第8話② 愛情の向こう側

 その日の夜、司は女の居るアパートまで迎えに行き、車の中で仕事の話を始めた。


 「調査完了だ。

  約束通り、仕事は受けるよ。」


 隣の美しい女の顔は、おどろいた表情を表す。


 「お話は聞いていましたが、調べるのがお早いんですね。」


 司は、誰から聞いたのかを問いただしたかったが、今はそれどころではない。


 「端的に言うが、非常にまずい状況にある。

  今から調査の結果を話すが、落ち着いて聞いてくれ。」


 司は、胸ポケットからメモ帳を取り出すと、昨日猫童と共有した情報を女に伝えた。


 ことの現しはこうである。


 まず、加害男である黒田純平は依頼人、花田美里に対して好意を寄せていた。

 

 黒田は女性関係が皆無で、社会に出ても出会いは無し。会社の売り上げも右肩下がりで、仕事への意欲が薄れていたその時、花田が新入社員として入社してきたのだ。


 花田は運悪く黒田の部署に配属されてしまったが、黒田にとっては、雑草も生えない荒地のような仕事場に、一輪の花が咲いた瞬間だった。


 そこから黒田は、花田を飲みに誘い続けたが、花田はこれを断り続けていた。


 しかし、何度も断ることに対して申し訳なさを感じていた花田は、数回目の誘いを受けて、黒田と二人きりで飲みに出かけたのだ。


 断り続けられた誘いを受け取ってもらえた事で、黒田の中では、『自分と花田は相思相愛である』と言う妄想に取り憑かれてしまった。


 それからと言うもの、事あるごとに食事に誘い、贈り物を送り、帰り道は暗くて危ないからと言う理由で、仕事が終わると花田の後をつけて、彼女の家まで着いて行ったりしていた。


 花田は、次第に黒田に対して恐怖を感じる様になっていった。


 その日も食事に誘われたが、恐怖心からその誘いを拒否した。


 黒田は、この断りを『裏切り』と捉えた。


 奢ってあげた、送ってあげた、守ってあげた、なぜなら2人は好き合っているから。


 だが、その恩を仇で返された。


 自分だけ見て欲しい、自分のモノにしたい。


 黒田は諦める事なく、食事の誘いやメールを繰り返したが、花田がそれを断り続けたことにより、花田に対する執着は、道に吐き捨てられて踏まれ続けたガムの様に、より強固で粘着質になって行った。 


 黒田の心の中で、愛情と狂気が同居し始めた。


 その頃から身の危険を感じ始めた花田は、引っ越しをしたが、黒田がその居場所を突き止めることは容易だった。


 なぜならば、協力者を雇っていたからである。


 花田と一緒に入社してきた女性社員、酒井である。


 黒田は、酒井がホストにハマり、金に困っているとの噂話を聞きつけると、対価を支払う条件に、花田の居場所や連絡先を教えるという契約を申し出たのだ。


 実際に金に困っていた酒井はこれを了承し、以降、移転と電話番号の変更を繰り返す花田の情報を、黒田に流し続けた。


 更に、現在は酒井自身が契約しているアパートに住まわせている事も。


 しかし、酒井には葛藤が芽生え始めた。


 大切な同期であり友人である花田の個人情報を、明らかな異常者に流し続けていることに。


 そこで、最近は契約を打ち切る打診を繰り返していたが、もちろん黒田はこれを受け入れることなく、むしろ、『酒井はホスト狂いである』と言う話を会社に言いふらすと脅され、従い続けるしかなかった。


 酒井はその葛藤を紛らわせるために、より多くの頻度でホストクラブに通うようになった。


 そして、時は昨日に至る。


 黒田は、自分の部屋であたかも花田が目の前にいるかの様な独り言を発して、妄想の花田に話しかけたり、突然笑い出したりして、明らかに常軌を逸した行動をとっていたのだった。


 黒田がその調子のままで、ロープと包丁をカバンに詰め込んだところを猫童は見逃さなかった。


 一方で酒井は、黒田から言われるがままに、花田のカバンに発信機を取り付けた。


 黒田の勤めている会社を辞めた花田は、今の職場までは酒井の車で送り迎えをしてもらっているが、昨日は『明日は朝早いから、歩いて行ってもらっていい?何かあったら連絡してね』といつもと変わらない明るい笑顔を振りまいて言ってのけた。


