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鉄 百合 (くろがね ゆり)
第1話 私の短歌で物語を綴ってください に参加
選ばせていただいたもの
令和4(2022)年5月27日
お題240『青色の恋』-「青色」-1:始まり
一目見て
ゆっくりゆっくり
好きになる
青から赤へ
初めての恋
タイトル「初恋」 ジャンル ラブコメ
私は、恋をした。
彼は素敵な人だ。惚れた欲目を抜きにしたってそう思う。精悍な横顔、バスケをする真剣な顔、無邪気な笑みも。私と話すとき、しっかり目を合わせるところ。ノートを忘れたらレポート用紙かルーズリーフをそっとくれるところ。わからない問題を親身になって教えてくれるところ。一緒にお弁当を食べてくれるところ。優しくて性格もよくて、頭もよくて部活のレギュラーで、とにかく綺麗な、素敵な人だ。
そんな彼には、思い人がいる。
彼がその人の話をするとき、色白の頬が少し赤くなる。いつもは合う目線がそらされて、それだけで、ああ照れてるんだってわかる。
彼が話してくれるその人も、素敵な人だ。男女問わず友達がいて、ダンス部。少し長めの髪から、マリン系の爽やかな香りがしている。頭がよくて、優しさもあるけど少し不器用な思いやりがたどたどしい、らしい。話し方や見た目も可愛いんだと、彼は目を細めて言う。いつも長いまつげに縁どられた目がふんわり弧を描くときは、私ではない誰かに微笑んでいる。
私は彼の思い人の名前を知らない。きっと会ったことすらないし、どうせ私はその人に敵わない。頭は悪いし、性格も根暗で引っ込み思案。少々あがり症で、ぼそぼそと話してしまうし、伸ばしている髪はいつもシンプルな一つ結び。彼の好みじゃない。全然。これっぽっちも、かすってすらいない。それが惨めで悲しくて、その時にようやく私は、彼が好きなんだと気づいた。
初恋だった。
何度も勘違いだと思おうとした。きっと少ない友達への友愛だと。でも、やっぱりごまかせなかった。彼が笑いかける人に嫉妬するし、彼のことをいつの間にか探している。目が合ったら嬉しいし、彼のくれたレポート用紙も彼が書いた問題の解説も全部宝物。チケットが余ったからと誘ってもらった遊園地のチケットの半券もある。気づいたらわかりやすいくらいに、私は彼への想いをゆっくりゆっくり募らせ、そして育てていた。
全部彼との思い出の品だった。ストーカーみたいで気持ち悪いかもしれない。こんな、その場限りのものをとっておくなんて。けれどどうしても捨てられず、そうして集めた彼との思い出の形見が、今ではクリアファイルに入って保存されている。いつも鞄にいれて持ち歩いて、馬鹿みたいだ。それを持っていたところで私の気持ちは彼に届かないし、気持ち悪がられるリスクが上がるだけ。
それでも私、高望みなんてしていなかった。彼と時々カフェにいって惚気を聞いて、友達もいないのに恋愛相談されて、ネットで聞きかじった知識を教えて。それでよかった。彼の思い人の席が欲しいなんて思わなかったし、彼の恋路を応援していた。我ながら、敵に塩を送れるなんて、私ってば優しい。とか思ってメンタルを保っていたというのに。
今現在、私の机は悪口と罵倒であふれ、黒いペン字でどろどろだ。それを消しゴムで慣れたように消して、ため息をつく。この世は理不尽だ。私が何をしたって言うんだ。彼と時々話すことも許してくれないのか。書かれていた罵詈雑言を思い返す。娼婦、売春野郎、尻軽女。きもい、死ね、消えろ、その他もろもろ、心をえぐる文字の束の数々。
消し切れなかった「死ね」の文字をなぞりながら、もう一度ため息をつく。このぐらい別に、気にしなければどうということはない。だから私は泣かないし、いつも通り学校に行く。たとえその行為が日に日にエスカレートして、どんどん酷くなっていっても。宿題のプリントが破られても、教科書を捨てられても、水をかけられても、お気に入りのペンを盗まれても。私が肌身離さず持っている彼との思い出のクリアファイル。それがあれば別に、何も思わない。
ある日、放課後、携帯電話の通知が鳴った。彼と行った遊園地で買った、あの日の彼のシャツと同じ色だった白いストラップが揺れた。通知とは着信音で、彼からの電話だった。
「もしもし、どうしたの。」
