ゲームの敗者(5)

 あのやり取りの後、香苗はすぐに荷物をまとめてホテルを出ると、僕らと一緒に帰ってきた。

 

 その車中でも2人で後部座席に座り、楽しげにしゃべっている。

 だが、僕はその2人を見て本来感じるべき「嬉しい」や「良かった」と言う気持ちは感じられなかった。


 それよりも心を支配していたのは「なぜ?」だった。


 心美ちゃんの香苗と会ってからの、あの激変とも取れる振る舞いの変化。

 そして心美ちゃんの存在が無理だ、と言っていながら、あんな涙ながらの振る舞いがあったとは言え、ああまで瞬時に切り替えられるのだろうか。

 何より、香苗の言った


(あなたって子は……そう来るの)


 あの言葉は何だったんだ……


 あの言葉はあの場面にそぐわない。

 何というか……心美ちゃんの本当の「何か」を知っているように見える。


 そして……僕と心美ちゃんのキスをしている写真。

 あれを見たときの心美ちゃんの表情は確かに「驚き」だった……

 彼女じゃないなら誰が……なぜ。


「卓也、どうしたの? 怖い顔して」


 後ろから香苗の声が聞こえる。


「え? いや……何でも無い。ちょっと仕事の事を」


「パパね、香苗ママがいなくてすっごく寂しがってたんだよ。だって泣いてたもんね」


 心美ちゃんのからかうような声が聞こえる。


「うん……その節は……ゴメンね。私ももっと心美ちゃんと……卓也を信じて、しっかり話せば良かったんだよ。ダメだね、母も妻も失格だよ」


「そんな事無いよ、僕も悪かった。もっと話す時間を持っていれば誤解も……無かったかも」


 誤解、か。

 よく言うよ。

 僕は心の中で自嘲気味に笑った。


 ●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇


 そんなモヤモヤした気持ちを抱えていたものの、家に帰り3人での空間を感じると安堵がこみ上げてくる。

 どんな事があるにせよ、心美ちゃんと香苗は良好に見える。

 そして、僕も。


 みんなが笑えている。

 もう二度と手に入らないはずだった「家族の時間」が戻ってきた。

 それを思うと、涙が出そうに嬉しいと感じる自分がいる。

 僕はまだ……大丈夫なんだ。


 そう思ったとき、僕の中にふと一つの考えが浮かんだ。


 もうこれでいいんじゃ無いか。


 心美ちゃんも香苗も僕も。

 今この瞬間、前みたいに家族になれている。

 心美ちゃんは底知れないけど、彼女にしても香苗との関わりを増やせば愛情への飢えも満たされて、落ち着いてくれるんじゃ無いか。

 僕も彼女の過剰なアプローチははね除ける事が出来た。


 心美ちゃんの言うとおりかも知れない。

 好奇心の強い猫になる事は無い。

 また、以前のように……

 ある程度の事は目をつぶって……


 ●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇


 それから1週間経つが、瀬能彰を問いつめる事は出来なかった。

 話そうとすると、その度逃げられてしまう。


 まあいい。

 明日こそは必ず心美ちゃんとの事を納得いくまで聞き出してやる。


 そんな事を考えていると、携帯にさやからのラインが入っていた。

 内容を確認すると今夜お店で話したい、相談があると言う物だった。

 心美ちゃんの件だろうか……だが、丁度いい。

 さやにも言おう。

 心美ちゃんの件はもういいよ。

 今のままで全てが落ち着いてるならそれで様子を見ようと思う、と。


 そう。

 僕は自分でも驚くくらいに平穏を求めていた。


 その夜。

 仕事帰りにさやの店に行くと、さやはカウンターで憔悴した様子で俯いていた。


「どうした。何かあった?」


「うん……」


 さやはポツリと答える。


「あのさ、卓也……前に……言ったことあったっけ? 私、性犯罪の被害経験がある、って」


「……ああ」


 確かに聞いた。

 心美ちゃんの振る舞いによって仙道さんが逮捕され、その後に顛末をさやへ話したあの時。

 車内でそう言う行為に及ぶことが難しい、と言った辺りでその事を聞いたのだ。

 かなり驚いたので、良く覚えている。

 だが、彼女の言葉をそのまま借りるなら、トラウマとは付き合えていると言ってたが……


「あの事が……浮かんできたのか?」


 だが、さやは大きく首を振った。


「そいつは当時、私をずっとストーカーみたいにしてたの。で、そんな事があって……アイツは捕まった。でも、もう顔を合わせたくなかったから、こっちに引っ越してきたの。絶対バレてないはずだったのに……なんで」


