第3話 あと一歩の勇気

 前回の依頼から数日後、相変わらずアパートに届けられる、なんてことない紙切れに目を通しながらタバコに火をつけた時、スマホの着信音が鳴った。


 またしても、知らない番号だった。


 嫌な予感を抱きながら、司は電話に出る。


 「もしもし、上神で…」


 「あ、上神さんですか!?実はお願いがあって、お時間頂きたいのですが!」


 電話の主は食い気味、いや、まさに食らいつくように大声でまくし立てた。


 「いや、そんな大声出さなくでも聞こえてる。

  仕事の依頼?」


 「そうなんです。実は…息子が、学校でいじめにあっていて!それについて、話だけでも聞いていただきたいのですが…」


 前回に引き続き、司の電話番号はどこからか流出しているようだ。


 それについても、早急に解決しなければならない。


 それに、被害者が子供というのも引っかかる。


 「分かりました。

  では、1時間後に駅前の喫茶店で、1番奥 の席に座っているので、

  では。」


 いつものようにそっけなく電話を切断すると、目の前の空間に波紋が生じる。


 【仕事の電話か?お前にしてはスパンが短いな】


 猫童が、何も無かったはずの空間を波立たせて、顔だけを露わにして言う。


 顔だけ見れば可愛らしいこいつも、その内面を知っている司からすれば、ただの妖怪である。


 ただし、相棒としてはこれ以上なく心強い。


 「まあ、正直言うと請けなくてもいいんだが、俺の電話番号を流出させてる奴がいる。それについても解決したいからな。」


 司は支度をすると、車を走らせた。


〜〜


 司は喫茶店に着くと奥の席に座り、ブラックコーヒーを注文した。


 しばらくすると、中年女性が来店し、応対する店員を横目に上神の元までやってきた。


 「あなた、上神さんですよね。」


 「そうですよ。まあ座って。」


 中年女性は司の対面に腰掛けると、すかさず問いかけてきた。


 「あの、人を簡単に殺せるっていうのは本当なんですか?」


 この問いかけに、司は少しカチンときた。


 確かに、殺そうと思えば簡単だ。


 だが、それまでのプロセスは、厳格、厳密で、司が本心から了解しなければ仕事は受け付けない。


 まるで、ドラマや漫画に出てくる殺し屋のような扱いを受けたことが、気に入らなかった。


 「人を殺すのは簡単ではありません。

  話は聞きますが、最終的に決定するのは 私です。

  どうか勘違いなさらないように。」


 司に凄まれた中年女性は、唾を飲み込んだ。


 一瞬、時が止まったように空気が張り詰めた。


 「で、話というのは?」



 司は、張り詰めた空間を解くように明るい口調で聞いた。


 「あ、そうですね。電話でもお話ししたように、息子が学校でいじめを受けていまして…

 どうにか加害者を殺して欲しいんです。」


 中年女性の訴えに、司は聞き返す。


 「なぜ、いじめられていると?」


 「それは、親だからわかります。

  ここの所元気がなくて、雰囲気みたいな、とにかくわかるんです。母親ですから。」


 「そんな曖昧な理由では、お受けできません。」


 と司が断りを入れると、すかさず反撃する。


 「本当なんです!調べてみてください!

  調べるのもお得意なんでしょう?」


 あまりの熱量に、司はたじろいでしまった。


 『親だからわかる』


 その気持ちが司には理解できなかった。


 親でも無ければ、両親からの愛を受けた覚えもない。


 だからこそ、気になってしまった。


 母親というものには、司が、この世ならざるものを認識することできるように、我が子の不幸を認識する力があるのかもしれない。


 「では、調べるだけ調べてみましょう。

  1週間後の同じ時間に、ここへ来てください。」


 そういうと司は立ち上がり、代金を支払うと喫茶店を後にした。


 【なんだ、珍しいな。興味本位とは】


 「ああ、ちょっと気になってね。

  第6感の存在は、俺も認識してる。

  それと同じように、親って言うのにもそういうものがあるのかもしれないと思ったんだよ。」


 「とりあえず1週間、働いてもらうぞ」


 【あいよ】


 猫童はだるそうに返事をすると、空間に引っ込んでいった。

 