「ちょっと話したいことがあるんだ。いつものカフェで待っててくれないか。今日は部活、筋トレだけでさ。あと二十分もしたらいけるから。」
「わかった。待ってるね。」
それだけの電話だった。でも私の心はだいぶ元気になった。たとえ失恋だとわかっていても、彼と二人きりの用事。それがうれしくて、慌てて荷物をまとめ、上履きを履き替えてカフェに行く。
カフェに行くには、信号を一回わたる必要がある。学校の正門を通って、正面にはそこそこ交通量が多い大通りがある。そこを渡っていくのだ。そして今日、その大通りを横断する歩行者用信号は青色が点滅していた。走れば間に合うかと少し足をはやめて、でもすぐにあきらめる。鈍足の私が今から走っても、間に合わない。
赤に変わった信号を待っていたとき、背中をどんと押された。
無様に大地にひれ伏して、慌てて起き上がる。歩道に戻ったはいいものの、あと少しでも遅かったらきっと事故になっていた。今は車道の信号が曲がる車両用に緑色の矢印を点灯させていて、それで交通量が少なかったことで命拾いした。
私を押したのは、クラスメイトの女の子だ。スカートを短くしていて、綺麗な細い足が見えている。靴やメイクが少し派手で、ミディアムの茶髪。確か部活はダンス部で、万年ぼっちの私でも知ってる有名人。芸能事務所に入っているくらい可愛い、学校のお姫様。その麗しの人は、不機嫌そうに笑っている。
「あーあ、死んじゃわないんだ。生きちゃうんだ、そこで。しぶといねー。」
「……っどういう、意味ですか。」
「あんた邪魔なの。あいつともう話さないで。あの人は私が好きなんだから。」
ああ、そういうことか。彼の好きな人はきっとこの人だ。ストンと腑に落ちた。きっと、一目見て好きになっただろう。女の私でも綺麗だと思う見た目も、可愛い声も。きっと彼みたいな素敵な人にふさわしい。
「じゃあ、ほっといてください。私、別にあなたから彼を取ろうとか思ってないので大丈夫ですよ。そもそも、彼もそんなつもりで私と話してないと思います。」
「あっそ。そんなんどうでもいいの。彼から、離れろっつってんの。耳ついてる?あんたの意見なんて聞いてない。わかったらさっさと消えてよ。ほんと目ざわり。」
悪意のこもった呪詛のような声が、私の脳をガンガン揺らす。鞄の取っ手をぎゅっと握った。私はどうしたらいいかわからない。消えるなんてできないし、彼との関係も断ちたくない。ちょっとでいいのだ。少しの間、たまに話すくらいの夢が見たかっただけなのに。それすら許してもらえない。でも、言うことを聞かなかった先もわかりきっている。彼女は学校のお姫様だ。きっとどんどん私の居場所もなくなって、そのうちまた殺されかける。
でも、命がけでも恋がしたかった。
信号が何度変わっても答えず立ち尽くす私に焦れたのか、彼女が掴みかかってきた。その勢いで私のヘアゴムが切れて、私の髪はストレートのロングになる。彼女からはいい香りがした。マリン系の、爽やかな匂い。ああ、私と似たようなシャンプーでもこんなに違うんだ。ついている人が変わるだけで香りの価値って変わるんだな、と思った。
「いい加減にしてよ!いつまで黙ってんの!?あんたみたいな根暗の陰キャと違ってあたし暇じゃないの。これから撮影もあるし、さっさと頷いてくれない?」
「無理で、す。でき、ません。」
「はあ!?」
大声ですごまれて、肩が跳ねる。それでも譲れなかった。どれだけ怖くても、学校生活がお先真っ暗でも、叶わなくても、敵わなくても。
それでも私は、私の恋をあきらめきれない。
「ごめんなさい。告白したりしないし、好きだって言わないし、あなたたちの邪魔もしない。だから、好きでいることだけでも、赦してください。」
「死ねよ、不細工!あんたみたいなのに好きって言う資格なんてないんだよ!」
「そこまでにしてくれないかな。」
綺麗な声がした。罵倒を浴びせてくる声を黙らせて掻き消す、力強くて静かな声。横を向けば、すぐ傍らに彼がいた。部活終わりでセットが崩れた髪が少しぼさぼさで、そんなところすら好きだと思った。
「あ、えと、これ、違うの。勘違いで。」
「何が勘違いなのかな。取り敢えず、手、離してくれない?」
「あ、あの、ごめんなさい!」
「僕じゃなくて、彼女に謝ってくれないかな。大丈夫?声出せそう?」
「ぅ、うん。だいじょうぶ、です。」
「そっか、よかった。」
