ゲームの敗者(2)

 ホテルを出て以後、自宅に戻ってからも僕は酷い混乱の中に居た。

 

 香苗が……出て行った。

 ラインも完全にブロックされており、電話も着信拒否になっている。


 香苗の親族に連絡したくても、香苗の身内を僕は知らない。


 母親は昔に亡くなっており、他には顔も見たことの無い遠縁の身内のみとの事。

 そこに居るとは考えがたいので、恐らく友人の家なんだろうけど香苗は社交的で明るい性格の割には深く付き合っている友人はほぼ居ないようで、一度も顔を合わせた事はない。


「もう……私たちも興信所に依頼したほうがいいかもね」


 心美ちゃんがポツリとつぶやくのを聞きながら頷く。


 香苗は一度だけちらりと話してくれた事があるが、高校生の頃に性的な暴力を受けた事があるらしく、それにより他人との深い関わりが怖くなっているらしい。

 性暴力の件は心美ちゃんには話してないが、香苗がトラウマもあって深く繋がりを持てない事は僕ら夫婦から伝えてある。


「そう……だな」


「香苗ママは早く見つけてあげないと。一人にするのは危険すぎるよ」


 心美ちゃんはそう言うと、厳しい表情で壁を見つめる。

 その様子に僕は理解できないほどの違和感を感じていた。


 ……君じゃなかったのか?


 そう唇から零れそうになるが、心美ちゃんはむしろ僕より率先してこの事態に対処しているように見える。

 僕はショックで何度も彼女の携帯にかけてばかりだと言うのに、心美ちゃんはすでに興信所のピックアップまで行っている。

 もう、何が何だか分からない。


「心美ちゃん……君は、ママと……会いたいのか?」


 思わずそうつぶやくと、心美ちゃんはピックアップしたリストを印刷しながら言った。


「決まってるじゃん。パパは違うの? ……はい、これ主な興信所のリスト。今からかけてみよ?」


「そうだな……」


「どうしたの? パパ。辛かったら……私、かけようか?」


「いや、そうじゃない。ゴメン、ちょっと疲れてるのかも。ちょっと休憩しないか? 飲み物を入れるよ」


 僕はそう言ってキッチンに向かい、コーヒーとジュースを入れてきた。

 そして、ソファに座り目を閉じながら飲んでいると、肩に心美ちゃんが頭をもたれさせるのが分かった。


 何も言わずに居ると、彼女が小声でつぶやくのが聞こえる。


「……これから、どうするつもり?」


「え? そりゃ、興信所に連絡して……」


「ううん、そうじゃなくてさ……私を見捨てる?」


 僕は思わず肩に乗る心美ちゃんの小さな顔を見た。

 僕を見るその瞳は不安げに揺れていた。


「なんで、そんな事を」


「離れちゃ……やだ」


 そう言って心美ちゃんは僕の腕をギュッと掴んだ。


「パパってさ……神様って、居ると思ってた? 子供の頃」


 いきなり何を?

 内心驚いたが、頷いた。


「そうだな……神様とかサンタクロースとか……8歳か9歳くらいまでは……」


「私は信じてなかった。一度も」


 心美ちゃんは僕の目をじっと見ながら続けた。


「だって、居るんだったらなんですぐ取り上げちゃうの? 私から。毎年願ってたのに。『心美だけ愛してくれる人が欲しい』って。全然くれないし、くれてもすぐに取り上げちゃう」


 心美ちゃんは僕の腕に自分の両腕を絡ませた。

 まるでどこかに行ってしまわない様に……


「施設に入って最初のクリスマスの日、道を歩いてると家族連れを見た。子供はショーウインドーのおもちゃやケーキを見ておねだり。ご両親は笑いながら手を引く。あれって普通なんだね。裏切らない人、って本当に世界のどこかに居るんだ……って、いつも観察してた。お姉ちゃんもパパも……いたはずなのに」


「心美ちゃん……」


「私、人に愛されるのが得意みたい。ああ……この人はこうして欲しいんだ、って思ってその通りにしたら、愛してくれた。仕草や容姿や……時には違う事でも。でもあれって、愛なのかな? 愛ってなんだと思う?」