〜〜


 【おい、俺は監視カメラじゃねーぞ!】


 調査1日目にして、相棒からの熱烈な苦情が飛び込んできた。


 「仕方ないだろ、学校はお前しか入れないんだよ」


 「それに、お前のおかげで分かったじゃないか。いじめは存在したってね。」


 この事実を知った時、司は驚きを隠せなかった。


 猫童を中年女性の息子、光くんが通う中学校に送り込んだ瞬間から、決定的な光景を目にすることができた。


 6人の集団により、光くんは物を隠され、侮辱され、さらには暴行を加えられていたのだ。


 『本当なんです!』


 必死の形相の母親の顔が目に浮かんだ。


 やはり、親と子供というのは見えない糸で繋がっているらしい。


 それを認めると、司はタバコに火をつけた。


 翌日もその次の日も、猫童は壁に張り付いて、光くんと6人の動向を監視し続けた。


 6人の間では、プロレスごっこと称した暴行が、最近のトレンドらしい。


 【そこでやり返せ!男だろ!】


 監視カメラ、もとい猫童が届かない声援を送る。


 猫童の声援も、あながち間違っていないな、と司は思った。


 その日の放課後、いじめっ子たちは光くんを連れ出して学校近くの公園にやってきた。


 それを知った司は車を走らせて公園に向かった。


 猫童は相変わらず、傍で監視カメラ役に徹している。


 司が公園に向かう途中にも、公園では『プロレスごっこ』が始まっていた。


 1人に羽交締めにされた光くんはなす術もなく、もう1人の飛び蹴りをくらって倒れ込んだ。


 すかさず1人が光くんの上に飛び乗り、3カウント数えた。


 「よっしゃ、また俺らの勝ちー」


 「おーいまだまだ行くぞー、立てー」


 司が公園に到着したときには、光くんの制服は砂まみれになっていた。


 「おらぁ!」


 光くんが殴られる様を、司は遠目からベンチに座って観察していた。


 【おい人でなし、助けてやらねえのかよ】


 猫童がベンチに座る司の隣に姿を現した。


 「ちょっと待ってな。」


 司が観察していたのは光くんではなく、いじめっ子の方だった。


 特にリーダー格と思われる少年の暴行が激しい。


 ひとしきり観察したあと、司は重そうに腰を上げると、一群の方へ近づいた。


 「おいクソガキども」


 突如声をかけられた少年たちの動きが固まる。


 「なんや、おっさん」


 言い返してきたのは、あのリーダー格の少年だった。


 「その辺にしとけ、警察呼んだから、逃げるなら今やぞ」


 司がハッタリをかますと、少年たちは「ボケ、クソジジイ、死ねや」などと吐き捨てながら散り散りに去っていった。


 取り残された光くんに、司は話しかける。


 「やあ、大丈夫かい?」


 「大丈夫です。」


 そう言いながら、ヨロヨロと立ち上がる司くんが、涙を堪えているのが分かった。


 「実は君のお母さんとは知り合いなんだ、光くんだよね。」


 「え、そうなんですか?!あの、母には、このこと内緒にして下さい!心配かけたくないんです!」


 司くんは深く頭を下げながら訴えかけた。


 その姿に、思わず感心してしまった。


 「君は優しいね。」


 そう言われると、光くんは照れくさそうに脚をもじもじさせる。


 「光くん。もし君が悔しいと感じているなら、いじめをやめさせる方法を教えてあげようか?」


 光くんは、目を見開いた。


 「そんなの、悔しいに決まってます!