 今この瞬間も、黒田は1人で幸福な妄想に身を委ねて、独り言を呟く。


 「もうすぐ僕だけのものになるからね」


 「嬉しいな」


 「うん、顔はテレビの横に置いておくから、いつでも目が合うね。」


 「ずっと手を繋いでおきたいから、両手はずっと持ち歩くよ。」

 

 「給料日には靴を買って来るからね。

  気に入ってくれるといいな。」


 酒井はと言うと、罪悪感を押し殺すために、今もホストクラブに入り浸っている。


 このままいけば間違いなく、明日の朝、花田は死ぬ。


 そう確信した司は、急遽依頼人と合流したのだった。


 説明を全て聞き終えた花田は、華奢な全身をガクガクと振るわせていた。


 そしてなによりも、唯一信頼していた友人の裏切りに対して憤り、嘆いた。


 「そんな…あの子が…嘘…」


 「残念だが、これは事実だ。

  奴は明日の朝、ことを起こすつもりでいる。」


 「奴の計画はこうだ。

  まず、歩いて出勤する君の居場所をGPSで把握し、人気が少ない場所まで後をつける。

  そして、背後から首を絞めて意識を失わせて自宅まで攫って拘束する。

  その後は、奴のやりたい放題だ。

  結局は、殺されるだろう。」


 花田の上下の歯がぶつかり合う。


 「私、どうすれば…」


 「仕事は受けると言ったはずだ。

  助けてやる。」


 「助けてください…死にたくありません…」


 美しかった顔を丸めた新聞紙のようにクシャクシャにして涙を流しながら、か細い声で訴えかけた。


 「もちろんだ。

  そこで問題がある。

  男はそうだが、君の友人はどうする?

  俺から言わせれば同罪だが。」


 花田は口籠る。


 花田はしばらくの沈黙の後、静かに口を開いた。


 「彼女は、やめてください。」


 「いいのか?男が君の個人情報を知る事ができたのは、あいつのせいだぞ?

  その理由も、私利私欲のため。

  そんな奴のことを許せるのか?」


 「許せはしません。

  でも、やっぱり友達です。

  きっと、もう会うことは無いでしょうけど、友達だから。」


 「…分かった。」


 司は依頼人の意見を尊重した。


 「じゃあ、仕事のことだ。

  これは依頼人全員に聞いているんだが、希望の死因と時間はあるか?」


 花田は、またも沈黙する。


 「…ありません。

  とにかく…もう私の前に現れなければ、それでいいです。」


 それは穏やかな口調であった。

 

 1年間抱え続けてきた恐怖が終わる。


 司には、それがどれほどの安心感や開放感なのかを理解することはできなかったが、確実に言えることは、死ぬべき者が死に、生きるべき者が生き続ける事ができると言うことだ。