 僕は無言で心美ちゃんの言葉を聞いていた。

 彼女の始めてみる顔だった。

 それを大切にしたいと思った。


「10歳の頃、こんなお話を読んだ事があるの。外国の傭兵部隊に居たある兵士は、死を恐れなかった。むしろ生と死の狭間にスリルを感じ、生きていることを実感していた。所がそんな彼の恋人が妊娠したと聞いた。そして、産まれた赤ちゃんに自分の指をギュッと、握られたとき……たまらなく怖くなった、って。戦場に行く事が」


 いきなり何を話し出すんだ?

 そう思ったけど、心美ちゃんは僕の目を熱に浮かされたように見ていた。


「あんなに死のスリルを楽しんでいた彼が、翌週戦場に行く事を考えると、自分の指を頼りなく握る赤ちゃんの手の感触が浮かんで、体が震えて涙が出るようになった。死にたくない。この子と恋人の顔が浮かぶと死ぬのが怖い、と。結局、彼はそれまでの蓄えを吐き出し、多額の違約金を払って任務を放棄し除隊した。それから、恋人と結婚し、除隊後の傭兵で良くある進路の警備会社にも行かず、タクシードライバーの職を得て生活するようになった、と」


「そう……か」


「私は理解できなかった。今も理解できない。彼は優秀な兵士だった。外人部隊は報酬も高い。そのまま戦って……ううん、正式な契約更新の時期に解除すれば、遊んで暮らせるお金を持てた。セレブ相手の民間の警備会社であれば、高額の報酬も得られる。蚊に刺される程度の危険で。でも、全て捨てた。彼は家族のため、ただひたすら『安全』を欲したの。それは合理的でなく、美しくない」