  どうすればいいんですか?」


 司はにっこり笑って言った。


 「君が、あの偉そうにしてる奴をぶちのめすんだよ。」


 光くんは、まさに、鳩が豆鉄砲を食ったように思考が停止した。


 「そんなの、無理ですよ!」


 「無理じゃない!」


 司が柄にもなく声を荒げると、光くんの肩が跳ね上がった。


 司は光くんに近づいて目線の高さを合わせると肩に手を置いた。


 「俺が、あいつを倒す方法を教えてやる。

  1ヶ月、君が本気を出したら絶対に勝てるようになる。」


 司の鋭い眼光が、一直線に光くんの眼差しの奥を見つめる。


 「で、でも…」

 

 「あいつ、強いし…」


 踏ん切りのつかない光くんに、司は穏やかに語りかける。


 「大丈夫だ。俺から言わせれば、あんな奴らはムシケラだよ。俺が鍛えてやる。俺に教われば、誰にだって負けない。お母さんも、心配しないでよくなるんだ。」


 その言葉で、光くんの心を射留めた。


 「本当に、勝てるんですよね?いじめはなくなるんですよね?」


 「約束するよ」


 司は即答した。


 「お願いします。僕を、強くしてください!」


 司はにっこり笑みを浮かべると、大きく頷いた。


 「じゃあひとまず、1ヶ月間、学校お休みね」


 「え!?」


 「当たり前だろ。強くなるために練習しないといけないからね。たった1ヶ月だ」


 光くんは腑に落ちない表情をしながらも、「わかりました」と答え、毎日12:00にこの公園に来るという約束をして、その日は別れた。


 【なんかまためんどくせえことしようとしてんなぁ。あんな奴ら殺しちまえばいいじゃねえか】


 帰りの車の中で猫童が毒づく。


 「いいや、今回は、これでいいんだ」


 夕陽を背に受けて、軽自動車は、国道を軽快に走行して自宅に戻った。


〜〜


 あの日から1週間後、光くんの母親は約束通りに喫茶店に現れた。


 「どうでしたか?いじめはあったでしょ?」


 「いくらなら引き受けてくれますか?」


 顔を合わせるや否や質問攻めしてくる母親をまあまあといなして、司は言う。


 「確かに、いじめはありました。」


 やっぱり、と母親は食いつくが、司は気にせずに続ける。


 「しかし、今回の場合は、私の出番はありませんよ。

  光くん自ら解決するでしょう。」


 そう言ってのけると、母親の顔はやかんのように赤くなり、語気が強まる。


 「何を無責任な!息子はここ数日、学校にも行っていないんですよ?早急に解決していただかないといけません!」


 「大丈夫です。私が保証します。

  1ヶ月間です。見守ってあげてください。」


 司の提案に納得するはずもなく、


 「もういいです!あなたにお願いすれば、丸く収まると聞いていたのですが、間違いだったようですね!」


と机を叩きつけながら立ち上がると、母親は喫茶店から出て行ってしまった。


 【おいおい、大丈夫かよ。ブチギレだぜ?】


 「大丈夫さ、『母親』だからな」


 司は、ブラックコーヒーを飲み干した。


〜〜


 「いいか?喧嘩する時はな、鼻を狙うんだ。なぜだかわかるか?」


 突然の問いかけに光くんは焦って口籠る。


 「それは、簡単に血が出て、簡単に折れるからだ。おまけに涙も出でくるから、相手は戦意喪失ってわけさ。」


 「な、なるほど…?」


 司は、光くんを置いてけぼりにして、凄まじい熱量で語っていた。

 