 「分かった。

  こっちで上手いことやるよ。」


 「とりあえず今夜は、遠い所のホテルか何処かで夜を明かすことにしてくれ。

  明日の午後からは、後ろを気にすることなく、街を出歩けるんだ。」


 「ありがとうございます。

  よろしくお願いします。」


 鳴き声混じりに感謝を述べる依頼人を、ホテルまで送って行った。


〜〜


 【あの変態野郎、マジやばいぜ。】


 司が依頼人と会っている間も、男の元に張り付いていた猫童が開口一番言い放つ。


 「もう知ってるよ。

  んで、仕事の話だ。」


 【あいよ、女はなんて?】


 「殺すのは男だけだ。

  女には手を出すな。」


 【マジかよ!今こんなことになってるのは、ほぼあいつのせいだぜ?】


 「前言ってたろ、『友情』だよ」


 【友情って言っても、向こうには無いらしいけどな】


 「とにかく依頼人を尊重する。」


 「あいつが動き出す前に取りかかる。

  希望は全て無しだ。

  お前に任せるよ。」


 【そうだなあ…

  あいつはど変態だから、恥を晒して死んでもらおう。】


 そう言うと猫童は元々の童顔から一変して、邪悪な笑みを浮かべる。


 【あの女にも見てほしいなあ】


 どうやら猫童には、明確な結末が見えているらしい。


 「見てるのは俺だけだが、楽しみにしておくよ。」


 司はタバコを咥えると、着火した。


 その煙を見て、先日の、依頼人を取り囲む黒煙の様なオーラを思い出す。


 あれほど明確な殺意を見るのは久しぶりだった。


 好きだった人を殺す感情、ある種の独占欲なのだろうか。


 考えても理解できなかったので、諦めた。


 タバコを押し潰した時、空が白み始めていた。


 「始めようか。」


〜〜


 その日の黒田は、あのカバンを持って、普段の出勤とは異なった、満面の笑みで電車に乗っていた。


 スマホの画面を確認する。


 表示された地図には、赤く点滅する点があった。

 

 いつもとは違う駅で下車すると、黒田はその点滅に向かって早足で歩き出した。


 もうすぐ会える。


 この曲がり角を曲がれば。


 黒田は大いなる期待と欲望に塗れながら、人気のないその角を曲がった。


 その角を曲がると、シャッター街に出た。


 人の気配は一切なく、締め切られたシャッターが、風に軋んでいた。


 黒田は慌てて、もう一度スマホの画面を確認する。


 しかし、その点滅は黒田が立っている場所と一致している。


 黒田は最愛の女性をキョロキョロと探しながら、シャッター街を歩く。


 居ない。


 黒田は純真な眼差しで探し続けるが、見つからない。


 もうすぐシャッター街を通り抜けて、大通りに突き当たってしまう。


 大通りの手前では、業者が何やら作業をしていたのか、機械に繋がれた電気ケーブルや鉄製のワイヤーが、乱雑に放り出されていた。


 「美里ちゃん?」


 業者の機械の横を通り抜け、黒田がそう呟いた刹那、足を置いたマンホールの蓋が外れ、黒田は重力に従って一瞬で穴に吸い込まれた。


 その際、放り出されていたコード類が黒田の首を的確に捉えて絡みついた。


 しばらく落ちたと思ったが、空中でバウンドする様に引き止められると、そのまま宙吊りになった。


 黒田の頸には鉄製のワイヤーが深く食い込み、それを解こうとする黒田の指の侵入を一切許さない。


 黒田は、暗く孤独な穴の中で呻き声を上げて、足を泳がせることしかできず、全体重が細いワイヤー達に委ねられたことにより、ごくわずかな時間で、意識を絶った。


 黒田の愛が詰まったカバンは、暗い穴の底へと落下して行った。


〜〜


 翌日、黒田の死体が引き上げられた。


 その顔面は白目を剥き、唾液に塗れ、陰茎からは尿や精液が漏出し、大便を垂れ流していたと言う。


 出勤した業者がいち早く引き上げたため、その様子は出勤途中の多くの人間に目撃された。


 『マンホール内で男性死亡。

  機械の撤去と立ち入り禁止表示を怠った業者の怠慢か。』


 司が読んでいる新聞には、そう書いてあった。


 あの日は休工日であったため誰もおらず、仕舞われているべき物がそのまま放置されていたのだと言う。


 【へぇー、あいつも運が悪かったね】


 当の元凶は他人事である。


 『マンホール内で発見された鞄から刃物やロープが発見されており、警察が事件性を捜査中』


 「仕事は終わりだ。

  お疲れさん。」


 司は勢いよく新聞を畳むと猫童に話しかけた。


 【へ、いいってことよ。

  それよりも、あの裏切り女をそのまま生かしておくってのは、納得いかねえけどな】


 「まあ、そこは依頼人の希望だ。

  後のことは俺たちには関係ない。」


 もう、あの2人が会うことは無いだろう。


 金と欲望は、友情が乗った天秤にかけると、案外すんなりと傾いてしまうものなのか。


 「脆いな。」


 そう呟くとタバコに火をつける。


 【あ?何がだ?】


 「俺とお前には関係ないよ。」


 【だから何が】


 司は猫童にもかかるように、肺からいっぱいに煙を吹き出してやった。


 猫童は目を硬く瞑って鼻を摘んだが、2人の間に充満した白い煙は、すぐに天井に向かって昇っていった。

 


 

 

 


 

  


 


 

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