 心美ちゃんはそう言いながら僕により身体をくっつけた。

 僕は、彼女を見ながら言った。


「そうだな、合理的じゃないし、君の基準では美しくないかもしれない。でもそれが愛なんだろうな。そして、君もそう思うんだろ?」


 心美ちゃんは小さく頷いた。


「合理的でもないし、時に歪だ。エゴイスティックで乱暴で……醜い。でも、時々たまらなく綺麗だ。よく分からないよな。だから、欲しくなる。僕も……そうだよ」


「そうだね……私も分かってた。何のメリットもなくてもいい。美しくなくても合理的でなくてもいい。そろそろ……私も……欲しい」


 心美ちゃんは僕の瞳をじっと見つめる。

 そして顔を近づけて、唇に軽くキスをした。


「パパが居なくなったら……私は立つところがなくなっちゃう。ねえ……何して欲しい? 何を対価にすれば裏切らない?」


 僕は心美ちゃんを強く抱きしめた。


「何も対価は要らない。僕らは……家族だ。歪で合理的じゃないものを抱える……家族だ」


「……有難う。じゃあずっと傍に居て。約束ね。その代わり……パパと私の邪魔をする人は、全部排除してあげる。そして……守ってあげる」


「いや、それは……」


 だけど、途中で心美ちゃんにキスされて、言葉を出す事ができなかった。


 ●○●○●○●○●○●○●○●○


 翌日。

 学校に行った心美ちゃんに代わり、興信所の探偵に香苗の情報を伝えた僕は、携帯にさやからの連絡があるのを見た。


 怖いから会って欲しい。

 今日は定休日だから裏から来てもらえれば、と。


 そうだ。

 さやも心美ちゃんにかなり迫っていた。

 そして、彼女に6歳以前の情報がない事を教えてくれた。

 その代償として、不安に苦しんでいる。


 心美ちゃんの言葉……「害虫」が気になって仕方ないが、彼女も今は学校だ。

 下校時間までなら、今後はある程度自由に動けるだろう。


 そう思い、さやのカフェに向かった。


 店の裏口から店舗件自宅の中に入った僕を見たさやは、ホッとしたように顔をほころばせた。

 その様子を見て、胸が痛む。

 ここまで苦しむ彼女を放って置いてしまった。


「有難う。ゴメンね……大変な時に。コーヒーでも入れるね。そこのソファに座って」


 そう勧められて、リビングのソファに座る。

 店舗と同様のライトブラウンとグレーを基調とした室内は、緊張を和らげてくれる。


 香苗もさやも……もしかしたら心美ちゃんも。

 僕は守りたい、と言いながら結局ここまで誰も……守れていない。

 なんでこんな事に……


「……大丈夫、卓也? 疲れてるみたい」


「ああ、大丈夫。ちょっと……香苗が……」


 そう言うと、香苗の事を話した。

 流石に心美ちゃんとの事は伏せて、急に失踪した、とだけ話した。

 さやは顔を引きつらせてその場に立ち尽くしていた。


「そんな……そこまで」


「なんでこんな事になったのか……分からない」


「そんなの……心美ちゃんに決まってる。彼女が何かしたのよ。脅迫とか、それか少しづつ追い込んだとか。手下を使って。ほら、前の茜ちゃんとか……」


「茜ちゃんは、死んだ」


 そう言うと、さやから表情が消えたがしばらくすると、自分の両手をさすって僕を上目遣いで見ながら言った。


「用済みに……なったから?」


「茜ちゃんが亡くなった時間帯は、彼女は僕と一緒に居た。警察の人に教えてもらったから間違いないよ。ただ……最近、訳が分からない。誰が正しいんだ。僕は……誰も守れない。周囲のみんなを苦しめている。僕はただ、普通になりたかっただけなのに……」


 苦しんでいるはずのさやの前で自分勝手に愚痴っている。

 そんな自分に心の中で失笑しながらも止まらない。


「何が、どこから間違っているんだ。どうすればやり直せる? なんで……みんな、不幸になるんだろう……僕はもう…怖いんだ」


 そう言ってカップの中のコーヒーを見つめていると、さやが隣に座るのが分かった。

 そして、僕の背中をそっと撫でる。


「ねえ……二人で逃げない?」


 え?

 さやの顔を見たが、彼女は真剣に僕を見返している。


「誰……から?」


「全てから。私も正直、今の状況は訳がわかんないの。もしかしたら、もう私たちでどうこうできるレベルを超えてるのかも。別に心美ちゃんが元凶、なんて決め付けるつもりは無い。でもさ……あの子が来てから変だよ。それまでは全然普通だったじゃん」


 僕はさやから目を逸らした。

 心美ちゃんの言葉が浮かぶ。


 彼女は……愛されたいのか?

 愛されてこなかった?

 僕と同じ……いや、僕よりも……


「なあ、さや……ゴメン、それは難しい」


「……心美ちゃん? あの子に取り込まれてるの? 言っとくけど、あの子は危険よ。彼女の言う事が全て真実なんて思わないほうがいい。私、あの子と二人で話した事があるから分かる。あの子は……悪魔よ。何かの目的があって、そこから逆算して、必要な人物をピックアップしてるように見える」


「そうかもしれない。でも、もう少し様子を見たいんだ。それに……他人同士の俺たちが二人で逃げるのはリスクが……」


「それはどうにでもなるでしょ。まずは逃げるのが先だよ。しかも早急に」


 さやの言う事は分かる。

 だけど……心美ちゃんを置いていく事は……


 僕が頭を抱えていると、さやは突然僕を優しく抱きしめた。


「ゴメンね。苦しめちゃった。うん、分かった。この結論はゆっくり考えよう。その代わり……一緒に前へ進んで欲しいの」


「前……に?」


「うん。前、話してくれた人居るじゃない。前のホーム長だった仙道さん。心美ちゃんのいた施設の。その人とお話しに行けないかな? あと、教えてくれた渡辺篤君。それならいいでしょ? 二人で立ち向かおう。心美ちゃんに」


 彼女の言葉に僕は酷く安堵し……頷いた。

 心美ちゃんを敵とは思えない。

 と、言うより敵って何だ?

 

 だが……前に進むことで、さやも……心美ちゃんも香苗も……もしかしたら守れるのかも。

 そんな思いはたまらなく魅力的に感じた。

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