 「ということで、まずは基礎からやってくぞ」


 上神家は式神に頼りすぎてはいけない、という理念のもと、徒手格闘の稽古も行っていた。


 その際に学んだ知識と技術をふんだんに活用して、光くん強化作戦が始まった。


 相手の攻撃を捌き、すぐさま反撃に移れる構え方や、簡単なパンチの打ち方を教えた。


 「うん、なかなか筋がいいぞ。すぐに強くなれそうだ。」


 光くんは運動が苦手なのか、すぐに息が上がってしまい、頻繁に休憩を挟んだ。


 基本的な練習は、最初の1週間に渡って続いた。


 光くんは、家に帰った後も教わったことを繰り返し練習した。


 突然現れた謎の男、そういえば名前も知らないあの男は、なぜだか信用できる、と感じていた。


 だから信じて、練習に励んだ。


 その一方で、母親もまた、司への希望が消えたわけでは無かった。


 1ヶ月…1ヶ月経てば、何かが変わるかもしれない。


 心のどこかで、そう信じていた。


 1週間が経った頃、練習は実践形式に移行した。


 まず、司は光くんに力説する。


 初心者が喧嘩で放つ攻撃は、まず間違いなく2つに絞られる。


 一つ目は右の大ぶりパンチ、そして二つ目が前蹴りである。


 司が観察したところによると、まず間違いなく、初手で大ぶり右拳が飛んでくる。


 これに対応するのは、格闘技経験者ならば容易いが、光くんのように未経験、さらに運動音痴の少年ならばどう切り抜けるのが最善か。


 そこで光くんに伝授した技術は、ダッキングである。


 ダッキングとは、打撃系格闘技で用いられるディフェンステクニックの一つで、簡単に言えば、屈んで相手のパンチの下をくぐり抜ける技術のことである。


 司がいじめっ子を真似て大ぶりパンチを繰り出し、光くんがその下を潜って、向かって左側に移動する。


 「上半身だけじゃなくて、膝も使え!」


 「はい!」


 この動作をひたすら繰り返した。出来るようになればスピードを上げ、それが出来るようになれば、さらにスピードを上げる。


 ダッキングが上手くなると、念の為に前蹴りの捌き方も練習する。


 右の前蹴りは、右の手で反時計回りに円を描きながら相手の足を捌く、加えて、向かって左側にステップインする。


 これも何度も繰り返す。

 


 数日たった時、司は次のステージに進むことにした。


 「避けるのはだいぶ慣れたな。このスピードに反応できるなら、あんなパンチ、スローモーションだ。

  次は攻撃、右フックの練習だ。」


 司の思い描いているビジョンとは、いずれの攻撃に対しても、それをいなして左側に体を移動させ、無防備な顔面に右フックを打ち込み、鼻をへし折る。というモノだった。


 司は自分の右手の平を差し出して、パンチを打つよう指示した。


 「弱い弱い!」


 「全然だめ!蚊も殺せないよ!」

 

 最初のうちはへなちょこだった光くんのパンチも、だんだんといい音を出すようになっていった。


 あと2週間弱、司と光くんは確かに手応えを感じていた。


 その風景を、猫童は頬杖つきながら退屈そうに眺める。


 【人間って、どうして楽な道を選ばないんだ?】


 必死に汗を流す光くんをよそに、日光浴をする猫の如く、大きく欠伸をした。


〜〜


 「よし、ここまでよく頑張ったな。最後の練習だ。今まで習ったことを全て一連の動作で行う。

 避けて殴るはいつもセットだ。」


 「はい!」


 ここでも司はいじめっ子役をやり、左の手の平で顔面を守りながら右手でパンチ繰り出す。


 光くんはパンチを掻い潜り、右の拳を手の平に叩きつける。


 これを永遠繰り返す。


 「スピード上げるぞ!」


 光くんは、何度かパンチを食うこともあったが、めげずに立ち上がり、練習し続けた。


 自宅の部屋でも、相手を想像してイメージトレーニングをする。


 この時想像していたのは司ではなく、あのいじめっ子の顔だった。


 そして、時間は流れていく。


 その日の練習を終えると、司は光くんに語りかけた。


 「明日はいよいよ練習の成果を見せる時だ。

  今までの練習よりずっと怖い思いをすると思う。緊張もする。

  でも大丈夫だ、君は1ヶ月前の君じゃない。

  自分ならできると信じるんだ。」

 

 「はい!絶対に勝って見せます!」


 初めてみた時の光くんとは思えないほどの頼もしい声だった。


 自宅まで走って帰る光くんの背を見送ると、司は猫童を呼んだ。


 猫童は、地面からキノコのように頭だけ生えてきた。


 【おう、やっと俺の出番かな】


 「そうだ、明日の朝、光くんに取り憑いて学校まで行くんだ。そして、いじめっ子に向かって挑発してくれ。それはそれは屈辱的にな。

  そんで、この公園まで全力で走って来い。いじめっ子が後ろから付いてくるかを確認しながらな」


 【なんでそんなに回りくどいことを…

  まあいい、1ヶ月間放置された鬱憤を吐き出させてもらうよ】


 そう言うと猫童は、地面の中に埋まっていった。


 誰もいなくなった公園で、タバコを咥えると火を付ける。


 [公園全域 禁煙]