彼が気遣ってくれて、目線を合わせてくれる。それがくすぐったくて、嬉しかった。でもいいのだろうか。彼が好きなのは学校のお姫様なのに。そんなに冷たい声出していいの?せっかくいいところまで行ったんだって、この前言ってたのに。また振出まで戻ってしまいそうで、私はきょとりと彼を見た。
「ねえ、いつまでいるの?さっさとどっか行ってよ。」
私の視線を何と勘違いしたのか、彼は冬も真っ青な冷たい声で彼女を追い払ってしまった。走り去っていく彼女の肩が震えていたのは、きっと見間違いじゃない。
「あの。」
「ん、どうした?どっか痛かった?てか何されたの?大丈夫?無理してない?」
「あ、私は、ね、大丈夫。それよりもあの子のこと、追いかけなくていいの?」
「え、なんで?」
「だってあの子好きなんでしょう。合唱部で、皆の人気者で、マリンの香りもしたから。私にかまってないで、あの子追いかけなきゃ、嫌われちゃう。」
ふはっと彼が笑った。心底おかしそうに。どうしてだろう。私、面白いことなんて言ってないし、言えないのに。
「あーあ。まさかまだ気づいてない?」
「何に、?」
「あのね、僕が好きなの、あの子じゃないんだ。」
頭がフリーズする。彼の整った顔が近いことに気づいて、ぼっと顔に熱が集まった。それよりも、彼は何と言っただろうか。あの子じゃないなら、いったい誰が好きなんだろう。
「そうなんだ。」
「なあに、その薄いリアクション。てかなんでそんな勘違いを……」
「だって特徴が合っていたから……」
「あ、じゃあそれ偶然。あのね、僕が好きなのはね。」
君だよ。
その言葉と、少し色づいた彼の頬。そらされた視線。少し震えた声。
それの意味を理解した瞬間、めまいがするほど顔が熱くなった。
鞄の取っ手を縋るように握る。目線を合わせるためにずっと少し屈んでくれている彼に気づいて、でもそれも優しさだとわかってまた照れてしまう。無限ループだ。
「ねえ、返事聞かせてよ。」
優しく、でも容赦なく。追い打ちをかけてくる彼に答えなきゃ。脳は焦るのに、口が回らなくていらいらする。
「ゎたしも、す、きです……」
ようやく絞り出した声は少し裏返ってしまって、恥ずかしいことこの上ない。そんな情けない返事にも、彼は嬉しそうに笑ってくれた。
「うん、ありがとう、僕もすきだよ。」
「私、がその、すき、なの、気づいてた?」
にこっと悪戯気な笑みで応える彼に、小さく、馬鹿、と呟けば。馬鹿なんてひどいなってまた笑ってくれる。けれどふと真剣な顔で、彼はこちらにしっかりと目線を合わせた。
「あいつに嫌がらせされてたよね。その話聞こうと思って、今日呼んだんだ。ほんとに大丈夫?」
「うん、もう、大丈夫。それに明日からきっとなくなるよ。」
私がすこし笑って言うと、彼は安心したように、そっか、とだけ言った。
「じゃあカフェ行こ。今日はあーんしていい?」
「ちょっ、そんないきなりはハードル高いよ……」
「えー、だって僕ずっと我慢してたんだよ?君が美味しそうに頼んだケーキ食べて、ほっぺにクリームつけてるのみて、可愛いな、あーんしたいなって。」
うそでしょ。そんな顔してたの、私。羞恥で赤くなった顔を俯けると、彼がのぞき込んでくる。
「ちょっと、照れ顔もっと見たいから隠さないで?」
「そ、そんなの無理ぃ……」
ぶんぶんと頭をふって、なんとかほてりを冷ます。顔を上げれば、信号はちょうど赤から青へと変わっていた。
「ほ、ほら!信号変わったし、カフェ、行こう?」
話題を変えようと、信号へ一歩足を踏み出す。
すると彼にぎゅっと手を握られた。
大きくて温かくて優しい手。びっくりして振り返る。
「あの、さ。できるだけ一緒にいたいから、もう一回分、信号待たない?」
彼は目をそらして、頬を赤らめて、それでも私の手をしっかり握っている。
「……わかった。」
踏み出した足を一歩分戻して、彼の隣に並ぶ。
手は繋いだままだ。
お互い黙っていると、信号が青から赤になる。
実るどころか、華すら咲かずに枯れると思っていた、私の初恋。それは今では、華は開いて果実になって実って。青いまま地面に落ちるどころか真っ赤に熟れてなお大切に私の手の中に残っている。
それがくすぐったくて、でも嬉しくて。
もう一度信号が変わる前にと勇気を出して。
彼の手をぎゅうと握り返した。
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