もまた、傷が目立つ。肉体の限界はとうに超えており、精神力だけで勝敗のわからない戦いは続けられていく。


ああ、愉しい。


信じた信念を、己が正義を、そしてそれを共に追いかけてくれる同胞を守るために振るうレイピアはどこまでも鋭くなれる。命を懸け、心を懸け、自分の全てに変えても守りたいものの為に、私は今、戦っている。


その全能感も、その高揚も。その全てが楽しくて愉しくて仕方がない。


必死な顔の勇者を見る。勇者はたった一人だ。ここまで来るために、仲間を見捨て切り捨て置いてきたのだ、無理もない。同じように、私も一人だ。でも私には、きっと勇者を退けると信じて待つ同胞が大勢いる。それは組織の部下であったり、天に昇った旦那だったり、かつての幼い私だったり、とにかく大勢いる。


私は一人ではない。


「悪が孤高だと侮るな!私は、私を信じるものをすべての正義から守るため、負けられないのだ!」


そう叫んだ時、勇者が振りかぶった剣の隙が見えた。振りぬこうとする剣の位置、腕の角度、足運び、胴体の捻り具合。


潜り込める!


そう信じて、一歩勇者の懐に入り、レイピアを突き刺した。よく手に馴染んだ、肉を裂いて骨を突く感触がする。そのまま腕を押し出すと、ふっと刺した感触が消えた。


勇者は心臓を貫かれた。敗北したのだ。


血を吐いて頽れた勇者の手元から、剣を蹴り飛ばす。


「ふざけるな、こんなはずはないんだ、僕が正しくて、僕が勝つはずなんだ!」


死に瀕してなおそんな戯言を抜かす勇者に、トドメの一言を言ってやる。


「お前の正義が悪であっただけの話だ。」


私は勇者を尻目に、半壊した本拠地を後にした。これから療養と、壊れた拠点を変える指示、同胞の救出、やるべきことが山のように待っている。


なあ、旦那。人殺しにも、悪役にも、矜持があっていいだろうか。


『きっと、いいさ。』


そうか。なら、にも誇りと信念があると、生き様で見せつけてやろう。


それが私の、悪としての矜持だ。





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