看板に煙を吹きつけてやると、司は自分の車に戻った。


〜〜


 翌朝、光くんの寝床に忍び込んだ猫童は、まだ眠っている光くんの額に触れると、彼の体に吸い込まれるように消えていった。


 そして、


 【久しぶりの人間の体だな!

  これで自由に動けるぞ!】


 ベットから飛び起きると一階のリビングに駆け降り、朝食の支度をしていた母親に挨拶する。


 「やあお母さん、今日はいい朝だね!」


 「え?ええ、そうね…」


 いつもと人が変わったような息子の言動に面食らった母親だったが、そんなことも気にせず、光くんの体を操る猫童は続ける。


 「今日は久しぶりに学校行って来るわ!

  お!うまそうな弁当だな!ありがとよ!

  かーさん!」


 「あ、それ、私のお弁当なんだけど…」


 光くんもどきは弁当だけ握りしめると、玄関を飛び出して学校へ向かった。


 取り残された母は、息子の気が狂ってしまったのではないかと本気で心配したが、あの日のことを思い出した。


 1ヶ月後…


 あの日から今日で1ヶ月。


 今日、何かが起こる。


 学校へたどり着いた光くんの体を借りている猫童は、これから喧嘩するなら、体力付けないとな、と正面玄関の前で弁当にがっつき始めた。


 すると、


 「お!光じゃん!」


 「もうこないかと思ってたわー」


 「死んだかと思ったわ笑」


あのいじめっ子集団だ。


 猫童は自分の任務を思い出すと弁当を丸呑みするや一息着いて、


 「おいお前!」


 リーダー格の少年を指差し叫んだ。


 「てめえ、こないだまで随分舐めた真似してくれたなぁ。だが俺も男だ、これまでの事は全部水に流してやるよ。だから一つ約束しろ。

今から俺とタイマンはれや!一対一の男の勝負!俺が勝ったら、2度と俺に関わらないと約束しろ!」


 その場にいた全生徒の視線が釘付けになる。


 「あいつってあんなキャラだったか?」

 