「まさか……そいつが」


「そう。昨日、買い出しから帰る時に見たの。髪型は変わってたけど間違いなくアイツだった……」


 さやはそこまで言うと、僕の隣に来て突然抱きついてきた。


「怖い……ねえ、何で私の居るところが分かったの? そんな事あるはず……ない。


「落ち着けよ。とにかく一旦警察に連絡しよう」


「そんなの無駄よ! 何もされてないのに……ねえ、今夜……ずっと一緒に居て?」


「……ゴメン、それは……」


 するとさやは僕にしがみついたまま言った。


「私が……先だったのに」


「え?」


「卓也の事……ずっと好きだったの。中学校の頃から。ねえ、私が最初だったんだよ? なのに、香苗さんや……心美ちゃんって……なんで……私じゃ無かったの?」


 僕は何も言えなかった。

 当時、僕もさやの事を気になっていたことはあった。

 だが、男っぽい雰囲気と共に、あまりにも小さい頃から一緒だったせいで異性として感じることが出来なかった。

 だが、そんな事言えるはずが無い。


 今は、それよりもストーカーの件だ。

 さやにそんなトラウマを植え付けた相手だ。

 今後、どうしてくるか……


「なあ、今から一緒に警察に行こう。僕も付き合うよ。何ならその後、落ち着くまでどこかのホテルに居るといい」


 さやはしばらく黙って居たが、やがて小さく頷いた。


 さやと共に警察に行き、事情を説明すると事情を重く受け止めてはくれたが、すぐに保護してくれる訳では無く後日周辺の見回りを行うようにする、との事だった。


 そんな事で……


 警察署を出た後、僕はさやに家に来るよう提案したがそれは拒否された。


「もし何かあったらすぐに逃げるから。さっきは取り乱してゴメンね」


 そう言うと、さやはニッコリと笑って店に戻っていった。


 ●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇


 疲労感を感じながら家に帰ると香苗はお風呂に入っており、心美ちゃんは相変わらずタブレットで本を読んでいた。


「あ、お帰り。遅かったねパパ」


「あ……ゴメン。残業長引いちゃってさ」


「ふうん……大変だね。お疲れ様」


「いや……大丈夫。……所で心美ちゃん、相変わらず本好きだね」


「活字は心が落ち着くから。マンガもいいのは沢山有るけど、活字みたいに没入感はないんだよね」


「そうか……所で今は何の本を読んでるの?」


 心美ちゃんはソファに座った僕をじっと見て、言った。


「性犯罪被害者のドキュメント」


「珍しいの読むんだね。女性で中々そんなのを読む子は居ないと思うけど……」


「うん、でもさ。私とパパは知っといた方が良くない? だってさ……さやさんもそうだったんでしょ?」


 その言葉に僕は目を見開いた。

 なぜそれを……


「あ、前にさやさんが教えてくれたの。言わなかったっけ? 私とさやさん仲良しになった、って。その時に」


 さやが心美ちゃんにそんな事を言うはず無い。

 そう思ったが、言葉にすることは出来なかった。


「ねえ、パパってさ……さやさんと最近仲いいよね」


「え……いや、そうでも無いよ」


 何でいきなりそんな事を……


「パパってさ、彰さんと私に嫉妬してるクセに、自分はさやさんとコッソリ遅い時間にお店で会ってるじゃん。ズルいよね」


「何でそれを……」


「ゴメンね。実は何回かこっそり見に行ってたの。彰さんに聞いて残業の無い日にちは知ってたからさ」


 心美ちゃんは相変わらずタブレットを見たまま淡々と話しているが、僕は背中が冷や汗でビッショリなのを感じていた。


「いや……それは……」


 ちょっと待て。

 何で僕はうろたえてるんだ?

 14歳の少女相手に。

 そう思いながらも、言葉と裏腹に心臓が大きく音を立てている。


「私、パパを愛している。それは再三言ってるよね? ……お店で何話してるのかな? 浮気の相談?」


「そんな事は話してない」


「あ、そ」


 そう言うと心美ちゃんは突然立ち上がり、僕の前に来ると冷ややかな視線で言った。


「まさかとは思うけど……この前私に手を出さなかったのって、さやさんとの事があるから?」


「いや、それは……違う」


「香苗ママはいいよ。。でもね、誰でも自由にいいよ……なんて言ったっけ? 私。特にさやさんは私の事、追い出したがってるのに。どうせ、そんな事も聞かされてるんだよね?」


「いや……それは……」


 どうなってる? 何でこんなに焦ってるんだ、僕は?


「私、意地汚い人って……ヤダ」


 僕は悪くない。

 別にやましい事はしていない。

 堂々としてればいい。

 まして、娘なんだ。

 恋人でも妻でもない。


「……ゴメン。でも、本当に僕は……その気はない」


 何でこんな言葉が……

 愕然とする僕に向かって心美ちゃんは表情を変えずに続けた。


「じゃあ、証拠見せて」


「証拠……って」


「『心美を愛してる』って言って」


「いや……それは」


「言って」


「心美を……愛し……てる」


 そう言った直後。

 心美ちゃんは表情を和らげて、僕の首に両腕を回した。

 そして、耳元で言った。


「可哀想に……パパは悪くないよ。最初から分かってた。だから安心して。あの人、パパには良くないんだよ……色々と」


「それは……どう言う意味だ」


「パパは私が守ってあげる。それで良いでしょ? その対価として……私だけを愛して。やっぱり他の人はヤダよ」


 無言で視線を泳がせている僕に心美ちゃんはクスッと笑うと言った。


「いじめ過ぎちゃったね。これは……お詫びの印」


 そう言って彼女は僕の唇にキスをした。


 その翌日。

 さやの様子が気になったので、仕事帰りに店に行った僕は呆然と立ちすくんだ。


 そこには割れた窓ガラスや倒れたテーブル等が見えており、まるで……誰かが荒らしたかのようだった。


 その後、警察に行った僕が聞いたのは、夕方頃に例のストーカーがさやの店に侵入した事。

 さやを襲おうとして、何とか逃れたさやはそのまま警察に駆け込んだ事。


 そして……僕との面会を一切拒否している事だった。


 僕と会うのを……拒否? 

 なぜ……

  

 呆然としている僕に警察官から手渡されたのは、さやからの手紙だった。

 その場で中を読んだ僕は、目を見開きそのままその場に座り込んだ。


 そうしないと自分が倒れてしまいそうだった。

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