 「いや、もっとおとなしいやつだったはずだけど」


 ヒソヒソと群衆から声が上がる。


 いじめっ子らはというと、まず驚いた。


 1ヶ月前まで自分たちのされるがままだったあの光が、とんでもない怒号を浴びせてきた。


 他の生徒の手前、冷静を装い、リーダー格の男が答えた。


 「その自信がどっから来るか知らんけどな、いいよ、タイマン買った。その代わりお前が負けたら一生俺たちの奴隷な?」


 「おう、いいだろう。ほんじゃ今から公園行こうぜ、あの公園。散々痛ぶってくれたよなぁ。付いてきな!」


 そう言い放つと光くんの姿をした猫童は全力疾走で群衆をすり抜けると、正門を抜けて公園まで走った。


 「追いかけろ!」


 予定通り、奴らもついてくる。


 だいぶ距離は離れているが。


 一足も二足も早く公園にたどり着いた猫童は、光くんの体から抜け出し、ベンチに座っている司の隣に現れた。


 【かましてきてやったぜ】


 得意げに鼻を鳴らす猫童には顔も向けずに、お疲れさん、とだけ伝えると、光くんを見つめる。


 光くんは目に見えて混乱していた。


 何せ、記憶があるのは昨夜ベットに入ったところまでで、気づけばあの公園にいる。


 キョロキョロと公園を見回すと、見慣れた顔が目に飛び込んできた。


 遠くのベンチに座っている司だった。


 そうか、今日は決戦の日。


 全てを賭けなければならない日


 そう思うと心臓が暴れ出すと同時に、頭は冷静になった。


 あの練習を思い出す。


 おそらく、もうじき奴らが来るのだろう。


 「いたぞ!」


 いじめっ子グループが公園にたどり着いた。


 全員が全員息切れを起こし、今にも倒れそうだ。


 一方光くんは、堂々とした立ち姿で、一群を見据える。


 「てめえ、散々言ってくれたなあ」


 リーダー格が歩み寄る。


 それに合わせて、光くんも歩き出す。


 お互いの間合いが触れた瞬間、やはり喧嘩慣れしているのか、いじめっ子はいきなりパンチを放った。


 練習通りの大ぶりの右


 想定内の行動に、光くんの体は、ほぼ自動的に動いた。


 相手の右腕の下をくぐり抜けると、一歩分左に移動し、右拳をぶん回す!


 しかし、これは空を切った。


 予想外の反撃に、いじめっ子は一瞬たじろいだ。


 『もう一歩踏み込め!』


練習で何度も言われた言葉を思い出す。


 踏み込みが浅いと、届かない。


 いじめっ子は、距離を取るために前蹴りを繰り出した。


 これにも体が咄嗟に反応した。


 右手で捌くと円を描くように相手の右側に体を移動させ、踏み込むと同時に右拳を振るった。


 パァン!


 その拳は見事にいじめっ子の顔面をとらえた。


 いじめっ子は倒れ込み、顔面を抑えてのたうち回った。


 よく見ると、鼻血が出ているし、涙も溢れている。


 それを見届けると司はベンチから腰を上げ、叫んだ、


 「おい!またお前らか!何度言ったら気が済むんだ!」


 いじめっ子達は倒れ込んだ少年に肩を貸して公園から去っていった。


 肩で息をする光くんは、司の元に走って向かってきた。


 「やりました!僕、勝ちましたよ!」


 満面の笑みで高揚する光くんの肩に手を当てると、司は語りかけた。


 「全部見てたよ。よくやった。

  いいかい?人生ってのは、格闘技と同じなんだよ。勇気を出してもう一歩踏み出さないと、夢は掴めない。最初は怖いだろう。もしかしたら、自分が攻撃を受けて痛い思いをするかもしれない。それでも一歩踏み出すんだ。そうすれば、技術が身につく。技術が身につけば怖く無くなる。

 恐怖の中でこそ、一歩踏み出すんだ。」


 光くんは込み上げる涙を必死にせき止めていた。


 「僕は、ずっと弱い自分がいやで、でも、どうすればいいかわからなくて、おじさんのおかげで、勇気が出ました。

僕、格闘技を始めます!そうすれば、いじめられなくなるどころか、いじめられてる子を守ることができますから!おじさんみたいに!」


 朝顔のような笑顔を咲かせると、光くんは、ありがとうございました!と一礼して去っていった。


 その背中を見届けた後、しばらく余韻に浸っていると、


 【おい、今回俺、活躍少ないぞ】


と空気の読めない馬鹿猫が姿を現した。


 「十分活躍してたじゃないか。監視カメラくん」


 【おいてめぇ、俺もタイマンならいつでも買うぞこらぁ】


 「でも良かったじゃないか、結果としてハッピーエンドだ。あれだけの聴衆の前でタンカ切ったんだから、もう、いじめられることはないだろう。奴らには奴らのプライドってものがあるからな。」


 【なんでこんなめんどくせぇ方法にしたんだ?結局痛い目に合わせるなら俺達がやっても変わらねぇだろ?】


 「分かってないな。人間には、『成功体験』って言う、大事なモノがあるんだよ。

  お前には分からないかもしれんがな」


 そう言うと司は立ち上がり、自販機に向かった。


 コーヒー缶を開ける音が心地いい。


 司の連絡先を流出させた人間を探し出す、という問題も、とうに忘れてしまっていた。


 【おまえ、子供が関わると熱くなるよな】


 「あぁ、なんでだろうな…

  羨ましいのかもしれない。」


 【なんだそりゃ】


 しばらく公園を眺めながらコーヒーを飲み干すと、駐車場へと足を向けた。

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